« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月18日 (金)

【Erdbeben】 地震

Erdbeben (エアトベーベン)(中):地震 ・・・・・ 地べたが揺れること。ドイツ人と酒を飲みながら「地震の被害が云々……」としゃべっていたら、「害虫?」、とか「盗難?」とか見当違いの反応をされて閉口したことがあったが、酔っぱらっていたため「Erdbeeren(エアトベーレン=いちご)と発音していたのであった。ものごとを他人のせいにするのは良くない。

**********************

 昨日、117日は阪神淡路大震災の日であった。あれから13年経ったという。あの日わたしはドイツにいて、テレビでそれを知った。画面に映されたのは、なんと阪急伊丹駅が崩落した姿だった。

 わたしの実家は尼崎市の北部、伊丹市との境界あたりにある。今でこそ家の近辺も拓けているが、わたしが子供だった頃はまだまだ田舎であった。今でも存続している園田競馬という草競馬場方面へと続く道が我が家近辺を通っていたのだが、その道は当時まだ舗装されておらず、車が通るたびに土けむりが舞い上がっていた。家から走って10秒の位置には銭湯があり、細い細い路地をマツダのオート三輪が銭湯のボイラー室に燃料を運び込みに度々来ていた。馬にひかれたロバのパン屋が通り、家の居間には四つ脚のテレビがあった。

 そんな時代、わたしは良く母に連れられて伊丹へ買い物に行ったものだった。もちろん、いろんな意味で危険であるため、わたしを家に置いておけないからだったが、バスに揺られて伊丹へと買い物に行っていたのだ。尼崎中心部へも時々連れて行かれたが、伊丹の方が圧倒的に近くて便利だった。

 スーパーや商店街を歩き、疲れたら屋台の冷やしコーヒーか冷やしアメを買ってもらって飲んだ。その頃の阪急伊丹駅は今のような、そして地震の際の映像で見たような高架駅ではなく、地べたに造られた駅だった。改札口からホームが見え、あの阪急マルーンと言われる特徴的なあずき色の電車が見えた。わたしもガキの例外に漏れず乗り物が好きであったので、ホーム脇の柵の間から電車をじいっと飽きもせず見続けていたものだった。伊丹駅はそこから先がないどん詰まりの駅だったので、子供のわたしには電車が通過する「駅」と言うよりは「基地」のような感じがして、子供特有のファンタジーに火がついたのだった。

 伊丹駅はそれから場所を移転し高架駅になった。ウィキペディアには1968年(昭和43年)119 伊丹駅高架化とある。わたしが11歳の時だ。そう言われればそんな気がする。その頃はもう母と一緒に買い物に行くようなことはなく、伊丹駅が新しくなったというので友達と見に行ったような気がする。昔の伊丹駅の方がわたしは好きだったが、便利で綺麗になったのは確かだった。

 大学に通うようになると、阪急伊丹線の稲野駅から阪急千里線の某駅まで電車に乗った。家から稲野駅まで歩くのは可成りの距離だったが、元気だったわたしには丁度良い散歩道だった。阪急伊丹線の電車は古いものが使われていた。当時の阪急電車の扉は両開きのものが普通だったが、伊丹線には片開きのものがまだ残っていた。旧式電車の死に場所だったのかも知れない。でも、伊丹線の塚口駅のホームに入るのには、何でもR=60mという急カーブを曲がる必要があるので、年寄り車両にはきつかったのではないかと今になって思ったりする。とにかく大学1年から4年まで毎日伊丹線に乗っていたので、伊丹駅にも結構馴染みがあった。

 その伊丹駅が崩落している図をドイツで見た時は、我が家も瓦礫と化したかと覚悟を決めた。何度か電話してみたところ、通じた。父が出て「何や、お前か。どないしてん?」 一瞬、しばいたろかと思ったが、命に別状がなくて良かった。とは言え、あの惨状が報道されるにつけ、我が家の無事を悦ぶことははばかられた。

 ある方がブログでその頃のことを回想しておられたが、その時食べた「どん兵衛(きつね)」がとても美味しかったと書かれてあった。わたしも、徹底ロハス派ではないけれど、添加物やインスタント食品に対しては批判的な目を持っている方である。でも、こう言うときのインスタント食品、お湯をかけたら何でもできると言うあの機動力というか、あれは有り難いものだったろうと思う。被災者の方は、毎年少なくともこの時期になるとあの日のことを思いだし、いろんなことに感謝してはるんやろうなと思う。便利な暮らしに狎れすぎて傲慢になれへんようにせんとあかんなあ…… と思う。

 コンビニでどん兵衛を買ってきて食べた。関東のどん兵衛は味が濃い。おつゆが違う。関東風である。ああ、関西風のおつゆのどん兵衛が喰いたい、と舌の根も乾かぬうちに贅沢を言う愚か者 orz


| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »