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2006年7月24日 (月)

【Verweile doch, du bist so schoen!】

Verweile doch, du bist so schoen! (フェアヴァイレ ドホ、ドゥ ビスト ゾー シェーン)():「とまれ、お前はとても美しい!」・・・・・GoetheFaustに出てくる有名な言葉。

ドイツ文学族(?)なら、おそらく誰でも知っていると思われるこの言葉。これは、メフィストが、ファウストの魂を得るために、ファウストに数々の楽しみ、目眩く想いを経験させ、ファウストがそれに魅せられて、表題のこの言葉を発したとき、ファウストの魂はメフィストの手に落ちる、という約束の言葉である。

劇中、ファウストはあの有名なグレートヒェンとの悲恋や、女神ヘレナとの恋、ブロッケン山での魔女のお祭り、あるいは戦争の片棒を担ぐなどいろいろな体験をするが、しぶとくこの言葉を口にしない。結局、化け物の助太刀で勝った戦争の報償としてもらった、決して肥沃とは言えない土地の領主として、その開墾の槌音を聞きながらこの言葉を口にする。

最後は、天使に邪魔されて、ファウストの魂はメフィストの手には落ちず、地獄ではなく天国に上って行き、そこで天国で贖罪中のグレートヒェンのもとにたどり着き、最後は「Das Ewig-Weibliche / Zieht uns hinan (永遠にして女性的なるもの / われらを引きて登らしむ) 」という有名な神秘の合唱で幕を閉じる。

「この言葉を発したら、魂が悪魔の手に落ちる」・・・・・

これは極めて劇的なエレメントである。ファウストは戯曲なのだから劇的で正しい(笑)。

その言葉が表題のこの言葉なのだが、ゲーテは何故この言葉をこの劇のキーワードにしたのだろう? などと想像することがよくある。陳腐な言葉になってしまうが、この言葉を発するときは、すなわち人生における「最高の瞬間」である。その「瞬間」に対して、「そのままでいてくれ」と願う・・・

「どういう時がこの最高の瞬間なのか?」、ならば、ゲーテの人生観、世界観がわかりやすく現れるところだ。そこに表現されたものが、ゲーテの考える最高の瞬間(のひとつ?)なのだと考えれば良いだろう。しかし、「それをどんな言葉で表すのか? それは何故?」、と言うことになると、本人に会って聞いてみるしかない。もしかすると、ゲーテ自身がそれについて書いたもの、あるいは言ったとされるものが残っているかも知れない。もしあれば、調べればわかる。なければ、いつまで経ってもわからない。「ない」と言うことを証明するのは難しい。

わたしの想像はこう。

おそらく、ゲーテ自身「この瞬間がいつまでもこのままとどまっていてくれたら・・・」と言うような想いを何度も味わっているのだろうと思う。しかしそれは叶わず、否応なく「その瞬間の続編」が始まる。

そもそも、続編というのは大抵前作を超えないことが多い。前作以上の感動を得るためには、続編から前作の倍以上の感動を感じなければ、そうは思えないのではないだろうか?ロッキーでもネバーエンディングストーリーでも、パートⅠがいちばんだったと思う。

続編のお陰で、最高の瞬間だったはずのものがそうでなくなったりしたかも知れない。その繰り返し(?)の中、ゲーテはめげずに次なる最高の瞬間を求めて駆け抜けて来たのではないだろうか? 文学でも、学問でも、政治でも、偉大な業績を残したし、女性に対しても情熱的で、70才の時に17才の少女ウルリーケに求婚して、実現しそうになったとか!いや、見習おうとは思わないが。上原謙じゃあるまいし(謎爆)。

最高の瞬間と、その続編による落胆を何度も経験した結果、「死ぬことこそが、最高の瞬間を止めることのできる唯一の方法なのだ」と言うような認識にたどり着いたのではないだろうか?

