2016年10月26日 (水)

【Funkuhr】 電波時計

Funkuhr(フンクウーア)(女):電波時計 …… 1日に2回自動的に時刻合わせをしてくれる時計。ほぼ狂いがないと言える。人間レベルでは100%正確と言えるだろうが、実際にどうかはその時計本体如何だという。

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最近では電波時計というものが当たり前になってきている。それも凄く安く買うことができる。昔はこのようなものはなく、ゼンマイ式や振り子式、あるいは腕時計には自動巻というものもあった。電池を入れるだけで、あとは「自分で」時刻を調節してくれる時計が出てきたときは驚いたが、仕組みを聞けば、技術の進歩の賜でもあるが、どちらかというと「アイデア」の勝利なのかとも思った。

Wikipediaによれば、ヨーロッパでは1980年代後半ごろから電波時計が広まったとされている。わたしはドイツに延べ11年足かけ15年ほど滞在したのだが、初めての渡独が1986年だったので、丁度その頃から電波時計の普及が始まったということになる。初めての渡独から3年か4年経った頃、仕事場の時計がアナログ式の電波時計になった。皆電波時計は初めてだと言っていた。

ドイツは夏時間を採用している。夏時間や冬時間の始まりの電波時計の挙動がどのようなものなのか皆が知りたがった。むろん、そのためには夜遅く電波時計を凝視していなければならない。誰もそこまでしたいとは思わなかったので、電波時計凝視イベントは実現しなかった。皆の想像は24時を回って程なく、電波時計の針がぐるーっと速く1周するというものだった。

実際は、電波時計は常時基準時計と連動しているわけではないので、夏時間の開始/終了の日になった直後に、つまり0時0分1秒とかのタイミングで表示が変わるのではない。その時計本体の設定によって1日に2回とか1回とか、電波を受信して時刻を調整するのである。その時計が毎日午前3時と午後3時(3時と15時)の2回時刻調整をする設定であるなら、夏時間の始まりの日が来ても、午前3時になるまでは時刻は調整されない。そして、3時から15時まで、または15時から翌3時までの12時間の間は普通の時計として機能する。今時の時計で、12時間に1秒ずれるようなものはないと思うが、もしそのような精度の悪い時計なら、電波時計とは言え表示される時刻はそれほど正確ではないと言える。ただ、1日に2回とかのタイミングで時刻が調整されるので、誤差が積み重ならないので、そこそこの信頼を置くことができるということになる。精度ということで言うなら、夏時間/冬時間の始まりの日の午前0時からしばらくの間は、電波時計を信用してはいけない。その時間帯は眠っているに限るのだ。

以前乗っていた車が、利用10年を超えた頃、インストルメントパネルの時計表示が消えた。修理屋には直せない(というかインストルメントパネル総替えだ)と言われたので、自動車向けのコイン電池と太陽電池のハイブリッド電波時計を買い、フロントウインドウの際(きわ)に取り付けた。一向に受信してくれなくて困ったが、丸1日走り回っていた日にやっと受信してくれた。わが家の駐車場は電波の受信がしにくいらしい。時計が不良品なのではなかった。

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2016年7月 3日 (日)

【Stehtisch】 立ち机

Stehtisch(シュテーティッシュ)(男):立ち机 …… 立ったまま仕事をするための机。いつまでも元気で直立歩行をしたければ、足腰を鍛えることだ。


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昨年10月から立ち机で仕事をしている。それまでは、ハイバックで肘掛け付きの「眠れる椅子」で仕事をしていた。もちろん、椅子に座ったまま眠れるという意味であって、椅子が眠るのではない。某家具店で天板(1500mm x 600mm)と脚を買って作った机にハイバックの椅子という装備だった。

この体勢から立ち机に変えた理由はいくつかある。ひとつは椅子が傷んできたことだ。座面の合成皮革がぼろぼろと落ち始めたのだ。買ってから2年ぐらいだが、わたしのようなヘビーユーザーというかヘビーシッター(?)というか、下手をすると1日っで12時間ぐらい座ることもあるSOHO人間が座るのなら、合成皮革のような柔な素材の椅子を選んではいけなかったのだと思う。

大抵の事務用椅子はキャスターの付いた脚が5本、放射状に取り付けられている。これが結構場所を取る。たかだか6畳の仕事部屋では、椅子を動かす度に何かにぶつかっていた。そこで省スペースのためには、椅子のない仕事場、すなわち立ち机を採用すれば良いという考えが浮かんだ。さらに、脚の筋力の低下を感じ始めていたので、立つことで少しは変わるだろうかという考えもあった。

立ち机というと、ドイツ語族ならゲーテを思い浮かべるのではないだろうか。詳しい内容は知らないが、ゲーテが作品をものするときは必ず立ち机を使っていたと言われている。疲れたら、止まり木の様なものにまたがったとか、バランスチェアの様なものも使ったとか、諸説が入り乱れている。事実がどうであったとしても、ドイツ語族としては、ゲーテにあやかりたいと思うのはごくごく自然なことだ。立って気を引き締めて集中して働く、という行為に対するシンパシーも高まってきた。

そこで、また某家具店に行き、天板と座卓用の脚を買って来た。今まで使っていた机に座卓を乗せて立ち机を作った。低い方の天板にはPC本体、セカンダリのノートPC、プリンタを置き、高い方の天板にはディスプレイを2台とキーボードとマウス、そしてスタンドを置いた。椅子を使わないので机の下にも引出ワゴンの他、背の低い本棚、そして450mm X 450mmの座卓を置き、その奥にテーブルタップを固定し、コード類が床の上を這わないようにした。本当はラティスを机の背面に設えて、植物の蔓ではなくデバイスの蔓を這わせたいのだが、まだ実行していない。デバイスの蔓すなわちコード類は宙に浮いているような格好だが、これでもずいぶん清掃がしやすくなった。これもこの立ち机導入の副産物なのだが、立ち机でなくても可能だ。立ち位置の後には休憩用の収納ベンチを置いた。高さの調節のために簀の子を置き、簀の子の上に置くクッションは、色々試してみた結果、段ボールがいちばん足にフィットするという結論になった。

こうして昨年10月に立ち机を導入し、今日まで続けている。その結果・成果を上げてみるとこんな具合だ:
●1ヶ月もすると、立っていることには慣れた。
●立つ姿勢を維持するのに必要な筋肉が付き、体重が4kgほど増加した。
●ただし相変わらず運動不足ではあるので脂肪は減っていない。良い霜降りになっているだろう。
●仕事の効率が上がったと感じる。収納ベンチに座って休んでいても、座っているという姿勢がすなわち休憩していることを意味するので、気分にメリハリが付く。スクリーンセーバーの泡がディスプレイに出てくると、(ああ、もう10分休んでいるのか)と思うし、スクリーンセーバーが落ちて画面が暗くなったら、15分経過したことがわかる。座りながらじっと考えている間に寝込んでしまうことがなくなった。

そういうわけで結構良いことがある。これと言ったデメリットはない。

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2016年6月19日 (日)

Fortschritt 【進歩】

Fortschritt(フォルトシュリット)(男):進歩 …… 人もモノも皆進歩する。マイナスの進歩というものもあるかも知れないが大抵はプラスの進歩だ。語義は歩みを前へ進めること。

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先日新しいプリンタを購入した。EPSONEP-808AWという機種だ。これはおそらくどの電気店に行っても、EPSONの目玉商品として展示されているのではないかと思う。いくつかある製品と比較してみたが、最も手頃な複合機だと思う。プリントアウトも、スキャンもカラーコピーもこれ1台でできる。この、「複合機」という代物は今では当たり前のように供給されているが、わたしが駆け出しの頃はそうではなかった。


わたしがフリーランス翻訳者の看板を上げた2002年頃は、複合機などというものはまだ普及していなかった。1990年代の前半には、複合機の端緒となるコピー+ファックス機能のついたものが登場したと言われているが、SOHO(これも死語の世界に入ったか)と呼ばれる形態で働く個人事業主の多くは、PCの他、プリンタとスキャナをそれぞれ別個に持ち、コピーはコピーショップかコンビニで行うというのが多数派だったのではないだろうか? まあ、わたしがローテクだったということもあるだろうが。特に看板を上げた2002年から、専業でやっていけるようになった2004年までの間は、懐がハイテク化を許さなかった。

専業でやっていけるようになってからも、プリンタは必需品だったが、カラーコピーとスキャンは使用頻度が少なく、しばらくは、プリンタを持っているだけの状態が続いた。それから中古のスキャナを一応買ったが、特に活躍の場はなかった。そしてそのまま時が過ぎ、20115月に母が寝付いたこともあって、ついに帰郷した。そのときに初めて複合機と言うものを買ったのだった。SOHOとしてはずいぶん遅い複合機デビューだった。


複合機を使えば何がどう便利かということはむろん知っていた。驚きではない。しかし、実際に使ってみた感想は、(なんでもっと早よ複合機にせんかったんや?)と言うものであった。使うべき時は思い切りよく金は使うという主義ではあったが、複合機の購入は逡巡していた。専ら使用するのはプリンタ機能であり、そのためには昔から愛用のLexmarkのプリンタが逝ってからという考えが根を張りすぎていた。しかし、Lexmarkのインクカートリッジは割高なので、コストパフォーマンス的にも早く複合機にしておけば良かったのだ。


わたしが初めて買った複合機は、EPSONEP-704Aという機種だった。価格は10000円程度。たったの10000円でこの便利さか!と、ずいぶん時代遅れの感慨に浸った。そして、それから5年、この複合機を使い続けてきた。わたしはドイツ暮らしが長く、ひとつのものをいつまでも大事に使うというドイツ人のモノとの関わり方にシンパシーを感じていた。なので、この5年間に新しい製品が登場したという情報が頻繁に入ってきても、買い換えの誘惑とずっと戦ってきた。今年の年頭に、印刷汚れが激しくなった。ヘッドのクリーニングをしてもまたすぐに印刷汚れが出るようになった。修理するか(知人には自分自身の満足感以外はほとんど意味がないと言われた)、毎回ヘッドクリーニングを繰り返してもう少し粘るか、などと考えている内に、インクが3色同時になくなってしまい、ヘッドクリーニングもできない状態になった。これを機に、ついに新しいプリンタ複合機に買い換えた。


買い換えて使ってみると、サイズもコンパクトになり仕事場の環境が良くなったと感じられるし、何よりもスキャンが早い。これは驚いた、旧機の場合、スキャン(PDF)したデータがPCに取り込まれるまで12分かかっていたと記憶しているが、新しい機械の場合、1520秒程度でPCにデータが取り込まれた。なんと言うことだ。「進歩」という言葉の意味を噛みしめた。


モノ、すなわち工業製品などの品質が長らく同じレベルにとどまるのが普通であった時代は、同じモノを長年大切に使うということが美しかったと思う。しかし、このようなスピードで品質の向上、イノベーションが成し遂げられる時代にあっては、「モノとの関わり方」の美しさというものが変わってきた。モノそのものは頻繁に買い換えることになっても、その材料のほとんどがリサイクルされ、環境の保持にも貢献するというあり方。これは、技術翻訳と関わっていたら、ここ数年の間にずいぶんと浸透してきた考え方であることはよくわかる。そのような内容の文書を何度翻訳しただろう。それでも少し『遠い』感じのしていた事柄ではあった。しかし、今回の複合機買い換えで、これをずいぶんと身近に感じた。




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2016年5月21日 (土)

Umleitung 【迂回】

Umleitung(ウムライトゥング)(女):迂回 …… この単語を覚えたのは、工事現場で道路が通行止めになっているところに「Umleitung」の看板が掛けられていたのを見たことに遡る。Umleitungという単語を知らずに運転していたことになるが、状況を見ればこれが何を意味しているのかが理解できた。家で辞書を引いて裏を取った。こういう勉強の仕方もあることはある。

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 迂回するのは自動車だけではない。物事の進め方が実質迂回に等しいという状態になることもあるし、金(Geld)が迂回することもあるらしい。
 翻訳者も迂回という現象と関わり合うことがある。これはむろん関わらない方が無難だ。わたしはそれを、迂回注文と呼んでいる。
 わたしの仕事のフィールドは独日の実務的な翻訳である。仕様書や取扱説明書、あるいはウェブサイトの翻訳や、ハードウェアやソフトウェアのUIUユーザーインターフェース)などが多い。これらは独日翻訳なので、「日本の企業 → 日本の翻訳会社 → 樅の木」というルートで受注するか、あるいは、「国際展開するドイツ企業の本丸 → ドイツの翻訳会社 → 日本の翻訳会社 → 樅の木」というルートでも受注することがある。後者は、中間搾取が1段階増えるのと、為替の影響というものもあり、レートは安めになるが何とか値段は通している(と思う)。
 独日翻訳であるから、ドイツか日本の取次が間に入るというのが健全な状態であり、考え方だ。しかし、独日翻訳のジョブが、ドイツ語とも日本語とも関係のない第三国経由で発生することがある。これはすなわち、物価が安い第三国を通して注文すると安く付くだろうという安直な考え方に基づくものと思われる。実際のところどうなのかは、このような取引の経験がないので正確にはわからないのだが、それでもしばしば送られてくる引合のメールを読むとそのような事情が伺えるし、そもそも想像に難くない(笑)。
 わたしは複数のディレクトリに自分の情報を載せている。これは公開されている情報だ。その内容を見ての引合が来るのだ。日本の企業が最も多いのは当然だが、海外の企業からの引合もある。多いのは中国、台湾、香港などだが、他にもマレーシアやフィリピンなどからもたまに来る。これらの国々には日本語を使える人材もいるだろうから、そういう人たちがディレクトリを見てめぼしいところをリストアップするのだろうと考えている。たまにはドイツ語圏およびドイツ語圏外のエージェントから引合が来ることもある。この場合、日本人でしかないと思われる名前の担当者と、図らずも英語でコレスポンデンスを行うことになって少し気持ち悪い(爆)。
 翻訳物の品質を第一に考える企業であれば、ドイツ語か日本語のネイティブに任せたいところだろうと思う。日本語に訳すなら、常識的には日本人に依頼する。そしてエージェントも日本企業であるか、少なくとも担当者が日本人でなければならない。翻訳会社のスタッフの誰もが、ソースランゲージもターゲットランゲージも知らないような会社に(=翻訳とチェックをネイティブに任せて、自分たちは何もわからなくても良しとする、すなわち横流し得意のブローカー)、自社の翻訳物を託すというのは、要するに翻訳物の質などどうでもよく、安さだけが興味の対象という姿勢の企業であると言うことだ。そういう企業の仕事を請ける翻訳会社も似たようなものだと思う。そういう相手と取引をしても仕事の充実感というものは味わえない。儲かれば良いというのであれば、仕方ないが、本当に儲けたければ、自分の翻訳の質を上げて良い条件で仕事を貰えるように努力するのが正道だ。このような、迂回注文するような企業の場合、必ず値段も叩く。正当な額を払う用意があるのなら、ネイティブに任せる筈だからだ。とにかく実績を作りたいという駆け出しの翻訳者さんなら、このような相手も多少利用価値があると思うが、長い付き合いはしない方が良い。

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2015年7月13日 (月)

【Werbung】  宣伝、広告

Werbung(ヴェアブング)(女):宣伝、広告 …… 英語なら Advertisement とか、あるいは Promotion とか訳されるようだ。広い意味で取るなら、電話の受け答えひとつ、メールの返信ひとつがすでに Werbung であるとも言える。商売をしているなら、あたらおろそかにすることはできない。


