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2008年3月30日 (日)

【Männerchor】 男声合唱(団)

Männerchor (メンナーコーア) ():男声合唱(団) …… 男声合唱団なら「メンネルコール」と覚えている人も少なくないと思われるが、ドイツ語を母語とする人とコミュニケーションを取る場合、「メンネルコール」のルをきちんと巻き舌にして「メンネるコーる」としないと通じにくい。英語風の巻き舌ではなく、「とるるる」と言う巻き舌である。しかし、「メンナーコーア」と言うともっと通じる。段々英語風の淡泊な(?)発音に取って代わられている感じがして、あまり嬉しくはないが、通じるのだから仕方ないのである。しかし、メンナーコーアの「中身」の方は、いつの時代も濃い。

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 実は昨日、わたしは舞台に乗っていた。わたしにとっては、まあ地元と言えるつくばのノバホールというなかなかのホールで表題の通り男声合唱をやったのである。

 これは、つくばフォーラムというグループの主宰したチャリティコンサートだった。昨年6月にもご一緒させて頂いた田中宏子さん、中山ちあきさんに、藤原歌劇団の田代誠さんと言うゲストの他、オカリナ・ケーナ奏者の善休さん(ギター伴奏鈴木ばくさん)、マリンバ奏者の明瀬由武さん(伴奏、高瀬奈美さん)を迎えてのコンサートで、ま、ちょい役ではあったが、歌わせて頂いたのである。

 合唱だけの曲も3曲ほど歌わせて頂いた (この中の1曲「メリー・ウイドウから女・女・女の行進曲」は大変ウケた)。この合唱団は実はこのコンサートのために結成されたチームで、地元からのわりと似たような機会によく顔を合わせるメンバー6名の他に、東京からは専修大学グリークラブOB会から6名が遠路はるばる参加して下さった。合計12名の男声合唱団。江戸組の参加がなければ合唱の方は断念しなければならなかったかも知れない。ありがとうございました。m(_._)m

 終演後は、実はこっちの方がメイン・イベントだったかも知れないが、地元の居酒屋で18:30から24:00頃まで、楽しく過ごさせて頂いた。まだ、昨日の酒が少し残っている。身体が重い。仕事も残っている。気も重い。 あ、今気がついたが、身体が重いのは酒のせいではなく、昨日一日突っ立っていたからだった。日頃は、パソコンのディスプレイの前に座り詰めだからなぁ。まあ、翌日に来たのは良しとしよう。

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2008年3月23日 (日)

【Erdkunde】 地理

Erdkunde (エアトクンデ) ():地理 …… Kunde は男性だったら「顧客」という意味になる。女性だと、「通知」とか「学問」という程の意味になる。接尾語にして「~~学」という言葉を作る。Volkskunde(民俗学)、Heimatkunde(郷土史)など。Scherzkunde(おちゃらけ学)など、単語としては存在していないが、専攻している人は多数いると思われる。

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 先日新聞で、宮崎県がどこにあるかわからない高校生、大学生が多数いることが報道された。日本地理学会地理教育専門委員会が実施した、高校生と大学生を対象にした地理的認識調査の結果駄そうだが、高校生の場合、出題の中で最も知らなかったのが宮崎で、正答率が43%、あと、愛媛50%、島根52%と続く。知事が奮闘しているにもかかわらず、その場所を知らないと言う「若い者ン」が多いのだそうだ。テレビのクイズ番組などでも、国や県がどこにあるかわからないと言う回答者が多い。これは「わざと? やらせ?」とか思っていたのだが、そうでもないらしい。

 この結果、わたしには信じられない結果であった。せめて、日本の都道府県の所在地と都道府県庁所在地ぐらいは、覚えていても損はないと思うのだが。

 わたしは、地理の成績が特別良かったわけではないが、地図が大好きだったので、どこに何があるかについては結構ウルサイ方である。小学生の頃は、天気が悪くて校庭で遊べないときなど、教室で社会科の地図帳を引っ張り出して「探しっこ」をしたものだ。誰かが「○○はどこにある?」と出題して、いちばん先に見つけたのが次の出題をするのだ。出題をしたくて、皆頑張ったのを想い出す。ページの折り目の辺りにある小さく書かれた地名などは、皆なかなか見つけられなくて出題者がほくそ笑む。地名の読み方がわからなかったりすると、先生に聞きに行ったり、駅があるのであれば「国鉄」の時刻表を出してきて、駅名のひらがな表記で読み方を調べたり、知的好奇心を刺激する良い遊びだったと思う。