あるいは、ファウストの話には元の話があるので、この言葉もその元の話から拝借してきただけかも知れない。すべては調べればわかることだが、忙しい。なので、想像をめぐらすのだが、そう言う「瞬間」が結構楽しかったりする。止まれとは思わないが(笑)。

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ファウスト」カテゴリの記事

コメント

その「最高の瞬間」をとどめておくための方法のひとつに、文学があるのかな?って気がします。。。。。

投稿: バッカス | 2006年7月25日 (火) 09時55分

バッカスさん、

そうかも知れませんね。フィクションなら、どこかいちばん美しいところで終わらせることが出来るし、形にして残せるし。都合の悪いことは綺麗にして再生できるし(笑)。

投稿: 樅の木 | 2006年7月26日 (水) 09時37分

初めまして。現在、文章を書く修行をしております。
前述のことばが気になり、様々なサイトを調べていたところ偶然、こちらを拝見して感銘を受けました。
Verweile doch, du bist so schoen! と今叫ぶべきか否か、と常に迷える時が一番幸せなのでしょうか? まだまだって気がしております。考える参考になりました、本当にありがとうございました。

投稿: かつどん | 2012年12月15日 (土) 22時31分

かつどん様

コメントありがとうございます。随分昔に書いたことですが、お役に立てたのでしたら書いた甲斐もあるというものです。
文章を書く修行、しっかりとした実が成りますように。

投稿: 樅の木 | 2012年12月15日 (土) 23時22分

 私もネットのQ&Aでこちらのサイトを拝見し、納得いたしました。ありがとうございます。
 私はオペラが好きなのですが、最近昔のLPやCDに附いている訳文を改めて眺めて呆れることが多く、ネットで利用できるものを拝借して自分なりに作り直しております。呆れるというのは訳文が間違っているというのではなく(ドイツ語やイタリア語の訳し間違いが簡単にわかるはずはありませんから)、突っ込みどころ満載の日本語の文章についてです。そうして原文について辞書を引いてみると中にはとんでもない誤訳を発見したりします。
 翻訳というのは本当に難しいものだと思いますが、「時よとまれ~」も、多少意訳になってももう少し言っている内容が分かるような訳し方もあったのではないか、などと偉そうなことを考えてしまいました。意味は昔からおぼろげながらわかったつもりではいたのですが、「日本語としての語感」を含めて今一つ腑に落ちなかったものですから。
 貴サイト内をいろいろ拝見しております。

投稿: TG | 2013年8月22日 (木) 12時29分

TG様 ♪

最近ブログ管理をすっかり怠けておりまして、コメント頂いたことに気づきませんでした。たいへん失礼致しました。

オペラの訳詞は難物ですね。歌うことを前提としているので、高い音など特に母音を合わせたりとか、普通の翻訳ではしないような作業も入り込んでいるらしいです。あれはむしろ、語学の専門家と言うよりは、語学のできる音楽関係者が訳しているのではないかと勘ぐっています。^^

投稿: 樅の木 | 2013年8月30日 (金) 22時51分

歌うための翻訳は実質的に作詞ですね、きっと。多分、オペラも半分は詩のような台詞だと思いますから、それは仕方のないことだと思います。
ただCDの対訳は聴く人を対象にしているのですから、その内容がそれなりに分かればいいと思いますが、その訳自体が(少なくとも私から見て)日本語になっていない箇所が散見されるのです。文法上の誤りならともかく、何を言っているのかがさっぱりわからない。
聴きながら対訳を読んでも気持ちの大部分は耳に集中しますから気がつきませんが、改めて対訳だけを読んでみると、粗探しの格好の餌食です。最近はオペラを聴くよりパソコンの前で対訳を直す時間の方が多くなってしまいました。これがまたハマルんですね(こういう性格なんです)。
以前対訳を持っていないイタリア・バロックのオペラを英語経由で四苦八苦しながら訳したことがありますが、しばらくたってから見直したら自分の日本語のお粗末さ加減に呆れ果てたことがありますので、他人のことは言えないのですが。

投稿: TG | 2013年9月 1日 (日) 16時59分

オペラって聴きに来る人の大半は筋書き知っているし、気持ちよく歌えるとか好い声が出るような訳し方なんでしょう。整合性はなくても、リートなどの訳詞には良いものありますけどね。

投稿: 樅の木 | 2013年9月 4日 (水) 17時00分

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