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2006年5月29日 (月)

【Fortsetzung】

Fortsetzung(フォルトゼッツング)(女):続き、続編、継続、続行など。Fortsetzung folgt(フォルトゼッツング フォルクト)で「以下次号」、「つづく」 連載ものの記事などの終わりにくっつける。

(前回の日記の続き)

父の実家から1時間ほど離れた街にいる知人の話である。

わたしよりもひと回りほど年上のご婦人で、仮に久野さんとする。久野さんのご主人はやはり、ロス女史の母親と同じように脳溢血で倒れて、病院で寝たきりになっていた。奥さんは、工場のラインで製品検査の仕事をパートでしながら生計を立てていた。毎日仕事が終わってから、原付を飛ばして病院に駆けつけ、体の自由のきかない夫とのひとときを過ごし、そして帰宅、出勤、病院の繰り返しの毎日だった。実に大変だったと思う。

ご主人が倒れたときは、医師から「半年ぐらいでしょう」と言われた。しかし、何故か持ちこたえて、いつしか入院してから1年半にもなっていた。実はこのご主人、年は可成り離れてはいるけれど、わたしの大学の先輩であって、一度お見舞いに伺ったことがある。大柄な人で、ベッドが窮屈そうだった。意識はあるようだけれど、口はきけないし、そもそも生きる希望をなくしている様子で、話しかけても何の反応もない状態だった。

わたしの記憶が正しければ、このご主人は大正生まれで、かなりの関白亭主だったそうだ。大学を出て、新聞記者になり、1冊だけだが著書も上梓して、落選したがどこかで選挙にも打って出たという人だ。ひとかどの人であった。だから(?)、頑固者で人と衝突することもしばしばだったらしい。

奥さんはごく普通の「関西系のおばちゃん」で、わたしからすれば、いちいちモードチェンジしなくても会話の出来る人であった(笑)。可成り年の離れたご夫婦で、突っ込んで聞いたことはなかったが、ご主人は再婚なのだろう。まさに、ご主人と細君という感じのご夫婦だったと聞いた。

病室では、元気だった頃の思い出話を話してくれた。元気だった話、独善的だった話、etc・・・そして、「それが今はこんなことになってねぇ」と、嘆きでも愚痴でもない、乾いた感じのお話しにわたしは相づちを打っていた。

ある日、この奥さんがわたしに言った。

「うちの人がこの間、初めてわたしにお礼を言うてくれたんですぅ~」

「あ、口きかはったんですか?」

「いつもすまんなあ、ありがとう、ってね」

「へえ、良かったですね」

「はいもう、今までの苦労が吹っ飛びましたわぁ!」

「ありがとう」のひと言で借りが全部返せたのなら、安い話だが(笑)。でも、奥さんは嬉しそうだった。本当に、今までの、元気だった頃を含めての「いろいろ」がこのひと言で吹っ飛んだような感じだった。そして、それから1週間ほどして、久野さんのご主人は亡くなられた。最後にこのひと言を言わなければならなかったのではないかと思わずにはいられないタイミングだった。

昨日書いたキュープラー・ロス女史のお母さんや、この久野氏の人生を否定するような気持ちで書いたのではない。誰でも、若くて元気な頃は、自信満々で少々肩肘も張って、突っ張ったり突っ張られたりして生きてきて、歳を取っていたわられる立場になってから、何か・・・中和するとでも言うのか・・・人としてのバランスを取るための相に入っていくと言うのか・・・まとめに入るとでも言うのか・・・?

上手く表現できないが、人の一生というのは決して偶然の連鎖ではないと思わずにはいられないのである。

(おしまい)

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コメント

私もそう思います。偶然の連鎖ではないと思います。人生で出会うどんな人にもどんな物事にもすべて意味があると思います。・・・意外に苦労している私?!(^^)

投稿: かっ♪ぱ | 2006年5月30日 (火) 17時42分

かっ♪ぱさん

お久しぶりです♪
そうですよね、経験することも、出会う人、あるいは犬、ねこ、あるいは河童(?)に至るまで(笑)、何らかの意味がありそうですね。

苦労はいつか報われますよ♪

投稿: 樅の木 | 2006年5月30日 (火) 19時50分

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