« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006年10月30日 (月)

【Umzug】

Umzug (ウムツーク) (男):引っ越し ・・・・・ ブログを引っ越しました。同じココログですが、ココログフリーからココログベーシックに鞍替えです(^^;)

お年寄り、ぢゃなくて、お立ち寄りの皆さん、
この度、

http://kalauer.cocolog-nifty.com/

から引っ越して来ました。

これから体裁を整えます。旧ブログの本文はインポートできるらしいので、追い追いやっていきます。(→旧ブログの日記、および頂いたコメントはすべてこちらに読み込み完了しました。過去ログはすべてこちらでご覧いただけます。)

Nifty会員なのに会員用のココログでないココログフリーにしていたのは、アフィリエイトでもしようかな?と思ったからでしたが、結局アフィリエイトはやらなかったので、会員用のプログラムにします。

これに伴い、旧ブログは引っ越し告知用にしばらく置いておきますが、それから削除します。

********************(数時間経過)

そして、テンプレートには自分の手持ちの画像が使えるというので、SpitzwegのMandolinenlied(だったかな?)のコピーを使って自作してみました。こうなると、お仕着せのテンプレートもいいけど、自作のテンプレートもなかなかのものだ、とか思ったりするのでした。(^^)

| | コメント (19) | トラックバック (0)

2006年10月24日 (火)

【Frische Luft】

Frische Luft (フリッシェ・ルフト) (女):新鮮な空気 ・・・・・ 冬場、ドイツでは、暖房でもわっとなって淀んだ空気を入れ換えるために誰かが窓を開けてこの台詞を言うのです。まあ、外気だし新鮮ではあるだろうと思いますが、どっちかというと「Kalte Luft(つべたい空気)」ではないかと、思ったりしたものでした。

昨日あたりから涼しい。
今日はかなり涼しい。この雨が、冬を連れてくるのだろうか。少なくとも、秋の精は逃げていったような気がする。
階下の居間ではついにデロンギのパネルヒーターがスイッチオンされた。わたしは二階のフローリングの仕事部屋で洟をずるずる言わせながら、分厚い靴下を引っ張り出してきて穿いたところだ。スリッパははかない。椅子に座って胡座をかくときに邪魔だからだ。で、スリッパの代わりに厚手の靴下を穿く。「ワークマン」とかで売っているような半端でないヤツを。

わたしは、冬でも仕事中は極力暖房を入れない。眠くなるのだ。頭がボーっとするのだ。だから、少々寒くても服を着込んでしのぐ道を選ぶ。毛布で身体を簀巻きにしたこともある。とにかく頭のあたりが「Frische Luft」に触れていないと気がふれるのである(違。
同業者の皆さん、自宅で仕事をされる皆さんはどうされているのだろう?と、時々思う。

わたしの妻は、北海道、それも稚内出身という半端でないヤツなので、小さい頃から部屋の中を熱風が吹きすさぶ冬を生きてきたので、頭の周囲の空気がシンガポール状態になっても一向に平気らしい。信じられない。

そろそろ、そんな季節がまたやってくるのだなあ、と、ふと思った納期の狭間・・・・・

| | コメント (14)

2006年10月22日 (日)

【Zum Griechen gehen! - Gyros】

Zum Griechen gehen!
Gyros (ギュロス):ギュロス ・・・・・ 有名なギリシャ料理のひとつ。ギリシャでは「ギロ」と呼ばれているらしい。

昔住んでいた街で、我が家(部屋)のすぐそばに、ギリシャレストランができたので、行ってみた。その前に、「ギリシャレ料理なら「ギュロス」が美味しいわよ」と、教えてくれた人がいたので、迷わずギュロスを注文した。それを待っている間にウーゾと出逢ってしまったことは、先回の日記に書いた。人が相手の場合でも、会いに行った目的の人より、応対に出てきた人の方がどっちかというと運命の出逢いなのではないか?と思われるようなケースがあるらしいと聞いている。いや、ギュロスはもちろん期待通りだったが、ウーゾという強力な対抗馬が現れて、ギリシャレストランにおけるわたしの身の処し方には、極めて微妙なものが発生したのであった。が、まあ、閑話休題。

Grieche_gyros ギュロスとは、肉料理である。たぶん豚だ。この写真のように、1mぐらいの高さの肉柱(ディスク状の肉を積み重ねたもの)をヒーターの前で回して焼く。そして、焼けた分から刀で削ぎ落として食べるのだ。これは、トルコ系のインビスではケバブとかデルナー、あるいはユフカというものにも使われる焼き方である。ギリシャ、トルコあたりのローカルな方法なのだろうか?こうして焼くと、脂が流れ落ちるので、肉としては結構ヘルシーな食べ方だと思う。しかし、焼く前にしっかりと下味が付いているので、特に「濃い~の」が好きなわたしには「美味」である。

Grieche_gyros2 初めて食べたときは、「ずいぶんパサパサした肉だなあ」と思ったけれど、味付けも好みで、しかも肉がすでに食べやすい大きさの塊になっているので、随分と気楽に食べることができてゼーア グートであった。この写真ではフライドポテトが付いていたりするが、わたしの行きつけのレストランでは、葉っぱが少しとサワーチーズにオリーブの実、それからケチャップライスなどがつけ合わせでついていた。

このレストランでは、「ロードス」というギリシャワインが飲めた。このギリシャワインは、安物である。店のワインのラインナップの中でもいちばん安い。しかし、これがわたしの好みに合ったので、いつもこの「ロードス」ばかり飲んでいた。デカンタで。安あがりな男だ(爆)。いえいえ、多くのギリシャ・ワインの赤は甘いのが多くて「ちょっと堪忍してぇな」という感じだったのだが、このロードスはフルーティーな味わいで、沢山飲んでも平気なのだった(甘いのを沢山飲んだら悪酔いしそうで・・・)。

ギリシャレストランの店内は、大抵明るい色彩の絵で飾られ、ギリシャのフォルクローレと思しきBGMが流れている。ものを食べるのには良い環境だと思う。日本でもあれば行きたいのだが、残念なことに川越あたりにあった「タベルナ・ヨルゴス」というレストランが閉店したそうで、似たようなものを食べたければトルコ系のインビスでも探すしかないようである。

日本で探すより、ふらっとドイツに行く方が早いかな?

| | コメント (7)

2006年10月12日 (木)

【Zum Griechen gehen! - Ouzo】

Zum Griechen gehen (ツム グリーヒェン ゲーエン )(文):ギリシャ料理食べに行こう! ・・・・・ 「違うやろ~?」と思われた方、あなたは正しい(と思う)。在独中、ドイツ人の友人達とギリシャ料理店に行くとき、決まって誰かがこう叫んだものだった。これだと、「ギリシャ人のところに行こう!」ってことだろうけど、「ギリシャ人の居るとこ」=それは当然レストランなのだった。

OUZO

これは、昔Mxiでも書いたことなのだが、しばらく前にセバプチチのことを書いて思い出してしまったのだった。「美味しかった」と言うことを・・・・・・

ドイツにはどんな街にも必ずと言って良いほどギリシャレストランがある。かつて労働力として、国外からの移民を積極的に受け容れていた時代があったと聞いたが、確かにドイツにいた頃、イタリア人、旧ユーゴスラビア人、ギリシャ人、トルコ人など、ドイツ人以外の知り合いも大勢出来た。微妙な国民性の違いのようなものも感じさせてもらって、ドイツにいながらヨーロッパ各地を旅しているような気分になったりもした。

さて、ドイツでギリシャ人と言ったら、ほとんどの人がレストラン関係なのではないかと思うほど(?)わたしは至る所でギリシャレストランを見かけた。

ギリシャレストランのリピーターになったのは何が理由かというと、ウーゾ(OUZO)であった。

初めて店に入ったとき、Gyrosという料理を頼んだのだが、何も言わずに出てきたアペリティフ(?)。グラスがキンキンに冷えている。中には透明な液体が入っている。そこで、2歳児のように(謎爆)きいてみた。

