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2009年11月16日 (月)

【Bleistift】 鉛筆

Bleistift(ブライシュティフト)(男):鉛筆 …… 昭和40年代の兵庫県尼崎では、これを「えんぺつ」と言うていたガキが結構いた。オッさんやおばはんも言うていたかも知れない。「きつねうどん」が「けつねうろん」になるのと原理は同じだ。

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 鉛筆と言えば今でもれっきとした筆記用具であるが、昔よりも売上げは落ちていることだろう。シャープペンシルなるものが生まれたせいで、そちらにお客を取られているに違いない。わたしもシャープペンシルが出始めた頃(そう言えば、わたしはその時代をリアルで知っている)、シャープペンシルに飛びついたものだった。折れてもすぐ、折れる前と同じように書けると言うことが何と言っても革命であった。おそらく、象が踏んでも壊れない筆箱よりも、折れてもすぐ書ける鉛筆の方が誰にとっても有り難かったはずだ。なぜなら、当時尼崎には野生の象は居なかったので、筆箱を象に踏まれる心配がなかったからだ。無駄な発明とはこのことを言う。ノーベル賞がもらえなかったはずだ。せめて、「オカンが踏んでも壊れない」ぐらいにしておけば良かったのに。

 ところで、鉛筆と言えば「削る」必要がある。ドイツ語で鉛筆を削るという場合、「Bleistift spitzen = 鉛筆を尖らせる」と表現する。やはり鉛筆は尖っているのがよろしいのである。そして、その昔、鉛筆を削ると言ったらナイフで削るに決まっていた。しかし、わたしが小学校に上がった頃すでに鉛筆削り機と言うものはあった。あの、手動でクランクをぐるぐると回すアレである。削りカスが容器の形に圧縮されて、ごみ箱に落としても四角いままなのが可愛かった。もっと簡単なものは、剃刀の刃が斜めに付けられた穴に鉛筆を突っ込んで回す、あのわかりやすいアレである。そして、わたしが小学校低学年の頃が丁度電動式鉛筆削りの出始めだったと思う。当時の子供の勉強机に、手動式が載っているか電動式が載っているかは、偏にタイミングと経済力のほんのちょっとしたバランスの違いであった。わたしの勉強机には、高校卒業するまで手動式が付いていたが……

 わたしよりも上の世代になると鉛筆削りはナイフである。彼らは単に「そうしていた」だけではない。とても上手かったのだ、鉛筆削りが。

 わたしの父の叔父には四人の娘が居た。父の従姉妹にあたる。「若草物語プラス」である。わたしが小学生の頃、彼女たちは中学生と高校生であり(父の叔父は父の父とかなり歳が離れていた)、同じ尼崎市内にいたので比較的頻繁に顔を見ていたが、彼女たちの勉強机には鉛筆削り機がなく、その替わり机の引出しにナイフが入っていた。鉛筆削り機を買うお金がなかったと言うよりは、ナイフで削れるのにそんなしょーもない機械買うのは勿体ないと言う発想だったのではないだろうか。彼女たちの削った鉛筆は芸術的に美しかった。

 わたしもナイフでの鉛筆削りには何度も挑戦した。父も母も鉛筆とはナイフで削るものと言う認識であったから、今時の親たちのように「危ないから持たせるな」等という発想は欠片もなかった。「怪我でもしたら次から気を付ける」というほどの発想であった。ついでに言えば、近所の子供の誰かが麻疹に罹ると「一緒に遊んで伝染して貰え」と言われた。免疫ができるからであり、早めに感染しておく方が軽く済むと言う認識だったためで、わたしも麻疹チャイルドが出たら、「ぼくもなるねん!」と言って遊びに行っていた(が、なかなか伝染らなかった)。

 話を元に戻そう。わたしも、ナイフでの鉛筆削りに挑戦したが、「取りあえず芯は出てきてるな。字は書けるな」という程度のものであった。一気にざっくり削りすぎるのだ。削った後の机の上には、鉛筆の削りカスではなく、削り塊が転がっていた。わが父の従姉妹たちは、そうではなく薄皮を剥ぐようにすこしずつ丁寧に鉛筆を削っていった。削られた鉛筆を見れば判る。幅1ミリ程度、長さが5ミリ程度の小さな切削面が、まるでミラーボールの表面のように並んでいた。子供心に「何でこないに上手う削れんのかなあ?」と感心していた。やはり、女子の几帳面さなのか、手先の器用さなのか(口先も器用だったなあ…)、はたまた鉛筆削りの上手い娘が持てたのか……

 鉛筆削りにコツがあることを知ったのはかなり大きくなってからだった。右手にナイフを持ってナイフの刃を向こうに向ける、そして左手の人差し指、中指、薬指などで鉛筆を保持し、鉛筆に触れていない左手親指を刃の背峰に置き、左手のその他の指で握った「鉛筆を動かして削る」、すなわち左手の親指でナイフを押すような方向に力は伝えられるのだが、右手でナイフをしっかり固定していると、ナイフは動かずに鉛筆が動くのだという基本に気付いたのはいつのことだったろうか? とにかく、ナイフは動かない。動くのは鉛筆の方なのだから危ないことなどあるはずもない。鉛筆が怪我することはあっても、指が削れることはないはずだ。危ないからと触らせないのではなく、安全な使い方を教える方がよほどためになる。

 わたしより下の世代は、「鉛筆とは機械で削るのが当然」な世代だ。今時の子供達のご両親も、そうやって育ってきたはずだから、ナイフで鉛筆を削ることのできないオトン&オカンも大勢いることだろう。しかし、「突っ込む」→「うぃ~ん」→「出来上がり」というのは何とも味気ない。そしてさらに、現代ではシャープペンシルを使うのが普通と来ている。そのうち、学校の方からシャープペンシルを使わない日を設けるなどの提案が出てくるのではないかと思うほどだ。

 中学の技術の時間では、製図のための鉛筆の芯の削り方を習った。太さが変わらないように、鉛筆の芯を紙ヤスリやナイフなどで削って平板状にするのだ。これも、筆記用具の発達で、最近では行われていないのだろうか? ひとつの「便利」がそれまでの工夫をすべてこの世から消してしまいかねないと言うのも、なんだか頂けない話だと思うのだが……

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