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2008年3月14日 (金)

【Milchstrasse】 銀河

Milchstrasse (ミルヒシュトラーセ) ():銀河、天の川 …… スケベなドイツ人指揮者を連想した人も居るかも知れないが、あれは架空の人物。このミルヒシュトラーセというドイツ語は、ラテン語から直訳したらしい。英語でもミルキーウェイとか言う。これにSystemがつくと、どんな機械かと思たら銀河系のことである。英語でも、ミルキーウェイシステムと言う。確かに、systematischに機能していると思う。

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銀河がなくなる。地球温暖化のせい? ではなくて、夜行列車の「銀河」が廃止されるのである。わたしは決して「鉄」ではないが、夜行列車には昔何度も乗ったことがあり、それなりに愛着がある。新幹線が走り、飛行機も沢山飛び、廉価な夜行バスも結構走っている現代の交通の実際を考えると、夜行列車は実用よりもノスタルジーの乗り物になってしまった感がある。仕方ないなと思う反面、やっぱりすこし寂しい。

新卒で入社した会社では、一時九州の担当となって良く出張に行った。その時、新大阪6:00発の朝一番の新幹線に乗ればほとんど用は足りるのだが、我が家は関西の交通網の死角のような場所にあり、朝6:00前に新大阪に着くことが至難の業だった。それに朝慌ただしくすると、とんでもない忘れ物などをすることがある。そこでわたしは、夜行列車で九州に入るという手をよく使っていたのだ。日曜日の深夜、夜行列車に乗って、月曜日の朝九州に入るのである。

当時、と言うのはもう30年前後昔の話なのだが(驚)、まだまだ沢山の夜行列車が走っていた。わたしが良く使ったのは、大阪駅を0:00に出る「さくら」、同じく0:15に出る「はやぶさ」、そして同じく0:30に出る「みずほ」だった。「さくら」は途中で長崎行きと鳥栖行きに別れるのだが、わたしが「さくら」を使うのは月曜日の一番に博多か長崎でのアポイントのあるときだった。月曜の一番のアポイントが小倉あたりだと、「はやぶさ」や「みずほ」を使った。列車が来るまでの間、大阪駅近くで時間を潰すのが結構楽しみだった。ま、結局どこかで酒飲んで潰すのである。潰して良いのは時間だけであって、自分自身が潰れないようにコントロールしなければならない言う高度な技術が必要であったが、職務のためには避けて通れない道であった。

大阪駅発がこのような深夜なので、列車が入って来たときはもう寝台がセットされていて、鼾や寝息が聞こえてくる。誰かと挨拶するでもなく、物音を立てないようにそっと荷物を上段の奥に滑り込ませ、自分自身は上段の寝台に横になった。そう、「さくら」や「はやぶさ」などには3段の寝台車があり(多数派だったはず)、わたしはいつも上段を予約していた。少し安いと言うこともあるし、なによりも朝になっても寝たまんまで居られるので重宝するのである。下の2段は朝になったらたたき起こされるのだ。

もっと昔だったら、明治生まれの頑固オヤジなどがコンパートメントにひとりくらいいて「起きんか!」とどやされるようなこともあったかも知れないが、わたしがぺーぺーのセールスマンだった頃は、その辺は自由だった。時には、通路側の簡易シートに座って夜の闇を眺めながら買い込んだビールを飲んだり、あるいは自分の寝台でカーテンを閉めて灯りを付けて、ビールやワンカップを飲みながら、文庫本を読んだりしてゆったりと過ごしたものだった。

そんな体験があるせいか、わたしは少々物音がしようが揺れようが、関係なく眠るときは眠ることができる。一度眠ったら熟睡する。驚くべきことに、それほど熟睡しても今まで必ず、一度の例外もなく目を覚ましてきた。一度も永眠したことがない。あんなに何度も眠ったら、一度くらい失敗するのが人間らしいと思うのだが、失敗の経験はない。わたしが今までの人生の中で一度も失敗したことがないと言ったら、これくらいしか思い浮かばない。これ以外は、失敗の山に囲まれて今でも生きながらえている。

