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2008年7月29日 (火)

【Maiglöckchen】 すずらん

Maiglöckchen (マイグレックヒェン)(中):すずらん …… 五月の小さな鐘という意味。なるほど、花の形そのものをあらわしている。 ♪ある夏の夜~、静かな森を~、ひとり~歩く~とき~、いずこともなく~、ただようその香~、す~ずらんの花よ~♪ 人生円熟期に入った人なら、どこかで聞いたことのあるこの歌詞。ダークダックスが歌って大ヒットしたロシア民謡「すずらん」である。これは何でも、レコーディングが迫っているのに訳詞が決まっていなくて、あわててバリトンのゲタさんが書いたという訳詞(作詞?)である。見事なものだ。あっぱれ~(von大沢親分?)♪ 歌のすずらんも良いが、花のすずらんも良いのである。ところで、北海道のすずらんとマイグレックヒェンはまったく同じものなのかな?

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 いつ頃だったか、多分五月だったと思うが、北海道の親戚からすずらんが送られてきた。湿った新聞紙に包まれて、根付き鉢なしの状態で送られてきたので、わらわらとホームセンターにまろび、プランターと土を買ってきた。 ♪月曜日にすずらんが着いて、鉢と土を買ってきた~。てゅりゃてゅりゃてゅりゃてゅりゃてゅりゃてゅりゃりゃ~♪

 

 我が家は一戸建ての借家であって、ガーデニングをやろうと思えばいくらでもできるのだが、生憎その趣味はなかったので何もしていない。しかし遂に土いじりをすることになった。すずらんを植えたプランターはベランダに置いた。垣根のない我が家の裏庭にわ鶏はいないが猫が来る。荒らされたら癪なので、二階のベランダにお出まし願った。

 花が咲いている間、わたしは「ポチ」とか「タロ」とか名付けられそうなノリで、よくすずらんの花に顔を近づけて「くんくん」と匂いを嗅いでいた。たしかに良い香りだった。

 しかし、くんくんしていたのはわたしだけではなかった。

 我が家のベランダには猫は来ないが蜂が来る。蜂五郎と言うそうで、もう顔なじみだ(per Du)。仕事の途中でベランダを覗くと時々蜂五郎がすずらんにちょっかいを出しているのが見られたが、わたしは大人なので黙認していた。

 やがていろんな意味で盛りが過ぎ、すずらんは枯れた。わたしは元来、土いじりが面倒な生まれなので、枯れたすずらんもそのままにしておいた。完全に枯れたら、土に戻して同じプランターに、勝手に育ってくれるやつを何か植えようと思っていた。すると、先日発見した。すずらんが種をつけているのを。

 蜂五郎がちょっかいを出してくれたおかげで、北海道から嫁いできたすずらんが妊娠した。写真に写っている、丸い物体がそれである。

Suzuran_01

 昔、ドイツにいた頃、グラジオラスだったか百合だったか忘れたが、わたしが手で強制受粉させたら見事に成功したことがあった。「いまはまだ時期じゃないんだよ。めしべがまだ子供だからね。めしべが大人になると、めしべの先が湿ってくるから、その時に受粉させるといいんだよ」と誰かが教えてくれた通りにしたら、次のGenerationができた。

 我が家のベランダで、健気にも次のGenerationを残したすずらんを見て、そのことを思い出した。種を含むと見られる、「丸い物体」はほんの五個ぐらいしかないのだが、「強制受粉」させていたらどういうことになっただろう。嫉妬に狂った蜂五郎に刺されたかも知れない。

 この種は、このまま自然に枯れるにまかせてプランターの土に落ちるまで見守り、種が落ちたら枯れた茎や葉を片づけて(切って土の上にでも敷くか)そのまま春まで放置してみようか。こっちは冬も暖かいからなぁ…… 上手く行くのかどうかわからないけど、また首尾良く花が咲いたら、今度は「強制受粉」させて大量生産してやろう (^m^)

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2008年7月 7日 (月)

【Gabel und Messer】 ナイフとフォーク

Gabel und Messer (ガーベル・ウント・メッサー)():ナイフとフォーク …… 順番的にはフォークとナイフと訳さなければならないところだが、通りの良いのはこっちだろう。ドイツでドイツ人が「Messer und Gabel」と言うのは聞いたことがなかったし、日本でも「フォークとナイフ」という言い方をされているのを現行犯で逮捕した記憶がない。昔、日本人が海外に出て行き始めた頃は、「ナイフとフォークで食べることができるか?」と聞かれることが頻繁にあったらしいが、最近ではお箸を使うことのできる欧米人も増えてきており今後の成り行きが注目される。

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ナイフとフォーク、すなわち洋式の食事ということになるとあちこちで話題になることのひとつに、フォークの背中にライスを乗せると言うものがある。初めて聞いたときはわが耳を疑ったが、まだ耳が遠くなるような年齢には達していなかったので、聞き違いではなかったのだ。

まだ、パスポートすら手にしたことの無かった頃、試してみた。その食べ方を。何度かやっていると出来るようになった。日本の米だったから出来たことなのだろう。タイ米だったらそうは行かなかったはずだ。自分としては、この『マナーに叶った食べ方』をマスターしたと言うことで、外で食事をするときにもしばしば披露した。すると、上には上がいるもので、わたしの倍くらいのスピードで食べる御仁もいた。

実際にドイツで暮らした10年以上の間、ライスをそのようにして食べる光景にはお目にかからなかった。「日本ではこんなことを言われてたんだけど……」と言うと、「多分イギリス式じゃないか? あいつら、ろくなもの食ってないからそんな変なこと考えつくんだ」と言う意見があった。後日調べてみると、どうもやっぱりそうらしい(日本人の創作という俗説もあるが、どうもイギリス式というのが本当っぽい)。

しかし、そもそもヨーロッパでは日本のように米を主食として食べることは伝統的に無かったのであるから、ライスの食べ方など決まっているはずがないのだ。日本人の創作というのもこの辺が論拠なのかも知れないが、わたしは、英国式のマナーの目指すところを理解した誰かが、それを日本の食卓にも応用したのだろうと思う。英国人の誰かに「あなたならナイフとフォークを使って、どのようにライスを食べるか?」と聞いたかだろう。

日本で言われているマナーには、例えばスープを飲むときは、スープ皿の手前を持ち上げて、向こう側にたまったスープをすくって飲む、と言うのがあったりする。いくつかのそんなものを知って考えるに、無駄な動きを禁じているのではないかと思った。左手の中で、フォークを表にしたり裏にしたりすることとか、果てはフォークを右手に持ち替えるとか、あるいはスープ皿の向こうからスプーンを回してきてスープをすくうとか言うのが、無駄な動き、美しくない動きと誰かが決めたのであろう。姿勢を変えずに、静かに座したまま、最小限の動きですべてを美しく完食することに価値を見いだしていたのだろう。まあ、ただ持ち替えるが面倒だったという考え方もあるが…… 

また、話の出典を皆目思い出せないのだが、騎士団などの特殊な閉鎖的な集団、仲間意識(=排他意識)の強い集団で、仲間のしるしに特殊なマナーを考案して、それをするかしないかで仲間だの敵だのとやっていたのだ、それがそもそもの始まりだと言う説を聞いたことがある。

まあ、ことの経緯はともかく、飯の食い方ひとつでこちらがどう評価されるかなどを気にしていられるかと思う。一方、汚らしく食べるのはやはり気分の良いものではない。周囲が気持ちよく食べることの出来る食べ方が出来れば良いのだろうと、今では達観(?)している。

しかし、ヨーロッパ暮らしを長く続けたおかげで、ナイフとフォークには違和感がない。フォークの「腹」に大量のライスやジャガイモのピュレーを乗せる技術は可成り上達したし、スプーンを真っ直ぐ正面から口に入れるのは、そうしてみるとスプーンの形が人間の口にぴったりと合うからだと勝手に解釈して納得している(なぜなら、犬の口にはあの形状は合わないではないか)。我が家では、お好み焼きをナイフとフォークで食べる。これは最高である。鉄板の上でコテで「はふはふ」出来ない状況下では、お皿の上のお好み焼きを、ナイフとフォークで食べるのがいちばん食べやすい。赤ワインまたはひやしあめが合う。ルネッサ~~ンス!

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