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 わたしなどのような、在宅フリーランスの翻訳者は、営業をするにしても大々的に宣伝、広告を打つと言うようなことはしない。大抵はそうだ。それに不特定多数に訴えかけるような業態でもない。営業をかける相手は大抵は翻訳会社だ。エンドユーザーとの直接取引という選択肢ももちろんあるが、そう簡単に上手く行くものでもない。翻訳学校を修了してその系列から仕事を頂くという選択肢もあるが、門戸は広くなかろう。翻訳会社のトライアルを受けて合格し、外注者のリストに入れて貰うところから始まるのが一般的だ。これはしかし、外注先のリストに入れて貰うだけなので、実際の仕事に繋がるかどうかはまだ流動的だ。わたしも、13年以上やってきているが、トライアルには合格したけれど、今まで一度も仕事を貰っていないというエージェントがいくつかある。初仕事を貰っても、リピートに繋がるかどうかは流動的である。ほぼ誰に対しても開かれたルートではあるが(トライアル受験資格を制限するケースもあるようだが)、遠回りであるとも言える。

 わたしがこれまで取引をしてきた翻訳会社を、その取引発生に到るまでの道筋で分類してみた。トライアルを受けて合格した取引先がもっとも多いが、出来高は「紹介」によって取引の始まった翻訳会社の方が圧倒的に多い。確かに、信頼できる人から「この人は上手ですよ」と、あるいは「この人は実績のある人ですよ」と言って紹介された場合の方が、仕事を頼む方は安心なのでこちらの方が出来高に結びつきやすい。トライアルを受験して合格した取引先とは、細く長い取引になったり、太く短い付き合いだったり太いものが時々来る=長い目で見れば継続的な取引、になったり導かれる結果はさまざまだ。紹介の場合はスタート時点での安心度が高いので、安定した取引になることが多い。

「トライアル」と「紹介」の他に「PEサイト」からの引合というものがある。つまりネット上の翻訳者リストに登録して、自分のPRを掲載させて貰うという方法だ。引合の数はこの経路からが最も多い。いまなら、平均すれば月に5件~6件ぐらいは引合が来る。ただし成約率は低い。値段が馬鹿安かったり、スケジュールが合わなかったり、わたしは海外のエージェントや個人からの引合には応じていないのだが、そのようなところからオファーが来ることもある。しかし、このルートで取引が始まり、現時点で安定した出来高に繋がっている取引先がおよそ5社ほどあるので、この「PRサイト」という経路も馬鹿にはできない。

 実はこのPRサイトにPRを載せる際の注意点を教えてくれた人がいる。平均して月に5件~6件の引合というのは、決して少なくはないと思うが、こういう成果に繋がっているのも、この人の助言に負うところが大きいと思っている。この人はわたしが駆け出し時代、期間は短かったがお世話になったエージェントの社員で、採用担当だった人だ。年齢も近く、波長の合うものを感じていた。その人が、別の事業を立ち上げるために退職する際、仕事を獲得するためにPRサイトを活用する方法を教えてくれたのだ。PRサイトに書くべきことと、書くべきでないことをひとつずつ。

●実績を書くこと
 特に、新しく仕事を獲得するという点で見ると、翻訳業界というのは、実力主義というよりは実績主義である。人の語学力というものは正確に評価することはできない。脚の速さならタイムを計れば評価できるが、それだっていろんなコンディションに左右される。外国語力にしても母国語力にしても、正確には評価できない。その人が翻訳者として信頼できるかどうかを判断するには、電話やメールの対応の仕方やレスポンスの早さなど以外では、今まで何をしてきたかしかない。それを見て、仕事をひとつ任せてみて、それから取引が太くなったり終わったりするのだ。だから、自己PRの文章には、具体的な実績をわかりやすく書くと良い、と言われた。

●お題目は書かないこと
 お題目というのは、「わかりやすい日本語で書くことを心がけています」、あるいは「納期を守ります」などのような、基本的心構え的な事柄を言う。このような事柄は、当然のこと、プロなら誰でもやっていることであって、いちいち言うにはおよばない。バスやタクシーの運転手が「わたしは運転免許持ってます」と言ったところで、誰も「これはすごいドライバーだ」などとは思わないのと同じだ。こういう事柄は、他人に言って貰ってナンボというようなもので、こういうことを自分の手で書き連ねていると(書いている本人は気持ち良い)、「他に何も書くことがない人」、「書くべき実績のない人」と思われるのが落ちだ。そもそもPRサイトに人材を探しに来る相手が何を求めているのかなど、少し考えればわかることだ。自己PRという貴重な場で、具体的な実績をわかりやすく書くことが出来ない人というのは、ビジネスのセンスがない人であり、ビジネス関連の重要な文書をそのような人に翻訳して欲しいとは思わない。少なくともわたし(=助言をくれた知人)はそのように判断してきた。だから、仰々しいお題目は書かない方がいいよ、と言ってくれた。

 この他にも、実際にエージェントと取引するようになった際に注意することや、歳を取ったら営業上はこういう点に注意したら良いなど、いろいろとアドバイスを頂いた。そして、この助言にしたがって、PRサイトにPR文章を書いて掲載してみると、結構引合が来るので驚いた。もちろん、引合が来るということと、成約すると言うことは別なのだが、引合が来なければ全く話にならない。まあ、具体的な実績を書かずにお題目ばかり書いていても希に引合は来るかも知れないが、大した仕事には繋がらないのではないかと思う。

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2015年6月14日 (日)

【Flickwerk】 パッチワーク

Flickwerk(フリックヴェァク)(中):パッチワーク …… flickenという動詞は「継ぎを当てる」という行為を意味する。クラフトとしてのパッチワークとは少々違うか。同じ修繕作業でも「かけはぎ」とはかなりレベルが違う。翻訳業界でパッチワークと言ったら、マニュアルなどの文献で、変更箇所だけを翻訳するような作業のことを言う。


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 先日、とある有名な翻訳者の方のブログで、パッチワーク翻訳について書かれていたのを拝読した。論点は支払いに関係するものだった。例えば、2万ワードの文書の5000ワードだけ翻訳対象だという場合、しかし、この5000ワード以外にもコンテキストを読み込んで理解しないと翻訳できないことがほとんどであるので、実際の作業量は5000ワード分以上だ。だから、100%マッチするセグメントでも、報酬ゼロはやめた方が良いと言う内容だ。わたしもそこで書かれていた内容に同意するものである。
 しかし実を言うと、わたしが翻訳専業で食べて行けるようになった契機は、このパッチワーク翻訳だった。21世紀になって間もなくという時期であり、翻訳支援ツールというものはまだそれほど普及していなかった。そのジョブは、自動車の修理マニュアルを主としたプロジェクトで、「続きもの」だった。だから、専業に移行できたのだった。最初は翻訳支援ツールを使わないで、Excelで翻訳用データが支給されていた。これはA列にドイツ語原文が記載され、B列には100%マッチの既訳がある場合は日本語、100%マッチでない場合は、ドイツ語がそのまま書かれている。すなわち、B列は独日混淆となる。C列はB列と同じ内容であり、訳者はC列のドイツ語部分を日本語に翻訳して提出するというスタイルだった。エージェントはおそらくTrados6.5を使っていたはずだが、大きなプロジェクトで訳者全員に支援ツールの購入を要請するわけに行かなかったらしい。ソースクライアントも翻訳支援ツールについて不慣れだったのだろう。カウントは、100%マッチであるか否かだけが基準で、ファジーマッチは考慮されていなかった。
 この頃のジョブについてあれやこれやと書くつもりはない。要するにわたしが本格的に翻訳で稼ぎ出したのがこのパッチワーク翻訳だった。初めての翻訳ジョブはパッチワークではなかった。郵便で送られてきた紙媒体の原稿をWordにベタ打ちした。支払いは仕上がり「枚数」に対して行われ、100枚弱ほどだった。初仕事が100枚(おそらく12000ワードぐらいだったと思う)というのはえらいことではあったが、何とかやり遂げそれ以降も折に触れてリピートがあったので、まあ悪くはなかったのだろう。しかし、専業になるほど稼げてはいなかった。そこでパッチワークの大型プロジェクトに採用されて、専業に移行したのだ。そんな経緯もあり、わたしにはパッチワーク翻訳に対する「耐性」がいくらかある。
 しかしそれも状況次第だ。
 パッチワーク翻訳がつくづく嫌になるのは、支払い体系もさることながら、最も問題になるのは翻訳メモリが汚いということだ。つまり、誤訳でいっぱいと言うことだ。翻訳支援ツールは便利なものだが(訳者としては報酬が削られるのであまり嬉しくはない)、そこに保存されるペアが誤訳だったら大変なことになる。
 TMに誤訳が入るというのは、翻訳者とチェッカーの両者が揃って「やったらあかんヤツ」をやってまう必要がある。普通、滅多にない出来事の筈だが、これが結構あるのだ。まず、わたしが初めてパッチワーク翻訳をさせて貰ったエージェントだが、ここを仮に梅社とする。梅社は自動車大手のA社と商談が成って大規模なプロジェクトを開始することになり、独日翻訳者を大勢募集した。その際ドイツ語のできるスタッフも大勢募集し採用したと聞く。わたしがそのプロジェクトに加わった時は、もう1年ぐらいは経過していたようで、翻訳財産もいくらかたまっていた。ところがこの梅社に集まってきた訳者のレベルがかなり低かったようだ。Frontantrieb(フロントアントリープ)という術語がある。これは前輪駆動のことだが、これを「前方運転」などと訳していた訳者がおり、しかもそれがチェックの目をかいくぐって、当該のプロジェクトの翻訳財産となって保存されていた(=納品された)のだ。これは一例に過ぎない。こういうものが五万とあったのだ。「調べきらない」、「考え尽くさない」、「違和感のある箇所を放置する」、「自信のない箇所について連絡しない」等々、翻訳のプロとして「やったらあかんヤツ」をとことんやらないとこのような間違いは発生しないだろうというものが、探せばすぐに見つかった。プロジェクト自体は、現場からの怨嗟の声を受けつつも、廃止されることなく続いており、チェッカー諸氏は大量の仕事に忙殺されていて、結果としてプロとは言えないザルチェックをやらかしてしまっていた。わたしが集めた情報によればおよそそのような状況だったようだ。
 当時は翻訳支援ツールもまだ普及していなかったが、わたしが加わってしばらくしてから、TransitXVというツールを使用することになった。Excel時代から誤訳は目に付いていたが、Transit導入から誤訳が目に付く度合いが強くなった。これはまあ当然だろう。そして、「やったらあかんヤツ」をやりまくる訳者達は、ツールの使い方についても深く考えることをしなかった。何が起こったかというと、ファジーマッチが表示されたら(あ、これは既存訳があるんだ)と考えて誤差を修正せずにそのままメモリに取り込む馬鹿が何人か出てきたし、数値の違いを放置する者も結構な数がいたという。導入後程なく、訳者ほぼ全員がこのエージェントに集められ、ツール使用法の講習が行われたという。なぜ「ほぼ全員」なのかと言えば、わたしは呼ばれなかったからだ。自慢ではないが、わたしはツールの使用法についてはしっかり確認して納品していたし、ついでに言えば、一文にもならない誤訳の指摘も煙たがられながらも毎回可能な限り行っていた。このような不名誉な講習を受けさせられる筋合いはないし、そもそもその日そのエージェントから受注したジョブ(Trados7.0使用)で時間がなかったからでもある。講習会では、翻訳支援ツールに慣れていないが故の頓珍漢な質問が相次いだという。しかし、慣れていなくても、少し考えを尽くし心を尽くせば、支援ツールの取り扱いなどすぐにマスターできるはずだ。初学者並みの翻訳しかできない「かき集め」訳者の中に、翻訳の仕事の進め方についてももちろん暗く、ましてや支援ツールを使いこなすなどできない相談だというようなリソースが何名かいたというわけだ。
 このような迷惑な訳者が、今度はTradosを使うプロジェクトにも混ざり込んできた。これはTransitのプロジェクトとは別の大手自動車メーカーB社のものだ。このB社のプロジェクトは、立ち上がりの少人数(おそらく2名か3名)で回していた頃は良かったのだが、この烏合の訳者たちが入って来てからTMがおかしくなった。わたしの他数名の普通の訳者の悲鳴は届いたのか、届かなかったのか、無視されたのか知らないが、翻訳メモリはどんどん汚れていった。
 結果、梅社はB社のプロジェクトを失い、A社のプロジェクトも半分以下のボリュームになった。やがて梅社はグループ内企業の竹社と合併してその名称はなくなり、やがて翻訳部門だけが売却され、スタッフごと同業の松社に移っていった。わたしは梅社からの流れをくむ松社からも数件受注したが、リーマンショックを機に条件面での折り合いが付かなくなり、今はもう取引をしていない。
 パッチワーク翻訳の話だった。この梅社の場合、100%マッチに対しては支払われなかった。初めてのこと故、また、わたしも駆け出しだったので、そう言うものかと思っていたが、何かおかしいよな、とも思っていた。支払いゼロなのであるから、手を付ける気にもならないのだが、それでも目に余るものがあったので懲りもせずに口出しばかりしていた。まあ、そう言われてもエージェントだって対応しきれないだろうとは思う。しかしこのような「やっつけ仕事」をする連中のお陰で、安定供給されるはずの仕事が回ってこなくなるという憂き目を見たのだから、わたしはしばらく怒っていた。もし、100%マッチにも幾ばくかの料金が支払われ、納期もそれに見合ったものになっていれば、もう少しまともな成果物が納品できたはずだと思う。国際展開する企業を自認するなら、ソースクライアントはローカリゼーションにかかる手間と費用を惜しむべきではないと思う。100%マッチの分節にもきちんと応分の報酬を払い、それに必要な納期を設定するべきだ。
 梅社の仕事が傾いてから、程なくリーマンショックが起こり、世界中が大騒ぎになり、翻訳料金も値崩れした。ジョブの数も減り、この間に前述のような烏合の訳者の大部分は淘汰されたように見える。一時は、梅社の仕事で稼げたせいで(自分はプロでやっていける)と錯覚したヤツが何人かいたらしく、そこかしこで(またあいつらと違うか?)とつい思ってしまうような酷い翻訳を見かけることがあった。しかし最近そういうのを見かけることも減ったので、少なくとも何人かは業界から消えてくれたのだろうと思う。こちらはと言えば、専業フリーランス歴も10年を超え、次第にパッチワーク翻訳の比重が軽くなり、パッチワークの場合でも、現在契約している取引先は皆、100%マッチでも満額の20~30%を支払ってくれている。これらの多くは、プロジェクトの立ち上がりからわたしが担当しているソースクライアントのものなので、わたしがやるべきものであるし、パッチワーク翻訳と言っても間に挟まっているのも自分の翻訳だから、やりやすい。そして、たまに新規で引合があっても、100%マッチに支払いがないところはお断りできるようになった。

ざまあ見やがれ(笑)。

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2015年6月13日 (土)

【Termineinschätzung】 納期見積

Termineinschätzung(テァミンアインシェッツング)(女):納期見積 …… 通常は翻訳対象の原本を見て難易度とボリュームとを秤にかけて返事をするか、または客先から、分野、文書の種類、ボリューム等の情報を聞いておよその仕上がり見込みを伝える。金額の見積とともに納期の見積もまたしばしば相見積になることがある。駆けっこと違うっちゅうの。

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 先日とある取引先から請われて納期見積を提出した。付き合いはまだそう長くはないが、信頼関係のできている翻訳会社だ。クライアントはなかなかの大手だが、薄利多売ではなく高性能な大がかりな製品をひとつひとつ売って行くという業態の企業である。だからかどうかはわからないが、品質優先のため各種スケジュールがずれ込むことも多い。今回の納期見積も、当初は「4月半ばには」と言われていたのが、大型連休明けになってしまった。
 このクライアントは、翻訳の納期に対しても結構柔軟に対応してくれるのでこちらとしては都合が良い。しかし、今回は案件の数が多くボリュームも大きいということもあってか、納期見積を出してから1週間経っても受注が確定しない。納期相見積ではなく失注するとも思えないのだが、聞いてみたらまだ発注準備ができていないらしい。
 こちらはといえば、大口が控えているせいで、他の取引先からの引合に対する態度が定まらない。小さいものは請けたが、ここでまた受注すれば半月から3週間はかかるという別の大口の引合があって、きわめて悩ましい事態になった。
 こういうこともあるクライアントであることは知っていたと言える。先方は、こちらの出した納期見積を、どちらかというと「所要期間見積」と理解しているようなフシがある。しかし、いざスタートというところでこっちが詰まっていたらどうすんの?と言いたい。こちらはやはり、ほぼ受注の構えになれば不義理はできないので他の案件の受注は基本的に控えるのに、納期見積を出してから1週間待たされるというのは今までなかったことだった。
 ここは、納期見積を提出する際には、「この納期見積は何月何日まで有効です」という風に、こっちが先方の決定を待てるリミットを設定しておくべきだったと思う。所要期間見積なら、受注時に納品日付をあらためて決定するということを念押しするべきだ。この取引先とは、関係が良好であるので、このような行き違いがあってもお互い理解し合って上手く落としどころを見つけることができる。この案件にしても、微調整を繰り返しながら、最終的に1ヶ月以上かけることのできる余裕のあるプランで、かなりの出来高になる案件が成約に至った。このような円満な結果に至ったのは、お互い遅滞のないコレスポンデンスを維持することが出来たからだと思う。問合せ事項があればすぐに答えが返ってくる、あるいは返す。これは基本的なビジネスマナーである。これが損なわれれば一気に信用がなくなるが、これが良好に維持できると信頼関係が深まる。

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2015年5月 8日 (金)

【Konkurrenzangebot】 相見積

Konkurrenzangebot(コンクーアレンツアンゲボート)(中):相見積 …… これは若干意訳なのだが、要するに競争するためのオファー、普通は競争価格ということだ。言葉の意味はどうであれ、本来「翻訳」という業務を発注するに際し「相見積」を取ろうとするのは、きわめて失礼で不明な行為である。もっと言えば、納入者に対し相見積を求めるのが失礼であるとも言えるか。


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ガイアの夜明けの再放送を見た。ホンダジェットの特集で、完成品メーカーの話ばかりではなく、部品メーカーの努力についても触れられていた。大きくスポットが当てられたのは、飛行機の脚の部品を繋ぐピンだった。ホンダに脚を納入する日本の大手メーカーが、さらに石川県の町工場にそのピンを発注している。外国製の同じ部品の場合、加工が粗く実用に耐えないものがあったことも紹介された。そして、やはり日本の町工場にということになった経緯が簡潔に述べられていた。
番組ではそのピンにメッキを施す会社の努力が詳しく取り上げられていた。最終的にこれで行こうというレベルのものが完成したところで、「脚」メーカーの担当者が「やはりここは日本の町工場の実力が~」と、品質を求めて国産品の部品を発注したのだということが酌み取れるコメントがあった。この番組では値段については触れられなかったようだが、割高になっていることは間違いなかろう。
この部品の発注で、相見積があったかどうかにも触れられていないが、番組を観て感じたところは、これはそのような値段の叩き合いに絡んでくるようなレベルの話ではなかったと筈だということだ。しかし、町工場の現実というものは甘くないと聞く。値段の叩き合いも熾烈なようだ。そして翻訳業界にも相見積というものが横行している。
相見積というのは同じ成果物が得られるということを前提としている筈だが、翻訳の場合これは100%無理である。違う人間が翻訳して同じ成果物ができるはずがない。同じレベルの、ということならまだ理屈は通るかも知れないが、誰もが得たいと願っている「良い翻訳成果物」を提供してくれるような翻訳者は、すでに客が付いているであろうから、相見積には応じないか、あるいは義理もあるし無視もできないという場合、見積は出しても(依頼者から見て)競争する気のないような値段の見積しか出てこないはずだと思う。
相見積というのはソースクライアントが取次に対して持ちかけるものと認識しているが、翻訳を相見積にかけるというのは不見識の極みというものだ。要するに「いちばん安いところと取引をします」と言っているわけだが、その裏には「翻訳なんて、言葉入れ替えるだけなんだから、誰がやっても同じだろ」というような不見識が見え隠れして(ただの考え過ぎなら良いが)嘆かわしい。値段を叩けばそれなりの成果物しか得られないということを発注者は覚悟しておくべきだろう。

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2015年4月30日 (木)

【Steckerleiste】 テーブルタップ

Steckerleiste(シュテッカーライステ)(女):テーブルタップ …… テーブルタップとは和製英語で、英語ではpower stripと言う。電源タップと呼ばれることも多い。延長コードの進化形であると言える。しかし、ドイツ語のLeisteや英語のstripは「細長いもの」を表すので(この場合はソケットが列になっていること)、旧来の延長コードとは一線を画していると思う。