閑話休題。

夜行列車に乗るのは、主に往路だったが、仕事が詰まっていたときなどは復路も夜行列車で帰ることがあった。金曜日の夜に九州を出て、土曜日の朝大阪に着く。このときは、大阪着の夜行列車に乗った。いつものことではなかったので何に乗ったか覚えていない。未明に大阪駅に着くので、それから荷物を駅に預けて、サウナに入りに行った。風呂に入って汗を流し、脂を落とし、ついでに朝食もとってそれから出社した。土曜日1日かけて出張の整理をし、次の出張の準備をして、その合間に会議もやって、そして土曜日の夜を家で過ごし、日曜日の夜また夜行列車で九州へ発つ。そんな強行軍を繰り返していた。若かった~。

ある時、そんな感じで復路も夜行を使って帰阪し、朝サウナに入って、それから気分を変えてサウナでは食事を摂らずに商店街に出てモーニングを食べようと思ったことがあった。その商店街の名は知る人ぞ知る「阪急東通り商店街」であった。そして、首尾良く1軒の店を見つけモーニングサービスを注文して食していたのだが、雰囲気が微妙に変であった。わたしの回り、テーブルというテーブルについている男達。彼等は皆、例外なく「おねえ」であったのだ。どうやら、その方面の溜まり場だったらしい。朝からやっていると言うよりは、もしかしたら夜の延長だったのかも知れない。金曜日の夜を遊び明かした「オ○マ」さんたちが、ひと息入れる店でモーニングを食してしまったのであった。

「皆さん」の視線が痛かった。慌てて店を出て、いつもより早く出社した。朝で良かった。 f(^^;)

ブルートレイン「銀河」は今夜がラストランだそうだ。


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コメント

「みずほ」。父の実家が熊本なので、子供のときに帰省するときにいつも乗っていました。懐かしいですね。
たまに夜中に目を覚まし、ベッドの脇の小さな、細長いガラス窓(というか穴)を見ると、真っ暗なので何も見えない。ごとんごとんと揺れる心地よさに、再びまた深い眠りにおちるのです。そんな記憶が今も残っています。
お金を払っても、もはや体験することはできなくなっちゃいましたね。さみしいです。

投稿: なすび@元鉄道オタク | 2008年3月15日 (土) 23時38分

お久しぶりです!
訳あってミクシー辞めちゃいますた(また近々復活するかもですが)

銀河のラストラン見てきましたよ。
テレビ局や新聞社の中の人がたくさん来てました。
銀河の一本前の東海道に乗り、大船で最終的には見送りました。

樅の木さんの想い出の文なかなかでした。
鉄オタのオイラ的には羨ましいような話しの数々でした。
てか、銀河まだまだ走れると思うんですけどね。残念っス。

自分も銀河にはよく乗りました。
大阪の鶴嘴や新今宮界隈に知り合いやらがいまして、焼肉屋やホルモン食べてから夜22時の銀河で帰るのがお決まりのコースでしたし。
あとは甲子園に野球見に行った帰りや、名古屋でのクラブW杯の時も利用しました。

でも見送る事が出来て良かたです。

投稿: 李コムタン飛魚 | 2008年3月16日 (日) 02時55分

なすびさん♪

今は「鉄」じゃないんですか(笑)?
みずほは熊本が終着でしたっけ? はやぶさもその辺が終着だったみたいな記憶がありますね。
夜中に停車して、それからまた発車するとき、車両間のジョイントが伸びて金属音を立てるのが、先頭の方から順番に自分の車両にやって来て、それが最後尾まで去っていくのが何ともリアルな感覚で残ってます。

投稿: 樅の木 | 2008年3月16日 (日) 14時05分

李コムタン飛魚さん♪

mixi やめたんですね。例のあの問題でですか。わたしももうじきやめます。

さすが、ラストラン見てきたんですね、しかも伴走(?)までするとは (^^)
銀河には乗ったことがあるんですか。わたしは、銀河の乗車経験はないです。大昔に「だいせん」に乗って山陰に向かったことはありますが(これもまたレアな記憶)。
妻の実家が札幌なので、いちどカシオペアとかで行ってみたいと思っています♪

投稿: 樅の木 | 2008年3月16日 (日) 14時10分

鉄さんたちが集まってきている…

私は母方の田舎が博多だったもので幼少時代「あさかぜ」に何度も乗りました。懐かしいです。樅さまの文はとても味わいぶかく、素晴らしいと思いました。テレビなどでもラストラン特集が組まれていましたが、スピード重視で乗る人が激減した現在でも「新幹線よりも少し早く着くから」とよく乗っているというおじさんが印象的でした。どんどんスピードアップばかりしないで、少しは古いものも残してあげたらいいのにな、とも思いますが、ほとんどガラガラのままでブルトレを走らせ続けるのも無理があるんでしょうね。パック旅行みたいに人数に達しなければ運行取りやめなんてできないし。

寂しいものですね。子供ごころにあの何段かになっているベッドの窓のところから闇の中を走っていくのはなかなかどおして楽しいものでした。

カシオペア…愚息のアコガレの列車です。豪華ーに札幌、いいですね。一度やってみたいです、私も。

投稿: spatz | 2008年3月16日 (日) 16時02分

鉄の母です~。鉄道の話になると、愚息がソワソワ…。今日も鉄専門の店へ自転車を飛ばし、何かを購入して帰ってきた模様…。勝手にやっちくり~。

ブルートレインは1度だけ乗ったことがあります。父親が「ブルートレインももうすぐなくなるだろうから、今のうちに子供たちを乗せてやりたい」と言っていたのをよく覚えています。父親が言う「もうすぐ」というのは、30年以上のスパンがあったのですが…

深夜、目が覚めて外を覗くとどこかの駅に停車したところでした。ゴトゴトゴト…と、ひとけのないホームに停車し、また数分後にゴトゴトゴト…と出発するわけですが、あのきしむような音が今でも耳に残っています。うちの母親が、「戦争中、蒸気機関車で広島へ行ったときの汽笛が今でも耳に残っている」と言うのですが、こんな感覚なのかなぁとも思います。

投稿: ありちゅん | 2008年3月16日 (日) 16時15分

spatzさん♪

そうですねえ、あさかぜ君もいましたね (^^)
ブルートレインがなくなったら、以降の世代は西村京太郎さんの小説を楽しむことができなくなるではないですか。松本清張さんの「点と線」もたしか……

カシオペアで札幌行きは、いつか本当にしてみたいです。あと、なかなか面白いのは、鉄と言えば鉄ですが、船の方で(笑)、茨城県の大洗から室蘭か苫小牧に行くという方法もありますね。雑魚寝も良し、個室も良し。

投稿: 樅の木 | 2008年3月16日 (日) 21時24分

ありちゅんさん♪

鉄の母、一瞬サッチャーかと思いましたが、あるちゅんさんが鉄でできているのではないのですね(笑)。

汽笛というのは風情があるものですね。中原中也の有名な詩で「思えば遠くに来たもんだ」というのがありますが、あそこにも汽笛の音が使われています。

う~ん、わたしも、考えてみたら、随分遠くまで旅路を重ねて来たものですわ。

投稿: 樅の木 | 2008年3月16日 (日) 21時26分

まだ記事読んでませんが、コメント欄に直行・・・。ついに退会されましたね! 私もまずは日記を少しずつ削除中です。またあとでまいります~

投稿: あむ | 2008年3月18日 (火) 01時10分

あむさん♪

はい、昨夜出ました。
日記消すのはなかなか疲れました orz

投稿: 樅の木 | 2008年3月18日 (火) 08時36分

こぬばぬわっ!
文筆業でも通用されるような文章ですね♪おもしろかったです~
夜行列車、日本ではこどもの頃に一度だけ乗ったことあります。やっぱり、夜中窓からそ~っと外見ましたよ。真っ暗ななかビューン(ガタゴト)と走っていくのって、視覚にも体感にもおもしろく、かつコワイって感じでしたな~。それでもなんだかあのころは何もかも(汽車も人も空気も)やさしかったような印象~。

投稿: あむ | 2008年3月22日 (土) 19時52分

あむさん♪

夜行列車にいちども乗ったことのない人は少ないですね。一度は乗ってみたい乗り物のひとつでした。わたしは、ウィーンからカールスルーエまで例の夜行に乗るチャンスがあったのですが、流れてしまいました。残念です。(でも、パリからロンドンまで電車で行きました)

投稿: 樅の木 | 2008年3月23日 (日) 01時04分

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