 そう、時刻表というものも地理的知識を高めるのに役立っているはずだ。難しい読み方の地名は大抵時刻表で覚えた。わたしは茨城県にある「大甕」という駅名を読める小学生であった(可愛くない)。「鉄」の皆さんからすると、今回の宮崎県の場所を知らない高校生、大学生が多いと言うニュースはやはり驚きだったのではないだろうか。わたしなどは、地図を見たり時刻表を見たりするだけで、想像力が広がって行き部屋にいながらの旅をいつでも楽しむことができたのだが、近頃の若者は地図や時刻表を見ても、ただの「つまらない本」でしかないのだろうか? 「絵に描いて貰わんと何もわからへんのか、読む気も起きひんのか?」と愚痴のひとつでも言ってみようかと思ったりする。日本から発信される文化としてのアニメは、良質なものも沢山あるが、小説などを読んで文字情報からイメージを羽ばたかせると言うことができなくなっているのではないかな? と心配になることもある。翻訳などの仕事をしていると、文字情報オンリーからさまざまな状況を思い浮かべることができなければ仕事にならないことが多い。そういう能力を磨いていないと、「誤訳」したりもするのだ。

 地図などは、そんなに堅苦しい「文字情報」ではない。その気になって「眺めて」いればそれだけでも十分面白いのに、と思う。画像に依存しすぎの現代人、せめて地図から「イメージを広げる」と言う営みをしても良いのではないだろうか? 


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2008年3月18日 (火)

【Scharfes Essen】 辛い食べ物

Scharfes Essen(シャルフェス・エッセン)(中):辛い食べ物 …… 子供の頃、辛いと言ったら「塩辛い」ことだけだと思っていた。香辛料による辛さと言うものとはほぼ無縁の子供時代だった。同じく納豆とも無塩、じゃなくて無縁であった。ドイツ語では辛いことをscharf=鋭い)と言い、英語ではhot=暑い)ともsharp=鋭い)とも言うようだ。同じ系統の言語だけれど、ドイツ語ではheissを「辛い」の意味には使わない。方言や若者言葉ではどうだろうか?

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 妻が知人宅を訪問した際に、『うちの義理の弟が韓国籍の人で、美味しいキムチ作ってるのよ』と言われ、勧められるままにその店頭でキムチをひと袋買ってきた。わたしもキムチは嫌いではない、辛い食べ物も嫌いではないが、ものすごい量の発汗を伴うので、辛いものを食べるとわかっているときはタオルを用意するのが常である。しかし、この韓国人が作ったというキムチは、まさに『わたくし、キムチでございますが何か?』とでも言っているようなキムチであった。

 白菜キムチである。それをひとくち食べるだけで汗が出てきた。妻は平気な顔をして喰っている。われわれは、酒の場合はわたしが平然としていて、妻はすぐに真っ赤になるのだが、辛いものになると逆で、妻は平然としていて、わたしは汗の中を泳ぎながら食べる。本場の味というのだろうか、韓国籍のどなたかが作っているキムチは、すさまじいキムチであった。美味い、美味かった、美味しかった、そして辛くて、んで臭かった(爆)。

 子供の頃は、辛いものをほとんど食べなかったような気がする。だから、「辛い」という言葉はそのまま「塩」と結びついていた。母が注意して、子供に辛いものを食べさせなかったのかも知れないが、そもそも我が家には胡椒の卓上ビンなどなかったような気がするし、うなぎを食べるときだって山椒をかけるところを見たことがなかった。見なかっただけかも知れない。今となっては良くわからないが、小池さん(@おそ松君)がラーメンに胡椒をかけるのを見て、『ああ、ラーメンには胡椒かけるんか…… 知らなんだ。うちに胡椒あったかなあ?』とか思っていたのであった。

 子供の頃食べていた唯一の「辛いもの」はカレーだった。子供のわたしには素敵に辛かったが、きっとアレはハウスのバーモントカレーでリンゴとか蜂蜜が入っていたはずだ。辛いわけがないのだ、今となっては。しかし、子供のわたしには素敵に辛かった。『水がむっちゃ美味いからカレー好きやねん』と、何度もわめいていた記憶がある。あの頃は、カレーを完食した後に飲むコップ1杯の水道の水がとても美味しかった。カレーの後には、水道の水でなければならなかった。味がついとったらあかんねん。

 カレーを食べていない場合は、何と言っても麦茶だった。冬はともかく、夏、大汗かいて帰ってきて、ひと息で飲み干す麦茶の美味しかったこと。つくづく思うが、金のかからない子供だった。しかし、カレーの後の水道の水、真夏の麦茶、これらを「ひと息で飲み干した」あの感覚が、大人になってから人をビールに走らせるのではないだろうか? そう言えば、子供の頃、水道の水のことを大人が「テッカンビール」と呼んでいたのを想い出す。あれは「鉄管ビール」だったのだろうか?

 こうして思い起こしてみると、子供の頃は五感が鋭かったのだ。老いてくると(?)やはり五感は鈍くなるらしい。水を一杯飲んだだけで、子供の頃のようにあれほど心が、身体が悦ぶことが少なくなったのは、水が不味くなったからだけではあるまい。

 わたしの車のドア・ポケットに「翳りゆく時間」(新潮文庫)という文庫本が入っている(車内常備文庫)。浅田次郎氏が編んだ短編のアンソロジーである。このアンソロジーの解説で、浅田次郎氏はやはり加齢による五感の衰えについて語っておられた。この短編アンソロジーには、小説ならではの五感を使って感じる作品を集めたと言うことだ。

 感覚というものはいつも使っていれば衰えることも少ないのではないかと思う。それでも、耳が遠くなったり、ものが見えにくくなったりと言うことはあり得るが、身の回りのことにいつも(五感を使って)驚いていられるようにできたら、楽しいだろうなと思う。


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2008年3月14日 (金)

【Milchstrasse】 銀河

Milchstrasse (ミルヒシュトラーセ) ():銀河、天の川 …… スケベなドイツ人指揮者を連想した人も居るかも知れないが、あれは架空の人物。このミルヒシュトラーセというドイツ語は、ラテン語から直訳したらしい。英語でもミルキーウェイとか言う。これにSystemがつくと、どんな機械かと思たら銀河系のことである。英語でも、ミルキーウェイシステムと言う。確かに、systematischに機能していると思う。

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銀河がなくなる。地球温暖化のせい? ではなくて、夜行列車の「銀河」が廃止されるのである。わたしは決して「鉄」ではないが、夜行列車には昔何度も乗ったことがあり、それなりに愛着がある。新幹線が走り、飛行機も沢山飛び、廉価な夜行バスも結構走っている現代の交通の実際を考えると、夜行列車は実用よりもノスタルジーの乗り物になってしまった感がある。仕方ないなと思う反面、やっぱりすこし寂しい。

新卒で入社した会社では、一時九州の担当となって良く出張に行った。その時、新大阪6:00発の朝一番の新幹線に乗ればほとんど用は足りるのだが、我が家は関西の交通網の死角のような場所にあり、朝6:00前に新大阪に着くことが至難の業だった。それに朝慌ただしくすると、とんでもない忘れ物などをすることがある。そこでわたしは、夜行列車で九州に入るという手をよく使っていたのだ。日曜日の深夜、夜行列車に乗って、月曜日の朝九州に入るのである。

当時、と言うのはもう30年前後昔の話なのだが(驚)、まだまだ沢山の夜行列車が走っていた。わたしが良く使ったのは、大阪駅を0:00に出る「さくら」、同じく0:15に出る「はやぶさ」、そして同じく0:30に出る「みずほ」だった。「さくら」は途中で長崎行きと鳥栖行きに別れるのだが、わたしが「さくら」を使うのは月曜日の一番に博多か長崎でのアポイントのあるときだった。月曜の一番のアポイントが小倉あたりだと、「はやぶさ」や「みずほ」を使った。列車が来るまでの間、大阪駅近くで時間を潰すのが結構楽しみだった。ま、結局どこかで酒飲んで潰すのである。潰して良いのは時間だけであって、自分自身が潰れないようにコントロールしなければならない言う高度な技術が必要であったが、職務のためには避けて通れない道であった。

大阪駅発がこのような深夜なので、列車が入って来たときはもう寝台がセットされていて、鼾や寝息が聞こえてくる。誰かと挨拶するでもなく、物音を立てないようにそっと荷物を上段の奥に滑り込ませ、自分自身は上段の寝台に横になった。そう、「さくら」や「はやぶさ」などには3段の寝台車があり(多数派だったはず)、わたしはいつも上段を予約していた。少し安いと言うこともあるし、なによりも朝になっても寝たまんまで居られるので重宝するのである。下の2段は朝になったらたたき起こされるのだ。

もっと昔だったら、明治生まれの頑固オヤジなどがコンパートメントにひとりくらいいて「起きんか!」とどやされるようなこともあったかも知れないが、わたしがぺーぺーのセールスマンだった頃は、その辺は自由だった。時には、通路側の簡易シートに座って夜の闇を眺めながら買い込んだビールを飲んだり、あるいは自分の寝台でカーテンを閉めて灯りを付けて、ビールやワンカップを飲みながら、文庫本を読んだりしてゆったりと過ごしたものだった。

そんな体験があるせいか、わたしは少々物音がしようが揺れようが、関係なく眠るときは眠ることができる。一度眠ったら熟睡する。驚くべきことに、それほど熟睡しても今まで必ず、一度の例外もなく目を覚ましてきた。一度も永眠したことがない。あんなに何度も眠ったら、一度くらい失敗するのが人間らしいと思うのだが、失敗の経験はない。わたしが今までの人生の中で一度も失敗したことがないと言ったら、これくらいしか思い浮かばない。これ以外は、失敗の山に囲まれて今でも生きながらえている。

閑話休題。

夜行列車に乗るのは、主に往路だったが、仕事が詰まっていたときなどは復路も夜行列車で帰ることがあった。金曜日の夜に九州を出て、土曜日の朝大阪に着く。このときは、大阪着の夜行列車に乗った。いつものことではなかったので何に乗ったか覚えていない。未明に大阪駅に着くので、それから荷物を駅に預けて、サウナに入りに行った。風呂に入って汗を流し、脂を落とし、ついでに朝食もとってそれから出社した。土曜日1日かけて出張の整理をし、次の出張の準備をして、その合間に会議もやって、そして土曜日の夜を家で過ごし、日曜日の夜また夜行列車で九州へ発つ。そんな強行軍を繰り返していた。若かった~。

ある時、そんな感じで復路も夜行を使って帰阪し、朝サウナに入って、それから気分を変えてサウナでは食事を摂らずに商店街に出てモーニングを食べようと思ったことがあった。その商店街の名は知る人ぞ知る「阪急東通り商店街」であった。そして、首尾良く1軒の店を見つけモーニングサービスを注文して食していたのだが、雰囲気が微妙に変であった。わたしの回り、テーブルというテーブルについている男達。彼等は皆、例外なく「おねえ」であったのだ。どうやら、その方面の溜まり場だったらしい。朝からやっていると言うよりは、もしかしたら夜の延長だったのかも知れない。金曜日の夜を遊び明かした「オ○マ」さんたちが、ひと息入れる店でモーニングを食してしまったのであった。

「皆さん」の視線が痛かった。慌てて店を出て、いつもより早く出社した。朝で良かった。 f(^^;)

ブルートレイン「銀河」は今夜がラストランだそうだ。


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