「これなに?」

Ouzo!ん~・・・・・シナップスみたいなものだよ!」

飲んでみると、美味い♪

Grieche_ouzoアルコールは35度ほど。シナップスのようなものだと言うから、一気飲みした。予想通り、喉が焼けたがシナップスとは違う焼け方だ。香が好きだ。アニスから作るという。ハッカクのような香りと言えばわかるだろうか?そして、後で調べたところによると、1リッタあたり50グラムの砂糖が入っているらしい。

理由はわからないのだが、水などで割ると白濁する。これで、カクテルのような飲み方をする人もいるようだ。わたしも、フレッシュジュースで割ってみたりしたが、ストレートがいちばんという結論に達した。

あまりに美味しいので日本に持って帰って、知人に振る舞ったら、皆「うぇ~」と言った。友達甲斐のない奴らだ。豚に真珠とはこのことなり。勿体ないから、後は全部自分で飲んだ。

日本では見つけにくいが、例えばつくば近郊では「やまや」の店頭には並んでいGrieche_ouzo2る。そろそろまた買ってこようかな?

Grieche_ouzo3

| | コメント (27)

2006年10月 9日 (月)

【Frau Charlotte Lehmann】

Frau Charlotte Lehmann (フラオ シャルロッテ レーマン)(人名):シャルロッテ レーマンさん ・・・・・ ドイツの優秀にして高名な声楽指導者。http://www.bach-cantatas.com/Bio/Lehmann-Charlotte.htm わたしの昔の知人にCharlotte LngeさんとIngebrg Lehmann さんがいて、名前的に極めてなじみ深い感じでありました。

わたしの所属する「つくば○○○○合唱団」にとって、昨日は滅多にないビッグ・デイであった。アニュス・デイではなくて(笑)。

そもそもことの起こりは、わが団の指揮者鈴○優氏が、ドイツ留学中にレーマン先生の講座を複数回受講した経験があること、そこで大変良い体験をされた、と言うこと。そのレーマン先生が今回来日しておられ、どういう経緯か詳しいことはお聞きしていないが、わが団にも来て頂いてレッスンをして頂くことになったのだった。今年、わが団では(無謀にも?)バッハのロ短調ミサを全曲演奏するので、その2ヶ月前というタイミングでこう言う特別レッスンの機会があるのは、まるで申し合わせたようだった。

で、そのレッスンを受講できることだけでも滅多にないことなのだが、わたしはその練習の通訳をさせて頂いく機会に恵まれた。恵まれたと書いたが、確かに恵まれたのだが、普段自動車関係の「アブラもの」の「翻訳」ばっかりやっているので、こういう「芸術系」の「通訳」をさせて頂くのは、かなり厳しいものがある。専門性ということで言えば、音大を出たわけではない、けれど今回は合唱団のレッスンであり、自分自身は合唱団の現場で歌っている、という中途半端な状態であり、エージェントから来た仕事だったら(興味はあっても)断るところだった。しかし、自分の団であるからそうも行かない。すでに3ヶ月前から知らされていたことでもあるし、話が出た時点で、わが「通訳ガイド同期生」のY.O.さんにもアドヴァイスを頂きながら、準備を進めていたのであった。

アマチュアの団体でもあるので、おそらくかなり基本的な事柄を教わることになるのだろうと予測はしていたが、実際にどういう話が出てくるかはわからない。怖れは、バッハの時代の社会的な事柄や、歌うのがミサ曲であるから、例えば聖務日課のようなキリスト教関係の細かい事項などが飛び出してくることだった。「声を出すこと」に関する表現ならば何とかなるんだがなぁ・・・それに絡んだ諸々の事柄が出てくると困るかも?」と少々不安を抱えながら練習に臨んだ。

まず最初に求められたのは、「メッサ・ディ・ヴォーチェ」で歌うこと。低い音はしっかりと歌い、高い音は軽く歌うこと。Gloria冒頭のアルトなどのように、低い音で強く出すことを求められるときは、体を使うこと。口を開くのではなくアゴの関節を開くこと。固まらないこと、胸郭を自由にすること。そのために、手足を動かして、踊りながら歌ったり、テンポを感じるためにフィンガースナップをしながら歌ったりした。

主に、歌うことに関する話題で終止したので・・・・・大けがはなかった。と。思う・・・・・(汗)

まったく新しかったのは、「Bachは内声部がよく鳴ることを非常に強く求めた人であり、そのためにビオラ・ポンポーゾという楽器を特に開発した(設計した)ほどなのです」というくだりであった。ビオラ・ポンポーゾと仰った。今まで聞いたことなし。楽器としては、演奏の現場に定着しなかったのだろうか?

お出迎え後の昼食をご一緒させて頂いてから、練習後のディナー終了まで、1221時までの長丁場。自宅で翻訳していればもっと長丁場なのだが (^^;) 久々の「通訳」の長丁場はホントに長かったような気がする。

通訳という仕事を簡単な仕事だなどと言うつもりは毛頭ないが、言語情報以外に沢山の情報が与えられるという点で、「翻訳」という仕事にはない、一種のやりやすさがある。だから、「久しぶり」とか「初めて」とかでビビっていた場合は、思ったより楽だったかな?ということにもなったりする。わたしの場合、通訳なんてもうチョー久しぶりであったので、正直結構ビビって居たのだが、なんとか無事に終わってホッとした。

通訳もまた、難しいけれど楽しい仕事である♪

| | コメント (11)

2006年10月 5日 (木)

【Japanische Musik – 3】

Japanische Musik (ヤパーニッシェ ムズィーク) ():日本の音楽 ・・・・・ 続き物も3回目になるとちょっとひつこいと思われますが(^^;)・・・(Einmaligkeitのその2でも良かったんですが)・・・先日の東混特別演奏会で上演された曲が題材です。

先日の東京混声合唱団常陸太田特別演奏会で、柴田南雄さんの「追分節考」が上演された。いわゆるシアターピースというもので、「お噂はかねがね」伺っていたのだが、聴くのはこれが初めてだった。そして、これが最後であるとも言える。

マエストロ田中信昭先生がマイクを持って曲の解説をしてくださったのだが、これは柴田南雄さんが採取された信濃追分節のさまざまな旋律(すなわち、伝えられている地域によって節回しが異なる)をすべて曲中に採用している。団員数名にそれを割り当て、それを指揮者が指示した時に歌い始めるというもの。そのタイミングは、指揮者が、舞台上に設営されたスタンドにその担当が示された文字の書かれた団扇を立てることで示される。ちなみに東混が使用している団扇に書かれた文字は、作曲者の親筆であるそうだ。(証拠写真を同じステージに乗られたCantotantoさんがご自分のブログにアップされています: http://canto.exblog.jp/m2006-10-01/#4407813 

さて、その数種類の追分節が歌われる背後には、女声が西洋和声では不協和音とされる、日本的なものを想起させるような和声を持続させるなど、おそらくいくつかの約束事を支えにして演奏されるのだが、指揮者が団扇を立てるタイミングまでは指定されていないようなので、演奏はその都度違ったものになる。追分節のソロ担当者は、舞台からおりて客席を巡回する。作品の音がホール全体を使って再現されるわけで、座る場所によっても演奏のイメージががらりと変わる。これもまたeinmaligな体験なのであった。

さて、その田中先生の解説の中で概ね次のような内容の言葉があった:

「・・・・・これはまぎれもない日本の音楽、オリジナルな音楽であり、しかも現代の音楽である・・・・・世界のどこに持って行っても、皆喜んで聴いて下さる・・・・・」

クラシック系の音楽愛好者の中には、日本の独自性のある音楽が少ないこと、楽しまれていないこと、などを寂しく感じている人も多いと思う。

私見だが、幕末の開国に伴って西洋音楽も導入されたが、以降、日本の民族的音楽の独自の発展がほぼ止まってしまったのではないかと思う。これは、田中先生の解説にもあり、「追分節考」の冒頭に引用されている、あの官製の日本伝統音楽を否定するような通達(これを女声のメンバーが三々五々入り乱れて朗読するのだ。揶揄っぽい)などにも明らかだが、日本の独自の音楽を「遅れたもの」として卑下すると言うことを国の指導者が率先して行ったからではないのか?と思う。

しかし、西洋音楽の豊かな響きを享受する傍ら、どこかに日本のオリジナルなものが同じレベルで楽しまれていないことを、(上手く言えないが)後ろめたいような、気が引けるような、寂しいような気持ちでいる人は、少なくないのではないだろうか?これは、微妙にして妙な感覚なのだが。

出典をもはや記憶していないが、多分岩城弘之さんの言葉だったか、岩城弘之さんが引用された言葉だったのではないかと思うのだが、「日本人は器用で、勤勉で、優秀であるので、西洋の音楽も立派にマスターするのは驚くほどだが、西洋音楽をやっている限り、世界のナンバー2以上にはなれないのだ」という言葉があったのを思い出す。自分の民族がその祖先から脈々と受け継いできたものを、もっと発展させたいと考える人が出てくるのは自然なことだと思う。人は誰でも独自のものを持ちたいと願うものではないか?

先々回の日記に引用した日本和声の考案とか、この「追分節考」などの日本の伝統音楽に素材を求めた作品群が世に出される背景の、その一部にはこういう心情が隠されているとわたしは思う。

また、自分が相対する人から、その人独自のものを感じたい、体験したい、学びたいという気持ちも多くの人が共有しているのではないかと思う。現代の豊かな響きの音楽を享受するのは、まったく以て問題なく素晴らしいことであるのだが、そこに日本独自のものを紹介していくことで、人類の共有財産である音楽がいっそう豊かになるということも出来るだろう。

海外に長く滞在すると、その国の人から「あなたの国のことを教えて」と請われることは多い。異民族間で交流するとき、自分の民族のこと、すなわちわれわれなら日本のことについてきかれると言うことは、「あなたは誰?」ときかれているようなものだとわたしは思う。現代の日本についてだけではなくて、現代の日本に至らしめたその源流についてもいくらか見識(知識と自分自身の見方など)がないと、とても肩身の狭い思いをすることになる。いや、ぶっちゃけた話、軽蔑される可能性さえある。

ある人が在独のドイツ・シンパなら、ドイツの音楽や文化に関心を持ち、楽しみ、ドイツ語の響きを愛し、ビールを飲み、ライ麦パンを喰らい、ドイツにいてそれらを身近に享受することが出来ることをとても幸せに思う。しかしいつか、「自分は、どこまで行っても客でしかない」と言うことをしみじみ感じる時が来る。異文化への理解が深まり、それを大変好ましく身近に感じるようになればなるほど、いつかはそれをしみじみ思う時が来る。そんなとき、人は自分の血の源流に帰っていくのではないかと思う。

「追分節考」を鑑賞して、考えがあちこちに飛んでいってしまった・・・(^^;)

| | コメント (5)

2006年10月 1日 (日)

【Einmaligkeit】

Einmaligkeit (アインマーリヒカイト)(女):一度限りであること、比類のなさ。形容詞はeinmalig (アインマーリヒ) ・・・・・ きょう一日の体験を通して、最後に浮かんできた言葉はこれでした。きょうは、いろんなEinmaligkeitを体験しました。

Photo 春先から、今日のためにずっと練習していた。今日は、東京混声合唱団(略して東混)の常陸太田公演で、わたしはその第4ステージにオンステさせてもらえる機会を得た。いやホンマ、参加させて頂いて良かった。

東京混声合唱団は、日本一のプロの合唱団である。東混よりも上手い演奏をする可能性のある団体はもちろんあるだろうが、実力に加えて、その歴史と日本および世界の合唱界に対して積み上げ功績を考慮するなら、間違いなく日本一だろうとわたしは思う。

東京混声合唱団は、現在、桂冠指揮者であるマエストロ田中信昭先生が、芸大を出てすぐに結成されて、以来今年で創立50周年だという。田中先生は、今でもお元気で、きょうも4つのステージすべて指揮されて、しかもマイク片手に解説などもされた。50年の積み重ねというのは、大変なものだと思う。わたしなんか、まだ人間すら50年やっていないのだから。田中先生が50年間プロとして取り組んでこられた果実に触れることができただけで、比類ない体験といって良い。Einmaligkeit である。そして、プロの合唱団と共演できたこと。同じステージ上に並んで同じ時同じ空間で音楽を作れたこと。これもまた einmalig な体験だった。プロはすごい。いろいろすごい。

田中先生と東混は、今までずっと日本の合唱界を引っ張ってこられた。その間、数多くの委嘱作品を手がけ、世に出し、各地での演奏活動を通じて、世間に合唱音楽を広めて来られた。単に「好き」とか、「損得勘定」でやってこれるものではないと思う。使命感とか、情熱とか、そういう熱いモンがなければ50年も続けてやってこれない筈だ。そして、その姿勢を如実に示しているのが、今回わたしを含めた茨城県のアマチュア合唱団からの志願者がオンステさせて頂いた、三善晃氏作曲の「蜜蜂と鯨たちに捧げる譚詩」という曲だと思う。これは、東混が日本各地でアマチュアの合唱団と一緒に歌うという目的で委嘱されて生まれた二群編成の混声合唱曲である。でなければ、アマチュアが東混のステージに上がってきたり出来やしない。もちろん、オンステするメンバーは観客動員にも努力するが、この企画はそんな計算ずくのものではない。

わたしたちが触れさせて頂いたのは、そのかけらにしか過ぎないが、プロの練習レベルというものを少しは体験できたと思う。「自分のモティヴェーションで歌え」ということを求められた。技術的に求められることにはアマチュアゆえの限界もあるようだが (^^;) 「音楽」もしくは「音楽すること」については、同じレベルを求めて下さったと思う。これは、参加したメンバーが各自ハッとした事柄だったと思う。

音楽の演奏というのは、einmalig なものだと思う。同じメンバーが同じ場所で同じ曲を演奏しても、時が違えば別の演奏だ。当たり前なのだが・・・・・

演奏するメンバー各自、その時に至るまでの人生経験があり、それによって感じるものがある。それは、その瞬間にしか表現できない einmalig なものだ。そこに、指揮者がやってきて、同じくその瞬間にしか発揮できないものを以て指揮をされる。歌い手と、指揮者が向かい合って、互いの「その時」持っているものを出逢わせてひとつの演奏をつくる。それは、その時だけのもの、一期一会と言えばよいのか、まさしく einmalig な体験をするのだ。

田中先生との合わせは正規の練習ならばたったの2回だったが、回数ではないのだった。

練習で教えて頂いたことは、音楽のノウハウだけではなくて、「子供が親の背中から学ぶこと」のようなものが・・・・・てんこ盛りだった。ひとつのことに50年打ち込み、取り組み、そしてトップクラスのクォリティに達し、それを維持することので来た人の「人生」に触れさせて頂いたとでも言えばよいのか。

東混のメンバーに比べたら、物足りなきことこの上なかったかも知れないが、それでも、舞台の上で向きあい、真摯に互いのその時持てるものを出逢わせて下さったことに、感謝のひと言に尽きるのであった。

わたしゃアマチュアであるから、歌っても一銭も稼ぐことは出来ない。むしろ歌うたびにお金は出ていくが(^^)、きっとこれからも懲りずに歌っていくだろうと思った一日だった。 (^o^)/

| | コメント (12)

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »