2012年3月29日 (木)

【Stadion】 競技場

Stadion(シュターディオン)(中):競技場 …… 英語ならstadium、すなわちスタジアムのこと。Studium(研究)や、Stadium(段階)などと混同しやすい。Stadiumとは複数形が同型である。それでもドイツ人はこれらの違いを識別してき混同せずにちんと使い分けているのは、丁度日本人が「コンドーム」と「今度産む」とを混同しないのと同じか。

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「春はあけぼの」とも言うが、「春はセンバツから」とも言う。これはAKBのナントカ選抜ではなく、高校野球の選抜のことである。しかし、今年の選抜の入場行進曲はAKBの曲だったので、これも一種の選抜入りと言えるのか?

昨年5月末に故郷に帰ってきた。生まれ故郷は空気が懐かしく思えたが、やはり昔とは可成り勝手が違っていて、ここへきてようやくこちらでの生活にも慣れてきたと言える。「あ、甲子園行こかな?」と言う考えが浮かぶようになったことがその証だ。わが故郷は甲子園球場のある街の隣街だ。その気になれば自転車で行くこともできた(高校時代まで)くらい近い。大学を出て就職してからも、日曜日などふと時間ができたときにふらりと行ってみたりしていた。高校野球の場合外野席はタダである。交通費は往復で1000円もかからないのだから、映画館よりも安くなかなかなドキュメンタリーをリアルタイムで観られるのだ。

わたしが好きだったのは、左でも右でも良いからスコアボードの近くに座って、試合は勿論だが、対戦中の2チームの応援団も一緒に観ることだった。ヒットやエラーの度に一喜一憂する応援団の方がある意味面白い。癒されると言うこともできると思う。「応援」というのは良いものだと思う。人を応援したり、人から応援されたりの盛んな世の中はきっと明るい世の中なのではないかと思う。○L学園などは人文字が有名なので、必ずその対面(トイメン)の外野に座って観ていた。ある年、そのP○学園が横浜商業(いわゆるY高の方)に準決勝ぐらいで負けたとき、試合終了後にY高の応援団に向かって「フレー!フレー!Y高!」という人文字を披露したのを見てその辺の観客と一緒になって拍手したのを思い出す。

関西に移り住むのは初めてというわが女房を伴って、これはセンバツ観に行かなあかんやろ、と昨日思ったので今日行ってきた。野球場という場所に足を踏み入れること自体、30年ぶりぐらいではないだろうか? 知らなかったわけではないのに、球場の臨場感に圧倒された。今日は天気も良く、青い空と緑の芝生に天然の土の色に白球という鉄板のカラーコーディネートと、その場に居合わせている人全員でつくり上げるエネルギーの渦。これは本当に特殊な「磁場」のような、今風の言葉で言えばパワースポットと言えるかと思う。わたしの立てた企画には大抵駄目を出す女房も、気に入った様子だった。その感想は:「みんな野球うまいね」下手でどうするww

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2012年1月31日 (火)

【Ersparung】  節約

Ersparung(エアシュパールング)(女):節約 …… 以前からボンビーな人々にとって重要なテーマだったが、震災以来さらにこれが重みを増してきた。「なくても困らないものがある」というのは、「豊かさ」の一面だが、すなわち一面にしか過ぎない。

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原発事故前後の東京電力の大不始末とその傲岸は、日本国内はもとより世界中から軽蔑されたが、これによる一連の節電騒動(?)は、節約ということに対する真摯な問題提起となったのではないだろうか。

わたしは昭和30年代に生まれ、高度成長期のただ中で育ってきた。そのせいか、節約というと「貧困のせいで」という単細胞的な発想が心根にあると(我ながら)感じる。しかし、環境意識を高めて考えるなら、節約という行為は貧困とは無関係である。むしろ、「足るを知る」ことから出た節約は人間の進化した姿ではないかと思う。節約と言うよりは無駄をなくすということか。

さて、震災後各方面各家庭で節電への取り組みがなされているが、その中でトイレの温便座をOFFにするという事柄があった。なるほど、トイレの便座に座っている時間は1日のうちわずかだろう。大家族でも便座占有時間はさほどではないのではないだろうか。そしてしかも、大抵の家庭では便座の蓋が上げられているとなると、暖房効率も悪い。あの蓋についてはわたしはもう随分前から「蓋を閉じる派」である。そもそも使っていないときに閉じなければいつ閉じるというのだ。折角蓋が付いているのに勿体ないではないか。蓋を閉じれば暖房効率も上がる。これも一種の節電であるが、OFFにすればもっと節電になる。

しかし、お年寄りのいる家庭など、便座が冷たいせいで心臓麻痺でも起こされたら嫌だと思うだろう。誰だって便座の上で死にたくはない。昔は畳の上で死ねるかどうかが人間の幸福の尺度のひとつだったと聞くし…… そういう場合、温便座をOFFにしろとは言いにくいが、冷たい便座への対応策はある。

ひとつは太腿の下に手を差し入れるというわかりやすいやり方だ。これは緊急時に良い。

もうひとつは、まず服を着たまま(下ろさない、またはたくし上げない状態で)便座の上に座って30秒~1分待って、便座が体温で暖まってからおもむろに開始するという方法である。トイレを安息の場と考えている人も多いと聞く。ならば、事後ではなく事前にもすこしゆっくりしてみてはどうかと思うのである。

この方法をあみ出したのはドイツで暮らしていた頃だった。ドイツのトイレは日本の家庭のトイレのように便座カバーがかかったりしていない。そもそもそれは「不潔だ」と彼らは感じるのだ。「毎日取り替える」では足りない。それは「1回単位」でなければならぬ。確かにそうだ。だから、便座はあのプラスチックの素材そのままで使用する。事前に専用のグッズで拭き掃除をしたり、紙の便座を使うと言うこともあるが、それはあくまで清潔のためにであって、冷たい便座を回避するという発想はない。今はどうだか知らないが、当時はトイレというのは「そういうもの」だった。「その程度で当たり前」のものだった。

しかし、ドイツは寒い国である。ギャグも結構寒いが冬はもっと寒い。夜間に外気が氷点下10℃になったりすることもある。寒い日に車を運転していて、うっかりフロントウインドウをウォッシャーで拭いてしまったら、フロントガラスが一気に氷で覆われて肝を冷やしたこともあった。そんな国で冷たい便座は辛い。もちろんトイレにもセントラルヒーティング(ハイツングという)が完備されているのではあるが、便座が暖まるほどトイレ内部を温めたりはしない。そこでこの自分の体温で温めるという方法を実行し始めたのである。これは安い。体温を保つのには結構かかっているだろうとは思うが、しかしこの経費は「タダ」と考えて差し支えないと思う。

この方法についてとある若い友人に伝授したところ、彼は早速やってみたそうだ。そして報告してくれた;「あれ、やってみたんですけど、はい、良いと思います。ただ…… あ~、あの~、身体がですね、便座に座ったら『もう良いんだ』と反射的に思うらしくて、危ないところでした。少し慣れる必要がありますね……」

そうかも知れない。そもそもトイレに行くときはすでに危なくなっているのであるからして、身体は開放されることを欲しているのであるからして、座る前にしっかりとSchliessmuskel(括約筋)を締めておかなければならない。できれば、座る案件の場合は余裕を見て行くべきである。これを彼に言うのを忘れていた。

彼は幸い持ちこたえ、悲劇は起こらなかったそうだ。たしかに、分別のある大人なら、悲劇が起こることはおそらくないだろう。

それにもし何か起こったとしても、それは「喜劇」だ。

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2012年1月 9日 (月)

【Steuererhöung】 増税

Steuererhöung(シュトイヤーエアヘーウング)(女):増税 …… die Steuer(ディー・シュトイヤー)は税のこと。この語の中にteuerという綴りが含まれているが、ドイツ語にはまさしくこの綴りのteuerという形容詞があり、「値段が高い」という意味になる。皮肉だ。なめとんか。これが中性名詞でdas Steuer(ダス・シュトイヤー)だと「舵」という意味になるのだが。

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どうやらいよいよ消費税率が増えそうな雲行きになってきた。

とは言え、現在の税率5%は世界レベルから見るとまだ低い方だと思う。わたしはドイツで10年以上暮らしたが、税率は渡独したばかりの頃で14%だったと記憶している。これは高いと思うが、その替わり失業者などは働きたくなくなるほど手厚い保護を受けていた。社会保障が充実しているという印象があったのだが、今のユーロ危機ではそうも言っていられないだろうか。

さて、ドイツでこのような高い消費税(ドイツではMehrwertsteuer=メーアヴェアトシュトイヤー=付加価値税と言われていたが)を払っていたわたしとしては、消費税が2桁になっても驚きはしないが、政府・官僚には是非考えて頂きたい事柄がある。それは消費税の免税点についてだ。デューティーフリーショップの「免税店」ではない。免税点である。これは現在では年収1000万円となっている。すなわち年収が1000万円に満たない場合、消費税を納入する義務はない。しかし、である。

もともと、この消費税免税点は年収3000万円だったのだ。これが2003年に1000万円に引き下げられたのだ。つまり、それまでは消費税を支払わないでも良かった年収1000万円~3000万円の事業者に突然(?)消費税の納入義務が課せられたのだ。実際の買い物などでかかる税率は5%のままだったので、国全体には「増税が行われた」という感覚がなかった。この年わたしはすでに翻訳者の看板を上げていたが、まだ二足の草鞋状態で、年収3000万円など夢の夢(今でもだが)だった。1000万円でも夢だったので、お恥ずかしい話だがほとんど印象に残っていない。しかしこれは実に巧妙な増税だった。この年収1000万円~3000万円のゾーンにどれだけ多くの零細業者が含まれているのだろうか。

少し計算をしてみればわかることだが、年収3000万円の場合、現行の消費税率なら納入する消費税額は150万円となる。年収1000万円なら50万円だ。これだって多いのだがまだ何とかなりそうな数字でもある(か?)。しかし、税率が10%になったら、年収1000万円の事業者は100万円の税を納めなければならないことになる。しかし、国税、地方税、健康保険などを納めた上で、さらに年収の10%の税金を持って行かれたら(現実には支払いは2年後なのだが)どうやって暮らせというのか? いや、もちろん暮らせはするだろうが、おそらく年収999万円の方が豊かに暮らせるだろう。そうなると、仕事をセーブする事業者や、脱税を試みる事業者も増えそうな気がする。そして、年収1000万円というのは、我々翻訳者のような身ひとつの足し算型フリーランサーでも、上手く行けば超えてしまうラインなのだ。

現在の増税論議の中で、零細事業者の立場を考えて、免税点にまで考えを巡らせてくれている政治家や官僚がいるのだろうか。しかし、この免税点はなんとしても最低2000万円にまでは引き上げて貰いたいものだと思う。ブログに書くだけではなく、地元の政治家にも働きかけたい。これは自民党政権の頃に行われた「隠れ増税」であるから、自民党が音頭を取って貰うべきものだとわたしは思う。

 そう言えば、ワグナーのオペラに「さまよえるオランダ人」という作品がある。その中に有名な男声合唱曲「水夫の合唱」があり、その第一節の歌詞は“Steuermann lass die Wacht(シュトイヤーマン ラス ディー ヴァハト)”という。意味は「舵取りさんよ見張りなんかやめろ」という。そのあと「こっちへ来いよ」と続く。ここでのSteuermannは船の舵を取る人のことなのだが、これはもう「税務署員さんよ、見張りなんかしないでくれ」と聞こえてしまうと言うものだ(爆)。

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2012年1月 7日 (土)

【Neujahrsgrüße 2012】 新年のご挨拶

Neujahrsgrüße(ノイヤールスグリューセ)(複):新年のご挨拶 …… 普通、元旦にするもの f(^^;)

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 新年おめでとうございます。

 母の入院を機に、昨年5月末に関西に帰ってきて以来、「なかなかな」日々が続いております。辛うじて、(少々遅れはしましたが…)本年年頭に「おめでとうございます」と言えるのは我ながら幸いです。来年は言えないかも知れません。いろいろとバタバタしており、今年は誰にも年賀状を出さずに終わりました(すげ~楽)。投函したあとに目出度くなくなるという事態も予想できたからですが、今のところ平穏と言えます。

 もう、このブログもほとんど更新もせず、読者の数の減っておりますが、それでもお越し頂ける皆さまに、本年が良い年になりますようお祈り申し上げます。

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2011年10月30日 (日)

【Staatsbahn】  国有鉄道

Staatsbahn(シュターツバーン)(女):国有鉄道 …… これを「国鉄」と言ってしまうと、いきなり「日本の」鉄道のことになってしまいそうだが、世界中の多くの国において、鉄道事業は国有のようだ。民営化されているのは日独米ぐらいではないだろうか?

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 今時の若者の中にはJRしか知らない年代の人も多いだろう。しかし、198741日以前は、日本の鉄道は国鉄と言ったのだ。もう24年以上昔のこと、すなわち四半世紀が過ぎようとしているわけである。昔日の感がある。これは、ここだけの話だが、わたしはこの時29才であった。国鉄とともに29年生きてきたキャリアがあった。

 1987年の331日、わたしはいろんな経緯があって、ドイツからソウル経由で大阪伊丹空港に着いた。そしてシャトルバスに乗って大阪駅に着いたのはもう夕方だった。大阪駅では国鉄職員が集まってシュプレヒコールをしていた。

 わたしは何の騒ぎかわからなかった。それまでしばらくドイツに居続けて、「日本」という一定のエリアで見れば、たいへん浮世離れした状態であったのだ。そこで、彼らの叫んでいる内容を聞きながら、ゆるゆるとことの経緯を理解したのだった。それは国鉄最後の日だったのだ。そして、ほぼその日を境に、わたしは大阪(関西)の人でもなくなった。わたしの日本での活動拠点は箱根の山よりも向こう側になり、大阪文化圏で暮らした日々は過去のものとなった。

 以来、いろんなこと、例えば「テレビではとても言えないこと」や「ブログでは決して書けないこと」、「メールでもやっぱり白状できないこと」、「ラジオでは到底お見せできないこと」などがあった。24年間わたしの住民票は故郷を出たきりになっていた。帰ってきたのは今年(2011年)の5月末である。

 さて、そうすると、まあいろんなことが起こったわけだが(何しろいろんなことがいろいろすぎて、今までブログの題材が絞れないでいたぐらいだ)、何と言っても特筆に値するのが国鉄の復活である。いや、何もJR西日本が倒産したわけではない。わたしの中で国鉄が復活したのだ。

 わたしの関西での生活は国鉄最後の日とほとんど時を同じうして終わった。わたしの関西での記憶に残っている鉄道と言えば、阪急、阪神、南海、お京阪、地下鉄の他は、「国鉄」なのだ。わたしの関西メモリーの中にJRと言うワードはない。TradosならNoMatchで分節が開いて止まるところだ。

 実家近場の猪名寺駅、伊丹駅、塚口駅はもとより、大阪駅でさえ、それを会話で発語しようとすると「国鉄の~」という言葉が語頭にくっついて出てくるのだ。2011にもなって未だにわたしは国鉄という単語を口から迸らせている。たまたま電話で話していた高校時代の友人からは「お前、何タイムスリップしとんねん」とか「昭和やの~」とか言われた。

 わたしの中の国鉄は、しばらく破綻しそうにないwww

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2011年6月17日 (金)

【Barbierstube】 床屋

Barbierstube (バルビーアシュトゥーベ) ():床屋 …… 英語ならBarber shopと言うところか。英語でbarbershopと言うと、「床屋」の他に「男声の」、「密集和声の」という用法もある。これは19世紀のアメリカで、床屋に集まった男達が無伴奏でカルテットを楽しむのが流行したことに起源を持つ言葉だ。

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 ドイツ語でbarbierenと言えば「髭を剃る」という意味で使われる。床屋は髭を剃る店だった。現代では床屋と言えば月に一回行って「一ヶ月分切って」と言って椅子に座る店のことを指す。しかし、美容院に行く男なども増えており、床屋に行く=ダサいみたいな図式が出来上がりつつあるような気がする。しかし、かつて男達がもっと男であることを楽しんでいた頃、朝床屋に行って出勤前に髭をあたって貰うと言うことが普通に行われていたと言う。わたしの在独時代の行きつけのミュラーさんは、「俺が若かった頃は、みんな仕事に行く前にうちの店に来て髭を剃っていったもんだよ。もう、朝は忙しくてね、客も俺も立ったままで髭剃りだったな」などと懐古していた。お代も安かったのだろう、3マルクとか5マルクとか言っていた記憶がある。

 以前このブログで、床屋について書いたことがある。その趣旨は、「大阪の床屋は上手い。ちばらぎの床屋は下手くそ」というものだった。それは、髭を剃る腕前、と言うより考え方=姿勢の違いだ。大阪の床屋で顔を剃って貰うとホンマにつるつるになる。顔剃りの後、客に自分で顔を洗わせてつるつるになった、すなわちしっかり剃ったことを確認して貰うと言うことが当たり前になっている。ちばらぎの床屋の顔剃りは、東電の記者会見のようなものだ。事後、触ったらもうざらざらだ。だからわたしはいつも、ちばらぎで床屋に行く時は電気剃刀を持っていって、店から出たら車の中で髭を剃っていた。この現象は複数の店で見られた。わたしはごっつ不満だった。

 関西に帰ってきて、床屋に行く暇もなかったのだが、母の見舞いに行った帰りに床屋を見つけて飛び込んだ。そこは、カットだけなら900円というえげつなく安い店だったが、それはそれで有り難い。つまり、こういうスタンスの店なら、すぐに終わるだろうという計算が成り立つのだ。こういう値段だから回転をあげないと採算が取れないからだ。そもそも、女性と違って男の場合は髪の毛が短くなればそれでよいのだ。ガキの頃からそうだったが、わたしは、いかにも「ついさっき床屋に行ってきました」という「正座したような」髪型が嫌で、床屋から出たらすぐ頭を「わしゃわしゃわしゃ」とやっていたものだ。床屋は早ければ早い程よい、と言う程度に考えている。ただし髭はきちんと剃って貰いたいが……

 そう言うわたしは、実は三月初頭から髭を伸ばしている。今回は安い店で触られるのが何となく嫌で、カット+洗髪にして貰った。カット+洗髪で1200円だ。これに顔剃りも入れると1500円。セットメニューにはモーニングサービスと言うのがあって、トーストとゆで卵は出て来ないが、平日午前中は200円ぐらい割引してくれるらしい。今度は早めに行って髭もあたって貰おうか?

 わたしが入店した時、2名の先客がいた(椅子も2脚だけ)。そして順番待ちが1名。しかし10分でわたしの番になったのは、見込み通りだ。順番を待ちながら仕事っぷりを見ていた。腕はよいと思う。早くあげるために、別の言い方をすれば900円分のサービスで収めるために、たいへん手際よく仕事を進めていた。そして、そのカットだけの客のカットが終わり、合わせ鏡で見せてOKを貰ったら…… なんと、客の頭に掃除機を当てた。ど~ん。もちろん「どたま専用」の掃除機に決まっているが、これはええな~と思った。女性のカットはどうだかわからないが、男の短髪のカットは毛屑が大量に発生して頭に付着する。これを除染、もとい始末するのにはブラシや刷毛でお上品にやるよりは、掃除機の方が断然効果があると思う。

 日本の床屋で、バーバーショップ・アンサンブルが普及してくれないだろうか……

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2011年6月 8日 (水)

【Zuhause】 家で、故郷で

Zuhause (ツーハウゼ) ():家で、故郷で …… 他にも「精通している」という時にも使う。フランチャイズやから何でもお手のもん、と言うほどのニュアンスか。

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早いもので、尼崎に越してきてからもう2週間が過ぎた。越してきてすぐに大口の案件がひとつ入ったために、仕事部屋は今でも雑然としている。どうせ地震が来たらまたぐちゃぐちゃになるのだと思うと整頓する気にならない(嘘)。この2週間のうちに2回、父の奇襲に遭い慌てた。近くに住むと言うことはすなわちこういうことだ。夜遅くまで段ボールと格闘した翌朝、携帯電話で起こされて、「おい、今、家の前におるんじゃ。玄関開けんかい♪」という…… orz

この街はわたしの生まれ育った街である。住む地区はもちろん違うが、それでもこの空気を知っている。今まで国内外でパンパではない回数の引っ越しを経験してきたが、新しい土地に越して行ったのと比べて、やはり何か決定的に違うものがある。これが「帰郷」と言うものなのだろう。風景はずいぶん変わった。昔のたたずまいの残っていそうなところもあるが、見る影もないところもある。この街には大学を卒業するまでずっと根を生やしていたのだが、不思議と記憶に残っている風景は、皆、腰の高さから見たものばかりだ。

こちらに越してきてから縁の深くなる新しい風景は、十三である。「じゅうさん」ではなく、もちろん「どらいつぇ~ん」でもなく、「とうさん」でもなく、「じゅうそう」と読む。十三の駅は、阪急電車の神戸線、宝塚線、京都線の分岐駅で、ある意味梅田以上にぶいぶい言わせている。街も昔からぶいぶい言うている。今は亡き藤田まことさんが「十三のねえちゃん~♪」と高らかに歌い上げたあの街だ。以前読んだ高村薫の「神の火」という小説(奇しくも原発ジャックのお話しだ)の舞台のひとつにもなっている。母がこの十三の駅からほど近いところにある病院に入院しているのだ。毎日というわけには行かないが、結構頻繁に行くことになる。病院から駅へとたどり着くまでに、数々の誘惑と戦わなければならない。幸い夜に歩くことはないが、これはまさに歌舞伎町を突っ切って何もしないで新宿駅に向かうようなものだ。今までも度々誘惑に負けて、串カツやたこ焼きにちょっかいを出してしまった。これから先が思いやられる。

こちらでの生活は、「ちばらぎ」に居た頃と違って、車への依存度が少ない。確か尼崎は面積が狭いので人口は45万人程度(昔は55万人ぐらいまで増えた)で、兵庫県で3番目ぐらい(姫路に抜かれてめっちゃ悔しい)だが、人口密度が半端でなく全国でもトップ10に入るらしい。そんなわけで、車で出掛けたらPを見つけるのに往生し、見つけたら今度はP代を払うのに往生することになるのだ。家から阪急園田駅まで15分ほどを歩く機会が増えた。これからは少し運動不足が解消されそうだ。これで、ボディが再び締まって、また「もててもててこまる」ようになったらどうしようか(爆)。

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2011年6月 4日 (土)

【Umzug】 引っ越し

Umzug (ウムツーク)():引越 …… 普通、家を移ることだが、この他にも同じ棟の中で部屋を替わることを言ったり、データを古いパソコンから新しいパソコンに移すことを指す場合もある。どちらにしても、引越はしんどい。

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 引っ越した。

 今まで住んでいた茨城県南、通称『ちばらぎ』と呼ばれる地域から、生まれ故郷の尼崎に引っ越した。実家からほど近いところ、中学生なら10分以内で走っていけるあたりに移り住んだ。この引越は数年前からの懸案事項、いつかはしなければならないイベントだった。

 それにしても、引越は疲れる。大抵の力仕事は引っ越し屋さんがやってくれるのだけれど、それでも疲れる。思えば、先回の引越をした時は、まだ四捨五入で百歳にはなっていなかったのだから体力も落ちようと言うものだ。

 前の日記にも書いたのだが、これは放射線逃亡ではない。まあ、電気代逃亡だったりする可能性はある。あと、地デジ逃亡か…… 関西地方にはサンテレビという阪神タイガースの広報担当の放送局(嘘)があり、これがUHF局なので、大抵の関西人にとって地デジ化は痛くも痒くもない筈だ。我が家では、以前から「帰阪」と言うことが懸案事項だったので、ギリギリまで地デジ化対応はしていなかった。そして、何もしないまま退去してUHFの国へ移住することになったのであるから、この点では「上手いことやった」と言うべきだろう。新居には、当然のように地デジ対応のアンテナが付いていた。

 さて、大家に退去を申し渡してから1ヶ月の間、じっくりと荷物をつくり、そこら中で最後っ屁をかまし(多分嘘)、合計80kgほどのゴミをクリーンセンターに持っていき、移動当日(5/25)を迎えた。

 S引越センターに荷物を託し、不動産屋に鍵を渡して、手荷物を車に積み込んで出発した。これで、関東地方ともお別れだ。これで、直進車両に先んじて右折して行く名人ドライバーの皆さんにお会いすることもないだろう(今まで随分いろんなところで運転してきたが、この手のテクニックを駆使するドライバーはこのあたりでしかお会いできなかった)。

 圏央道から常磐道に入り、それから首都高を突っ切って東名に入るわけだが、よくよく考えてみると、三郷から用賀に向けて首都高を走るのは、おそらく10年ぶりぐらいだ。今までは、車で関西を指して走る場合、早起きして明け方の一般道で川崎あたりまで行って、それから東名に乗ったが、大抵は、飛行機、新幹線、路線バスと、極力自分で運転することのないように計らっていたのだった。

 驚いたのは山手トンネルと言うものができていたことだった。お陰で宝町とか飯倉とか銀座とか言うランプを見納めていくことにはならなかった。まあ、特別見納める必要もないのだが…… 見た覚えのない場所を看板だけを信じて走るのは、少し不安でなおかつつまらない。幸いだったのは、看板に嘘が書かれていなかったことで、お陰で本当に用賀まで辿り着くことができた。東京電力や政府と言う公的な存在ががあれだけ嘘をつきまくる国で、これはもしかしたら奇跡かも知れない。

 移動の数日前、久しぶりの長距離の高速走行を前に、近所のスタンドで安全点検を受けた。ワイパーブレードを替え、後輪タイヤを新品に替えた。お陰で、ドライブは快適だった。燃費も通常で10km/Litterぐらいの我が車が、まあ、高速走行ではあるのだけれど、15km/Litterぐらいで走ってくれた。守谷SAのヨーグルト風味のソフトクリームが眠気を覚ましてくれた。夕焼けを背に映える富士山が美しかった。足柄SAの牛飯が美味かった。滋賀県の竜王PAで仮眠を取って時間を合わせて現地入りした。不動産屋で新居の鍵をもらってくるためだ。およそ600kmの高速走行をした我が車のエンジンはたいそうご機嫌が良いように見えた。軽やかだ。思えば、この車を買ってから本格的な高速道路走行は今回が初めてだった。さぞや沢山のバルブの煤が落ちたことだろう。

 久しぶりの長距離走行を終えて、腰が痛くなるかなと思っていたがそれはなかった。でも、その替わり、肩が痛くなった。思えば何時間も同じような姿勢でハンドルを握りっぱなしなのだから、肩のひとつやふたつ痛くなっても不思議ではない。みっつ痛くなったら少しばかり不思議かも知れない。

 とにかく、荷物も住人も無事に着いたのはなによりだ。しかし、本当の引越はこれから始まるのだ。

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2011年4月28日 (木)

【Augenbutter und Nasenpopel】 目○そ鼻く○

Augenbutter und Nasenpopel (アオゲンブッター・ウント・ナーゼンポーペル)():目くそと鼻くそ …… 「目くそ鼻くそを嗤う」という諺は、そのままの形ではドイツにはないようだ。が、意味は通じる。実際、解説付きで使ってみたら大変素晴らしく理解して貰えた。これが、睫毛と鼻毛なら少々違った感じなのだが……

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ゲーテのファウストに以下のようなくだりがある。悲劇第一部の3577行から始まるグレートヒェンの台詞、泉に水汲みに来て、男に騙された知り合いの女性の噂話を友達とさんざんして別れた後の独白だ。

G         (家へ帰りながら) 今まではよその娘《ひと》が何か変なことをすると、随分威勢よく悪口をいったものだけれど。ほんとによその人の罪を責めるのには言葉がいくらあっても足りないくらいだったのに。人のしたことがきたならしく思われて、そのきたならしさがあたしには物足りなくて、その上にさらに泥を塗ってやりたい気持ちだった。そうしてあたしは高見の見物で、偉そうにしていたんだけれど。それが今ではそのあたしが罪にまみれている。だけど――こうなるまでの一切合財のこと、まあなんてよかったんだろう、なんて嬉しかっただろう。(高橋義孝訳)

 ゲーテがどういう考えをこのグレートヒェンの言葉に反映させたかったのかは、正確にはわからないが、「そのきたならしさがあたしには物足りなくて~~」という表現、と言うか洞察はたいへん深いと思う。これは人間がスケープゴートを叩きたがる心理を上手く表したものだとわたしは思う。人を感情的に非難する(建設的な批判ではなく)と言うことは、大抵はしたない行為と見なされるが、誰の目から見ても非難に値するような対象があると、人は喜んでその尻馬に乗っかる傾向がある(お前もやろ、と突っ込んで頂いて結構だが)。すると、身も蓋もない言い方だが、自分より低い存在を見つけて良い気分になれると言う、妙な麻薬のような作用がある。ざっくり言えば、悪口・陰口にはつい乗ってしまうと言う、世間に良くある現象のことだ。ここに、宗教的あるいはイデオロギー的な信念のようなものなどが介在すると、煮ても焼いても刺身にしても食えないものが出来上がる。

 人を見下げるようになると、その心理は、言動や行動、あるいは書いたものなどに現れる。傍目には明白なのに本人は気付かないことが多い。新約聖書のルカによる福音書18章9-14節には、これに関する言葉が書かれている:

自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。

「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はパリサイ人で、もう一人は徴税人だった。パリサイ人は立って、心の中でこのように祈った。

『神様、わたしはほかの人たちのように、奪う者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』

ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。

『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』

言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのパリサイ人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

この喩え話は、別に宗教的な視点で観なくても良い。自分がそのようになり始めた時に気付けたら良いなと思う。と言うか、わたし自身が今この文を書きながら、似たような心持ちになっている。目くそ鼻くそを笑うと言うような話だ。呵々。

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2011年4月26日 (火)

【Heimkehr】 帰郷

Heimkehr (ハイムケーア)():帰郷 …… Heimは家、家庭(engl. homekehrは帰ることを示す。これがHeimkehrではなくHeimkehrerとなると、全く別の意味合いになるがここでは置いておく。

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インターネット接続をWiMAXに変更した。とは言え、今まで使っていたメールアドレスはそのまま残る。WiMAXに変更したのは、これから所在が転々とする環境で、プライベートの用を足しながら仕事もするということになるので、仕事上空白を作ることのできないネット接続を確立するために、無線接続を採用したという次第。すなわち、茨城県南から生まれ故郷の兵庫県に引っ越すことになった。

このタイミングで関西に帰郷するというと、放射線逃亡の嫌疑がかけられそうだが、そうではない。母の容態がいよいよおもわしくなくなりそうで、父ひとりでは対応できなくなることが予想されるという、極めて個人的な事情である。いや、別に放射線が好きというわけではないけれど ^^; 仕事やプライベートのさまざまな事柄が絡んで、なかなかここ数年の懸案事項であった帰郷が叶わなかった。ここで、背中を押されるかのように母が再入院した。

先日、母の見舞いも兼ねて帰阪した。二世帯住むのは困難な実家の近くに家を借りた。二世帯住める豪邸を建て、家にお抱えの医師および看護士/介護士、それから執事を常駐させるには、「少々」先立つものが不足した。

わが故郷の尼崎市は、関東で例えるなら川崎市のような立地である。梅田から最寄り駅まで10分だ。現在、上野から快速で1時間という僻地(何しろ河童がいる)に生息しているのと比べると、驚くほどの市街地生活になるが、それは単に地図上の話で、移ってみれば大差ないと思う。

わたしは大学を出るまではずっと尼崎の自宅に根を生やして生きていた。それから新卒で就職した会社で西日本各地へのハンパない出張暮らしが始まり、事実上家を出たと言える。それから30余年(うげっ)。わが故郷も変わったものだ。何よりも、わたしが通った高校が生徒数の減少によって合併廃校となることが、近頃最大の変化だろうか。市立尼崎東高校というのだが、わたしはその11期生だった(と思う)。二棟の校舎を二本の渡り廊下が繋いだ四角形の中には中庭があり、その中には丸い池があって鯉が300匹ぐらい泳いでいた。鯉を釣るような不心得者はいなかった(と思う)。多分、鯉の味に癖があるからだろう。わが母校は、不思議と、生徒が賢いと言うことでは有名にならなかったが、鯉が見事だということでは可成り有名だった。

その母校も廃校になる。やんぬるかな。先日、母校見納め同窓会なるものが企画されて、わたしにも連絡が入ったのだが、茨城県南から参加することはできなかった。しかし、不動産屋の車で物件を見て回る時、母校脇の藻川の堤防(部活でしばしば走った)から母校の内部がよく見えた。あそこにはもう生徒は通っていないのだと思うと、なんとも切ないものが湧き上がる。わたしの引っ越し先は母校から直線距離で1km以内のところになる。

最寄り駅の本屋で、万城目学の「プリンセス・トヨトミ」の文庫本を買った(昔、よく文庫本の子音B1番目のやつを省略してしゃべって怒られた)。わたしはこれでも関西人の端くれであるから、この辺のタイトルを見たら反応するしかない。早速読んだ。万城目学の作品を読むのは初めてだが、前から「オモロそうな奴っちゃ」とは思っていたのだ。528日からロードショーだと言う。どんな映画になっているのだろうか。

その時わたしはもう「あっち」の土を踏んでいる。「あっち」が「こっち」になる日は近い。

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