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2006年5月 3日 (水)

【Schulunterricht】

Schulunterricht (シュールウンターリヒト) (男):学校の授業 ・・・・・ 学校の授業は大切なものである。しかし、それを授ける教師の質によっては唾棄すべきものにもなる。これは、語学に限らない。

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学校に通っていたのは随分昔のことだ。どれくらい前のことになるかというと、もう両手両足を使っても足りないので数えることが出来ない。そんなわけで、いま学校での英語の授業がどんなものなのかさっぱりわからないのだが・・・・・

巷には語学・翻訳スクールが沢山ある。わたしも、某有名スクールでの通信講座(E)を受けたし、通訳ガイド(D)を受験するときは某無名スクールに通学した。これは良いものである。学校の授業では教えてもらえないことを沢山教えてもらえる。

そういう界隈では、学校の授業での「翻訳」に関する批判的意見を聞くことが多い。実際、学校の授業でやっているような訳文を書いていたらお話しにならないことも多々ある。が、これは致し方ないことではないのかな?

学校の英語の授業、わたしが学校に通っていた頃は文法と読本がほとんどで、「視聴覚」と呼ばれていたあの系統の授業は、ほんとつけ合わせ程度だった。で、文法や読本の授業で「この英文を訳しなさい」と言われた場合、これは「翻訳しろ」と言われているのではない。文法や読本の授業では、文法的事項をマスターすること、あるいは長文の読解の仕方をマスターすることが主眼であるので、授業中に「訳せ」と言われるのは、「この文章から自分が理解した内容をもれなく反映させた日本語で、あなたがどう理解したかを先生に伝えなさい」と言うことである。それが授業の目的だから、生徒はそのようにしなければならない。

別の言葉で言うならば、この場合はまだ「インプットされた内容を伝える」ことが求められている。読解というのは、インプットである。インプットされた情報を適切に処理して、新しい情報にしてアウトプットするのが翻訳である。インプットとアウトプットであるから、これはまったく異なった性質の作業である。だから、授業では翻訳することは求められていない。文法や読本の授業では「翻訳する」必用がない。ということは、授業では「翻訳の仕方」など教えてもらえないし、それが当たり前だと思う。学校での授業が「間違い」というわけではない。ただ、「あれ」を「翻訳」だと思いこませるのが問題なだけだ。学校の授業に、「文法」や「読本」に加えて「翻訳」の授業があれば面白いと思う。そうすれば、翻訳とは(読解が問題ないという前提において)アウトプットであるから、外国語と言うよりは日本語の問題である(部分が多い)と理解できる人も増えるだろう。

語学スクールの宣伝文句の中には、学校の授業をスケープゴートにしているようなニュアンスを感じさせるものが時々見られ、釈然としない感じがする。

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コメント

クライアントが日本の外にあると言うことは、彼らにはGWがないと言うことを意味する・・・・・_| ̄|○

ちょい急ぎ案件。エージェントの担当者さんは、自宅に転送しさせたメールから、遠隔操作で発注の模様。

きょうの練習、どうなることか・・・・・

投稿: 樅の木 | 2006年5月 3日 (水) 14時20分

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