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 昨日夕方、テーブルタップが逝った。エプソンの新しいドライバをダウンロードした後、本機を立ち上げようと机の下に潜り込んでプリンタのプラグを差し込んだ。そして浮かび上がってきたら第2ディスプレイが落ちていた。スイッチを入れ直しても応答なし。良く見ると、外付けHDDも眠っている。ノートPCは起きている。ふと思いついて、バッテリを確認してみると、バッテリ作動モードになっており、残量も少し減っていた。前からテーブルタップの通電ランプが点滅したり消灯したりしていて、いつかは交換しなければと思っていたことも思い出した。先日IKEAで買ってきたばかりの(壊れているはずのない)LEDライトを繋いでみると、やはりこのテーブルタップが逝っているのが確認できた。ここまで5分もかかってしまった。で、これは捨ててはおけないので早速近くののケーズデンキに行って、雷ガード付きのテーブルタップを買って来た。当然だが、接続しなおした各種機器は正常に作動している。丁度小口の案件を取引先に納品した直後で、特別大事に至らなくて良かった。
 わたしは東京オリンピックを微かに覚えている年代だ。わたしが長じるとともに、電気関連のさまざまな「もの」達も長じてきた。すなわちほぼ歩みを共にしてきたのであり、その進化をこの目で見てきたのである。わたしが幼い頃のテレビは四つ脚のテレビであり、家の固定電話は黒電話だった。電話のある家とない家があり、電話のある家は近所の電話のない家の受信代行を(呼び出しと言った)善意で受け持ったりしていた。洗濯機にはまだ脱水槽がなく、ローラーにかけて絞っていた。冷蔵庫はすぐに霜が付き、時折中身を全部出して半日掛けて霜取りをしたりしていた。今の標準から言えば、大変なローテクなのだが、当時はこのような家電が生活の中の花形であり、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器と呼ばれた。そんな時代を通して、延長コードというものが生まれ、進化し、現在では雷ガード、オン/オフスイッチ(全体または個別)、抜け防止などさまざまな機能が付加されてきた。これらはこれからもずっと進化し続けるだろう。
 一方、これらとともに長じてきた筈のわたしは、そろそろ、「うかうかしていると進化が止まる」年齢に差し掛かりつつある。新しいものに受け身で呑み込まれるのは嫌だが、主体的に使いこなして行かなければ「現役」であり続けることはできない。現在のわたしの暮らし方では、ガラパゴス携帯で十分なのだが、国内メーカーが生産中止するというニュースも流れたし、ここはひとつ最新のスマートフォンに切り替えてみようか。


と思ったら、丁度今日、ドコモがガラ携を継続するというニュースがあった。ますます、悩ましい ^^;

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2014年5月11日 (日)

【Chor】 合唱

Chor(コーア)(男):合唱 …… 複数のパートからなる、人間の声による音楽の表現形態のひとつ。複数の人が同じパートを歌う。これに対し複数の人がひとつのパートを歌うことは斉唱であり、一人がひとつのパートを歌うのは独唱である。複数のパートからなるが、ひとつのパートをひとりが歌う場合は重唱という。合唱をすると幸せになる。手のひらのしわとしわを合わせて幸せ、あ、これは合掌。南~~無~~。

 

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わたしは合唱が好きである。歌うのも聴くのも大好きだ。

中学生の頃に某大学のグリークラブ歌声を聞いて、突然目覚めて、たまたまではあるがその大学に進んでそのグリークラブに入り、
4年間どっぷり浸かって過ごした。それから社会人になり、歌う機会は激減したが休眠したり復帰したりを繰り返し、日本の合唱団はもちろんのこと、ドイツの合唱団でも歌った。男声合唱団でも歌い、混声合唱団でも歌った。まだ女声合唱団で歌ったことがないので、「何でもやった」とは言えないのが悔しい。「歌えるわけないやろ!」と突っ込んでくれたあなたに言っておくが、これは希ではあるが可能なのだ。カウンターテナーという手がある(米良美一さんのような発声をするということ)。ただし、演奏会では楽屋が与えられない可能性がある。所属する団のユニフォームも多分似合わないだろう。団内でいじめられる可能性すらある。

大学生の頃は、世の中には音楽大学というものがあり、そこにはとてつもなく歌の上手い人が大勢いるらしいことも聞いていた。しかし、「合唱を歌わせたらぼくらも負けてへん」と本気で思っていた。確かにアマチュアが時々奇跡のような演奏をすることはあるので、あながち嘘でもないのではあるが、やはり鍛え方が違う。ただ、プロの声楽家、あるいはそのために学んでいる人が皆合唱が上手いというわけでもない。別な言い方をすれば、プロを集めてきたらそれだけで良い合唱になると言うわけではない。合唱には合唱なりの勘所があり、十分な発声の訓練を積んだ人でも、この辺を意識しないと合唱としてはつまらないものになることがある。しかし、しっかり訓練を積んだ人が真剣に合唱と取り組んだらすごいことになる。

訓練を積んだ人は、声を聞けばもちろんだが、見ているだけでもぴんとくるものがある。立ち姿勢と口の開き方、そして表情あたりに訓練の成果が現れているようにわたしは思う。歌と真剣に取り組んできた人が、真剣に歌う姿は美しい。真剣に歌うというのは、決して眉間に皺寄せてカラダをかちかちにして歌うことではないのはもちろんだ。その歌を真剣に表現している姿と言う意味で言っている。合唱だから個人個人の声はあまり聞こえない(たまに聞こえる
^m^)が、姿から聞こえてくるものがある。付け焼き刃ではない基礎の確かさは、それだけでも、触れて心地の良いものだ。

わたし自身は、そのような姿を観、音を聴き、愛でるだけのオッさんであるのが、ちょっと悔しい。来世があれば、
Musikanteになりたい。

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