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2007年12月29日 (土)

【Winter】 冬

Winter (ヴィンター) ():冬 ・・・・・ 四季の一。寒いことで有名な季節。秋の次に来る。冬が来ると機嫌のいい人がいるが、そう言う人は大抵雪遊びや氷滑りが好きであるとか、鍋料理や熱燗が好きとか、夏が嫌いな人である。あるいはその次に春が来ることを知っているから機嫌が良いのかも知れない。人生も季節にたとえられることがよくある。わたしの場合、人生はまだ冬ではなかろう。今は、実りの秋の筈なのだが…… orz

 

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 冬は寒い。夏より寒い。さらに言えば、春や秋よりも寒い。しかし、今年の冬が去年の冬よりも寒いかどうかはわからない。一昨年、大枚はたいて買ったコートを昨年は一度も着ることがなかったので、昨年の冬は暖かかった筈だと思う。今年もまだコートを着ることはないが、それはそもそも外出する機会が減った(= 合唱団を辞めたので、夜間外出しない)からである。昨年よりは寒いような気がするがどうだろう。でも、今年は仕事場で電気ストーブを殆どつけていない。節約と言うこともあるけれど、それほど寒くないのかも知れない。PCの前の大きな「眠れる椅子」に胡座をかいて座り、下半身には薄い毛布を掛け、上半身にはダウンベストを着ている。これでいけてしまうので、去年との比較はどうであれ、今年もそれほど寒くないのだろうか。

 ただひとつ、わたし個人として変わったことがある。それは、寒いと風邪を引くようになったと言うことだ。今までは、少々寒くても「寒いな~」と思い、少し鼻水が出るだけで終わっていた。震えることはあっても、風邪を引いたりはしなかった。しかし、今は少しの間下半身に毛布を掛けないでいると、くしゃみが連発で出るようになった。そしてそれは、一度始まると毛布を掛けてもしばらく続く。最初は「埃か?」とも思ったが違うようだ。確かにわたしは花粉症で悩まされることは殆どないが、少し真面目に掃除するとすぐにくしゃみが出る。そしてそれは、一度始まったら掃除をやめても続く。しかし、このところは、埃が立つようなことはしていないのに、寒いという理由だけで風邪を引くようになった。

 身体が冷えて風邪を引いたと言ったら、翻訳業が軌道に乗る前の「あすなろ君」時代に、交通整理の仕事をしていて、年末の寒風吹きすさぶ中夜の7時過ぎまで残業をしていて熱を出したことがあるが、それ以来である。しかし、今年のそれは、暖房を入れていないフローリングの仕事場で、膝に毛布を掛けずに数分間過ごしただけでやってくる。抵抗力が弱ったのではないかと思う。奇しくも(?)50歳に達してからこう言う現象に気付いた。忍び寄る「老い」の影(?)。

 「今までが元気すぎただけ」とか、「やっと人並みになれた」とか言ってくれる人もいるが、わたしとしては異常事態である。春が待ち遠しい。

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2007年12月17日 (月)

【Nichtraucher】 ノースモーカー

Nichtraucher (ニヒトラオハー)(男):ノースモーカー ・・・・・ 人類にはスモーカーとノースモーカーのどちらかしか居ない。これは純然たる事実であるが、実はノースモーカーにはいくつかの種類があるのを意識している人は少ない。産まれてから一度も煙草を吸っていない人、少し吸ってみたけどまずいから吸わなくなった人、好んで喫煙していたが、健康上の理由で喫煙を止めた人、好んで喫煙していたが、経済的理由で喫煙を中止している人、健康上の理由で力ずくで禁煙させられている人、喫煙者だったのが喫煙するのを忘れてしまった人、死ぬくらいなら禁煙でもするかと思っている人、等々…… これらをすべてNichtraucher(ニヒトラオハー = ノースモーカー)という言葉でひとくくりにするのは、間違っては居ないが正しいとも言えない。Garnichtraucher(ガルニヒトラオハー = ちっとも吸っていない人)とか、Nichtmehrraucher(ニヒトメーアラオハー = 金輪際吸わない人)とか、Nochnichtraucher(ノホニヒトラオハー = まだ吸っていない人)とかMomentannichtraucher(モメンターンニヒトラオハー = 今は吸っていない人)とか、Versuchnichtraucher(フェアズーフニヒトラオハー = 禁煙挑戦中の人)とか言う具合に分類してより正確に表現してみてはどうだろうか?

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 10月の初頭から煙草を吸っていない。

 これで2ヶ月半の禁煙歴となった。最近では食後の一服の衝動も殆どない。この2ヶ月半の間、わたしの仕事部屋には19本入りのマイルドセブン・スーパーライトがずっと置いてあって、吸いたければいつでも吸える状態であったのであるから、よくぞ乗り越えたと言うしかない。まるで歌舞伎町をまっすぐ横切って「何もしないで」新宿駅に到達したような気分である。あるいは真夜中の大井町で客引きのクソババに蹴りでも入れてやったような気分であるとも言える。とにかく、11箱弱の消費であったのだから、まあ1ヶ月に7000円前後のお金を燃やしていたことになるが、それが無くなったというのは経済的にも極めて喜ばしい。

 その反面、煙草を吸うという行為が生活の中から消えたことで、どこか寂しさを感じることもある。別に吸いたいと思うのではないが、あのモラトリアムのひととき、『取りあえず煙草吸い終わるまではタイムね、タイム!』というような、まるで戦時下のクリスマス休暇のようなあのモラトリアムのひとときがなくなったのは、ちょいと寂しいような気がする。

 禁煙歴がまだ1ヶ月にも達していなかった頃は、煙へと駆り立てる衝動を抑えるのがなかなかの行であった。わたしはこう言うときは、太めのボールペンを口にくわえて、それをダミーのシガレット、またはシガーと見なして、いかにも煙を吸っているような動作で深呼吸をしていた。煙がないことと、手に持っているのが煙草ではない何か別の細長いものであるという点以外は、完全に喫煙と同じことをするのである。これは、言ってみれば、ご飯に醤油をかけて食べて、『卵かけご飯の卵抜き』と言うのと本質的に同じ行為である。そして、この子供だましのような手口で、結構煙への誘惑を断ち切ることができたのである。喫煙とは、一種の「深呼吸の快感」なのかも知れない。

 煙草を吸わなくなってから、呼吸が深くなった。今まで届かなかった肺の深部にある肺胞にまで吸気が行き渡っているような感じがする。まるでフルスロットル時のインテーク・マニホールドのようだ。すると、深呼吸が実に気持ちよいのである。もうしばらくすれば、確実に1小節ぐらいは息が長く続くと思う。煙草を吸うと、この深呼吸の感覚が煙の刺激によって強調される。レントゲン撮影の前に造影剤を飲むようなものだろうか。これはこれで、気持ちの良いものではある。わたしは、このまま首尾良くNichtmehrraucher(ニヒトメーアラオハー)になれたとしても喫煙者に優しい禁煙者になると思う。Raucherfreundlicher Nichtmehrraucher(ラオハーフロイントリッヒャー・ニヒトメーアラオハー)とでも言おうか。

 かくしてわたしも、レストランなどに行った際は禁煙席に座ることができるようになった。もう食後の一服をしなくても平気だ。レストランや新幹線などで、座る席を限定されないで済むというのはなかなか快適である。先日、家の近所にあるファミレスで食事をした。当然、禁煙席に座った。しかし、何処かから副流煙が漂ってきた。 

…… うまかった …… orz

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