« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »

2006年6月28日 (水)

【Elefant】

Elefant (エレファント)():ゾウ(象)

今、ブログのタイトルになっている ”Elefant im Porzellanladen” とは、そのままだと「磁器店の中にいるゾウ」→「瀬戸物屋に迷い込んだゾウ」となり、これは「不器用なためにやることなすことぶち壊してしまう人」のことを言う。

Porzellan zerschlagen で「磁器を破壊する」→「慎重さを欠いた言動でぶち壊しになるようなことをする、無用のトラブルを起こす」という表現もある。

似たようなことを表しているけれど、Elefantが入っていると、どこか柔らかく響く。ま、ゾウが瀬戸物屋に迷い込んできたら、物が壊れて当たり前だ。「悪気はないらしいけど、仕方ないな~」っていうニュアンスがあるのだろうか???

わたしはこの表現が好きで、ドイツにいた頃日常でよく使っていた。他にも笑える表現を見つけると、すぐに実地で使って試してみたりしたものだった。

そう、わたしはドイツ語でも好んで「おちゃらけ」を書いたり語ったりしていたのである。よくお世話になっていた旅行代理店(ま、JTBだが)に、チケットその他の手配を頼むときなど、細かいことをいろいろと注文するので、わかりやすく見やすい文書にしてFaxするのだが、その時必ずA41枚分は「おちゃらけ」に費やしていた。今のように、「ブログ」などなかった時代である。彼らはわたしの餌食であった(爆)。こっちは客だし、それに向こうも結構「楽しみ」にしてくれていたらしい♪

さて、そのドイツ生活の最後、別れの宴やら引き継ぎの事務など、なんだかんだで2日間徹夜でわたしはへろへろだった。そして、フランクフルトから日本へ向かう。帰りの便も、なかなか空きがなかったところ、現地のJTBのおなじみのベラ・ファイラーさんのウルトラCでチケットを確保してもらった。フランクフルトからパリまでエールフランスで飛び、パリからは全日空で成田までという組み合わせ。当時はまだ、違う航空会社のカップリングは珍しかったのに、上手くやってくれたと思う。

ところで、フランクフルトのエールフランスの窓口で、先方のミスによるトラブルがあり、わたしは素晴らしく怒った。2日間徹夜の疲れで大人の振るまいが出来なかった。それに、窓口のフランス女も完璧に無礼であった。結局、わたしのドイツ最後のシーンは、空港カウンターで罵り合いだったのである。10年以上にも及ぶドイツ滞在の成果として、あらん限りの罵倒をドイツ語で浴びせた。今は笑えるが、当時は本気で怒った。エールフランスに怒りのFaxを送ったぐらいだ。日本のブランチから詫びの電話が入った(笑)。

ハプニングはそれだけではない。

今度は飛行機が飛ばないのだ。皆さんもご存知と思うが、飛行機は飛んでナンボである。それが飛ばないのだ。3時間待ってもまだうんともすんとも言わない。羽ばたきもしない。その時わたしは気付いた。パリで全日空に、すなわち別の航空会社に乗り継ぐと言うことを。

同じ航空会社なら、乗り継ぎ客の便宜を考えてくれるのだが、別の会社だとそうも行かない。特に片方がエールフランスなのだから、便宜を図って貰える希望はほとんどない(この日の出来事以来、わたしはアンチエールフランスである)。そこでわたしは藁にもすがる気持ちでJTBに電話した。

「ファイラーさん、飛行機飛べへんねん!どないしょ~?(ToT)

「飛んで!とにかく飛んで、パリまで!あとは何とかするからっ!」

はっきりきっぱり言ってくれた。それで少し安心して、わたしは飛行機が目を覚ますのを待った。

結局、飛行機は5時間遅れて出発した。

シャルル・ド・ゴール空港にも何故か5時間遅れて到着した。出発が5時間遅れただけでもうんざりなのに、到着まで5時間遅れて、わたしはもうすっかりふて腐れていた。

わたしと同じようにふて腐れた乗客と一緒に、とぼとぼと出口へ向かう。そして、この忌まわしい飛行機から一歩足を踏み出したとき、わたしの名を呼ばわる声がした:

「ムシュゥ マツゥイ~?」

何者だっ!わたしを捕まえに来たヤツは?

彼は全日空のフランス人社員であった。ファイラーさんが手を回してくれていたらしい。彼はこの後英語でゆっくり説明してくれた。

「ヒコウキガマテイマス。ワタシトイショニキテクダサイ。ニモツノコトモダイジョブデスカラ。」

わたしは、彼にくっついて整備係用のタラップを降りて、そのまま(この寝坊の)飛行機の足もとに降りて、全日空が手配した車に乗り込んだ。飛行機のお尻の方では、全日空のロゴの入った車が横付けされている。どうやらわたしの荷物を最優先でさがしてくれているらしい。

わたしを乗せた全日空の車は、エプロンから出発ゲートまで、風になった。その後ろを荷物車が追走する。着いた先には、わたしが乗る予定の全日空○○○便が、2時間ぐらい足止めされていた。ファイラーさんが、なんと飛行機を止めてくれたのだった。頭でもポカッとやって気絶させたのかも知れない。たったひとりの乗客のために待ってくれる全日空も、さすが日本企業であるが、いざというときそういう無理が利く日頃の仕事をしていたJTBさん、ひいてはファイラーさんのファインプレーというか、ウルトラCだった。なんとありがたい!(他の乗客の皆さんは迷惑だったと思うが・・・・・-.-;

一瞬、恋に墜ちた。ファイラーさんに(爆)。

もし彼女がわたしの目の前にいたら、わたしは間違いなく食べてしまっていたと思う(再爆)。

日本に帰ってから、フランクフルトのJTBにことの経過を詳しく書いて、JTBさんと、ファイラーさんへの感謝、そしてエールフランスへの怨嗟の声をFaxで送った。そのFaxに書いた1行、”Ich war beinahe in Sie verliebt sein, Frau Feiler! (ぼくはもう、すんでの所であなたに惚れちゃうところでしたよ、ファイラーさん!)これが、わたしがドイツ語で書いた最後の「おちゃらけ」になった。後日、ファイラーさんがえらく喜んでいた、というか「ウケていた」と人づてに聞いた(^m^)。

それにしても、自分の運命を人の手に委ねることなど、滅多にないことなのだと言うことを思った。これは不安なものだ。そしてそれが上手く行ったときは、感謝以外の何ものでもない。

10年以上のドイツ滞在の最後のシーンが、フランス人女とのドイツ語による罵倒合戦に終わったのは、何とも不徳の致すところと思うのだけれど、最後の最後、ドイツ人と日本企業に助けて貰った。アクシデントのお陰で、最後の最後に感謝がいっそう強まった。汚れ役のフランス人女性にも「ありがとう」だ、こうなったら(笑)。

でもね・・・・最後の最後でこんなドタバタになってしまうなんて、わたしもきっとどこか、Elefant im Porzellanladenなんだなあ、と思うのであった。

おしまい

| | コメント (6)

2006年6月23日 (金)

【Die Zauberfloete】

Die Zauberfloete (ディー ツァウバーフレーテ)(女):魔笛。言わずと知れた、Mozartのオペラ♪

昨夜、ちっとも眠くならないので、「ままよ」と、眠くなるまで仕事、と思ってやっていたら朝になっていた。お陰で今日は余裕で仕上げ、明日朝一番の予定のところ夕方に納品することが出来た。

すると、よくしたもので、Amaonに注文していたDVDが着いたので、ゆっくり鑑賞した。それが、表題の「魔笛」。

1991年、メトロポリタン歌劇場でのライブもので、指揮はジェイムズ・レヴァイン(サイババに激似?)、キャスリーン・バトル(パミーナ)、フランシスコ・アライサ(タミーノ)、クルト・モル(ザラストロ)、マンフレート・ヘム(パパゲーノ…せんだみつお似?)、ルチアーナ・セッラ(夜の女王)などの配役。

思えば、オペラを全曲通しで聴くなんて、素晴らしく久しぶりである。記憶を辿っていくと、ドイツ時代に遡る。それだけで、もうどれだけご無沙汰だったかわかろうと言うものだ。わかるのはわたしだけだが。当時住んでいたところから、車で小一時間ぐらいのところにマンハイムという街があり(多少バッハにも縁がある)、そこにある劇場によく通った。確か40マルク(3000円前後?)ぐらいで聴けたのが有り難かった。で、それ以来だ。まだユーロ導入なんて話題にもなっていなかった頃、大昔・・・・・

学生時代の男声合唱で、この魔笛の僧侶の合唱をやったことがある。この曲だけは知っていた(喉が)。耳が知っていた曲はもう少しあるが・・・・・(^^)

細かい感想を言えばきりがないが、ひと言で言うと堪能した。ちょうどタイトな仕事(達)がひと山越えたところで、気分的にパサついていたところに、上手い具合にDVDが到着したものだ。かなり潤ったかも♪

オペラを観ていつも「いいな~」と思うのがカーテンコールである。音楽の方ももちろんなのだが・・・^^;

演目が終わったら、「幕が引かれてそれで終わり」なのだけれど、幕は引かれても続きがある。引いた幕から出演者が出てきて、楽しかった一夜の締めくくりをしてくれるあのひとときが、わたしは好きだ。わずかな時間ではあるけれど、幕を引いた後からプレイバックを楽しませてもらっているような気がする。演劇でもなんでも、「表現」することを生業にしているひとには「華」がある。華のある人は素敵だし、人の華を見させてもらうのは楽しいことだ。そのカーテンコールも終わって、いよいよ本当に終わり、という段になって、名残は惜しいけれど良い想い出が出来たなと、感謝しながら家路についたこと幾度と知れず・・・・・

どこかに観に行きたくなってしまった♪

| | コメント (6)

2006年6月18日 (日)

【Fliegenklatsche】

Fliegenklatsche(フリーゲンクラッチェ)(女):ハエ叩き

前回の日記【Fliege】の続き

これは本当の話である。

ハエも、自分の目の前で同胞が次々に殺されるのを見て、さすがにわたしに対して「敵意」を覚えたものと見える。わたしに向かって、一直線に、フルスロットルで飛んできたのだ。「死ねやぁ~!」と叫びながら(?)。

ひゅうっ!

ドイツ製ハエ叩きが風を切る音が部屋に響いた・・・・・

時は7月。まだまだ日が長い時期。ようやく陽が傾いてきた時刻、近隣の家が窓のシャッターを降ろす音がかすかに聞こえる。

西日を受けて、哀れ最後の1匹は床の上で断末魔の声を上げていた。飛行中のハエを一撃で仕留めたことなど後にも先にもこれっきりしかない。20世紀最初で最後の名勝負であった。

部屋の床には、わたしが撃墜した「敵」が散らばっていた。死屍累々とはまさにこのことか。戦後処理を行い、そして最後に呟いた:「今日はこれくらいにしといたるわ・・・・・」

時は移り、世紀も変わった20066月某日。

わたしの仕事部屋を1匹のハエが飛び回っていた。しかし、ここで闘うわけにはいかない。わたしには仕事がある。それもえらくタイトなやつが。ハエはわたしを挑発するように跳び続けるが、自宅で仕事をする人間も居るのだと言うことを彼らは知らない。

「勝手に飛んどれ。」

わたしは、ひと言だけ言って仕事を続けた。

3日後、彼は本棚の陰から遺体で発見された。相手にして貰えないので自決したのかも知れない。

わたしは闘わずして勝利をおさめたのであった。これを人間的成長と言わずして何と言おう。呵々。

樅の木注:まあつまり、部屋の隅からハエの遺体が出てきた折りに、10数年前の大立ち回りを思いだしただけのことなんですが・・・・・そこからこぼれてきたオハナシ。納期前のアタマは、どこか妙な方向に回転するようです。

| | コメント (8)

2006年6月17日 (土)

【Fliege】

Fliege(フリーゲ)(女):ハエ

ハエの他にも「ハエの形をしたもの」、例えば蝶ネクタイや皇帝ヒゲなどもFliegeと言う(似てるのか?)。ハエ座という星座もあるらしい。はぇ~。

最近、だんだん暑くなってきて、たまにエアコンのスイッチを入れることがある。わたしは冬に生まれたせいか、暑さと美人に弱い。今時のドイツがどうなのか知らないが、わたしが住んでいた頃、ドイツの普通の家にはエアコン、すなわちルームクーラーというものが存在しなかった。自動車ですら、わたしが買って乗るような年式の古いもの(ビンボーだったからなあ・・・)にはエアコンなど付いていなかった。

つまり、そんなに暑い国ではなかったのだ。わたしの住んでいたのはBaden-Wuerttemberg州のLandkreis Karlsruhe で、ライン河の流域だと言うこともあり、ドイツでは最も気候の穏やか(=暖か)な地域だったが、それでも夏場は部屋の窓をKippen(傾ける)するだけで足りた。後に、40℃を超えるような猛暑も体験するのだが、それも突然変異のようなもので、家にエアコンを装備するという発想はなかったと思う。

窓を傾けるというのは、日本人には「?」だと思うが、窓枠のレバー操作によってヒンジ(?)のかかり具合が変わり、窓の上部が10°か15°ぐらい外側に向かって開くようになるのだ。この程度の開き方なら、人が侵入してくることもない。まあ、この状態で雨でも降ってきたら大変だが、換気には最適だ。しかし、換気をすると、フレッシュ エア以外のものも入ってくる。はい。表題のFliegeなどがその代表。

ドイツという国は、実は結構ハエの数が多い。どこかの店で昔懐かしい「蠅取り紙」を買ってきた記憶もあるぐらいだ。

ある時、部屋の中をハエが10匹ぐらい編隊を組んで飛行しているのに出くわしたことがあった。軍用機の頭上を低空飛行するのに出くわすことはよくあったが、平和に暮らしている人間の住む室内で、ハエに軍事訓練をされる筋合いはない。この領空侵犯とでも言うべき行為に対し、わたしは自衛力を行使した。

武器はハエ叩き1本。

日本仕様もドイツ仕様も基本的に同じなので、迅速に迎撃することが出来た。これが缶切りだったりすると、話は違ってくるのだが、缶切りでハエと闘うのは、戦術的に妥当でなかった。わたしは、ドイツ製のハエ叩きを使って、またたく間に9匹撃墜した。しかし、残りの1機がしぶとい。闘いは長期戦の様相を呈してきた。わたしは、窓を閉じ、部屋の扉を閉め彼の退路を断った上で、ビールを飲んでエネルギーを充填した。

その間、奴は天井の隅っこで恐怖におののいていた。わたしが、エネルギーを補充し終えて「よっしゃぁ!」と言って立ち上がったとき、奴も覚悟を決めた。パッと飛び立ち、一度部屋の反対側のコーナーまで行き、そこから助走(と言うのか?)を付けて、わたしの方に真っ直ぐにフルスロットルで飛んできたのだ。

特攻だ!

(おぬし、腹を決めたか・・・・・)

ならば、と、わたしは、正眼に構えていた武器を上段に構え直して奴を待ち受けた。この時、わたしは「武蔵」であった。

(つづく)

樅の木注:本当は、いま、超~忙しいのです。月曜の朝一番で納品する仕事があるし、火曜日の朝一番のも控えてるし・・・・・だから、日曜日にあるという「つくば○○○○合唱団」の委員会の出席も危ぶまれているのに・・・・・でもですね、これはほんの気分転換でして、ネタを思いついたら10分もかからずに書けるんですから、サボってるわけじゃないんで・・・・・・って、誰もそんなこと聞いてない。そうですか・・・・・

| | コメント (2)

2006年6月13日 (火)

【Benjamin】

Benjamin(ベンヤミン)(人名):ベンヤミン。英語読みだとベンジャミン。聖書にもベニヤミンなどという表記で登場する。ヤコブの末子であり、最年少者や末の息子を指してBenjaminと言うこともあるらしい。

わたしは、人の名前に結構興味があって、そのせいか昔から人の名前は覚えるのが早かった(と言われていた)。それはドイツに行っても同じで、人の名前は1回会えば覚えていたりしたので、その点で得したこともあったりする♪この表題のBenjaminというのは、わたしにとってはどこか耳触りの良い名前で、理屈でなく「好き」な名前のひとつだ。

さて、ドイツの知人の息子でBenjaminくんが居た。当時はまだ小さかった。3才か4才かぐらいだった。

ある時、そのBenjaminくんのお母さんを含めて数名で、別の知人宅を訪問していたときのこと。Benjaminくんがトイレに行くと言う。お母さんが一緒に行こうとしたら、彼は「Ich kann allein~!(ひとりで出来るぅ~!)」とお怒りのご様子。結局、お母さんがドアの外で待って、Benjaminくんはひとりでトイレに入っていった。

わたしが4才の頃の記憶では、「ひとりでトイレ」はOKだったような気がするのだが、他人の家でもあるし、もっと別な理由があったのかも知れない。(まあ、わたしがご幼少の頃は、いわゆる「ぽっ○ん」だったから、簡単だったのだが・・・)

しばらくすると、お母さんがしきりに息子の名前を呼んでいる。

「ちょっと、いつまで入ってるの?もう済んだでしょ?出てらっしゃい!」

トイレからはなにやら聞き取りにくい返事が返ってくる。彼が出てくる気配はない。

「ちょっと、Benjamin!あなたIngeの家のトイレに住むつもり?出てらっしゃい!!」

Benjaminの返事は一向に何が言いたいのかわからない。泣いているらしい。そして、やっと聞き取れた返事:

「Es geht njet!(ドアが開かないよ~!)」

大人の真似をして、トイレに入って鍵をかけてひとりで用を足して出てきたかったのだろうか。他人の家で、ちょっと格好つけたかったのかもしれない。しかし、自分でかけた鍵が開けられなくなったのだ。自分の家のトイレとは仕様が違うだろうしね・・・・・

そうなると、お母さんが慌て始めた。皆がわらわらとトイレ前に集合する。

「か、鍵が・・・・・」

母は狼狽える。そこでわたしが日本人の名誉のために、お助けさせて頂いた。

「お金が必用ですが」

「い、いくら?」

「1ペニヒありますか?」-----(1ペニヒは当時のドイツ通貨の最小単位)

「1ペニヒ?足りるの、それで?」

「多分ね・・・」

そしてわたしは、1ペニヒ硬貨を受け取ると、ドアのノブの下についているスロットに硬化を挿入してくるっと回すと、ドアは開いた。ま、つまり、最近のトイレのドアは、こうすると外からも開くようになっているものが多いのだが、当時は少なかったのか?それともそんなこと誰も考えなかったのか?とにもかくにもBenjaminは無事に救出された。1ペニヒは返却された。安い救出費用だった。

「Benjamin、だから言ったでしょ!」

と、お母さんは恥ずかしいやら、腹立たしいやらで、お小言モードにはいる。Benjaminも負けてはいない。

「始めからそうするつもりだったんだってば!」

「泣いてたくせに!だったらもっと入ってる?おトイレの住民にでもなれば?」

「Es genuegt・・・(もう気が済んだ・・・)」

そして、みんなで「ほほほ」と笑った。

Benjamin くんが、「便所民」になったと言うオハナシでした。

m(_ _)m

| | コメント (9)

« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »