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2011年3月30日 (水)

【Simulant】 仮病を使う男

Simulant (ズィムラント)():仮病を使う男 …… 女性だったらSimulantinとなる。仮病(名詞)ならScheinkrankheit(シャインクランクハイト)等がある。Simulationも仮病という意味で使える。Umstandskrankheitってのはないのか? いまこのタイミングで仮病と言ったら、誰のことを指しているか火を見るよりも明らかだ。

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 東電社長が心労のあまり入院したという。お気の毒に。自分の身がこれからどうなるか、気に病んだあまり人前にも出られないくらいに憔悴なさったのだろう。何しろ、車椅子に乗って会見に出てくることもできないほどの重体だから、頭など下げようものならめまいが酷くなるのだ、きっと。現場で放射線に身を曝して働く程度のことでは比較にならないのだろう。ご入院遊ばした病院は、まさか計画停電の対象に入ったりしていないだろうな、と心配でならない。治療に支障が出て、健康を本当に損ねるようなことになったら、落とし前をつけて貰えなくなるではないか。

 

 心ある指導者なら、こう言うときは這ってでも出て来て土下座して謝るのだろうが、何しろ件の原発は、この人が社長なんかになっていないときにできたものだ。この社長さんは自分には罪がないのだからそう言う考えにも及ばないのだ。こんなバッドタイミングで社長にされてとても可哀相だ。本人もきっと悔やんでいらっしゃるのだろう。まあでもせめて、ご自分の貯金箱からいくらかを震災義援金に回したらどうか。

 東電社長氏にすれば、引くも地獄進むも地獄と言うところかも知れない、と言ったら、使う場所が違うと言われるかも知れない。「死んでも地獄」と付け加えるか? もしかしたら、さすがの東電社員も業を煮やして、むしろ周囲から「何もできないのなら潔く引っ込め」と入院を勧めたのかも知れないと勘ぐる。

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2011年3月24日 (木)

【Benennung】 命名

Benennung (

ベネンヌング)():命名 …… 名前を付けること。今回は地震および災害の命名について書いてみた。名前の付け方など、本来いちばんどうでも良いことなのだが、どうでも良くないことを書くには、気分も見識も相応しいところにないのだ。

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 今回の地震は、わたしの個人史の中でも最大の災害だった。阪神・淡路大震災は実家が少々被災したが、自分自身はドイツにいたので、共に体験したという感覚にはどうしてもなれない。

 さて、まず地震の名称について。こんなもの本当はいちばんどうでも良いことなのだが……

 4行前に阪神・淡路大震災と書いたが、その正式な名称・呼称について、Wikipediaに以下のように記載されている:

阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)は、平成7年(1995年)117日(火)に発生した大規模地震災害。地震発生時は気象庁が「兵庫県南部地震」と命名。その後政府(内閣府)が復旧・復興施策の統一名として「阪神・淡路大震災」と呼称。平成7214日に閣議口頭了解した。

 気象庁が命名したのは地震である。閣議で決定されたのは災害の名称だ。確か、最初は一般的に阪神大震災などと言われ始め、それから「淡路島もめっちゃ被災しとるのに、なんで阪神だけやねん?」と非難の声も上がっていた記憶がある。しかし地震の名称である「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」というのはいかにも響きが堅苦しくて、すぐには口から出て来ない感じがある。一般の感覚から言うと災害名である阪神・淡路大震災が、もっとも普及された呼称に思えるのだが、もう一度、Wikipediaから引用する:

1

17日の災害発生当時、気象庁は命名規定[4]に基づき、地震を「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」(The South Hyogo prefecture Earthquake in 1995)と命名。

しかし、気象庁による正式名称に先立って毎日新聞が「阪神大震災」と呼び始め、他の報道機関の中にもこれに追随する動きが出始めた一方、朝日新聞や日刊スポーツでは「関西大震災」。読売テレビでは「関西大地震」と呼称していたこともあり、様々な呼び名が入り混じっていた。

その後、政府が、今回の災害の規模が大きい事に加えて今後の復旧に統一的な名称が必要であるという観点から、淡路島地区の被害も大きかったことにより、「関東大震災」に準え、災害名を阪神・淡路大震災」と呼称する事が214日の閣議によって口頭了解された。224日には、5年間の時限立法として「阪神・淡路大震災復興の基本方針及び組織に関する法律(平成7年法律第12号)」が制定(即日施行)された。この時から「阪神・淡路大震災」と呼ばれるようになり、この名称が現在でも使用されている。

この名称については、「阪神」にも「淡路」にも該当しない明石市などから、「大阪市と神戸市および中間地域」「両市を含まない中間地域」いずれの意味においても「阪神」という言葉は被害の実態に即していないとの批判もある(特に前者の意味でとらえるなら、被害が軽微であった大阪を示す阪の字が名称全体の先頭に来ている)。

 なるほど、明石あたりから見れば「ふざけんな」と言うところなのか。災害の名称なのに被害の実態に即していないということだ。やはり気象庁の命名した地震名「兵庫県南部地震」の方が災害名としてもまだ妥当だと言うことになるか。

 気象庁に地震の命名規定というものがあるというのも初めて知った。これは命名の仕方ではなく、“100kmよりも浅い直下型・M7.0以上、同じく海洋型・M7.5以上・全壊100棟程度以上”などの「こう言うときには地震に名前を付ける」と言う規定のことだ。

 さて、重複するが、注意するべきなのは、「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」は「地震の名称」であり、「阪神・淡路大震災」は「災害の名称」であると言うことだ。一般には、地震の名称と災害の名称とを区別するという感覚はないと思う。しかし、実際にはいわゆる「あの地震」にはこのように2つの正式名称が付いているのである。

 さて、今回の大地震(災害名)にも数種類の名称が使われている。

 気象庁の行った地震の命名は「東北地方太平洋沖地震」と言う。相変わらず堅苦しい。そして災害名称として、東日本大震災、東日本大地震、東北・関東大震災、東北・関東大地震などの呼称が使われている。これは災害名であるので終わり方は「大地震」ではなく「大震災」の方が適切なように思う。始まり方の方は、「東日本」とすると、「北海道は入れへんやろ」と言う声が上がりそうだが、漏れるよりはマシだ。「東北・関東」とする場合は、中黒「・」が大事だ。これがないと関東地方の東北部と混同する。それに最後の五文字が関東大震災となると、被害の主体が関東にあるように感じる人も出てくるだろう。そして大正12年のあの有名な災害とかぶると言うのもあまりうまくない気がする。ちなみに、関東大震災は、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生したマグニチュード7.9、海溝型の大地震(関東地震)による災害である。ここでも、地震名は「関東地震」であり、災害名が「関東大震災」なのだと読みとれる。

 わたしは最初、今回の地震は「東北大震災」ぐらいに落ち着くのではないかと感じていたのだが、思った以上に茨城県の被害も大きい。茨城県を除外するわけにはいかないだろう。

 この311日の初アタック以降、太平洋プレートと北アメリカプレートとの境界線地帯(三陸沖、宮城沖、福島沖、茨城沖、千葉東方沖など)はもとより、長野県北部、新潟県中越、静岡東部などでも大きな地震が起こっていることも考え合わせれば、東日本と大きく括るのが妥当なように思う。

 東京など首都圏は被害がまだ小さいと言われるが、浦安ほかの地域の液状化現象も深刻だ。23区内でも足立区、荒川区などは計画停電の対象に入っているし、計画停電なら富士川までは東電管内だし、群馬も栃木も電気を止められている。これも地震災害の一環だと考えることができるだろう。

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2011年3月12日 (土)

【Erdbeben 2】 地震2

(承前)

 岩手や宮城、福島などの被災地の情報を目にするにつけ、自分自身の状況に対して「被災」という言葉を使うことが憚られるのだが、一時的にでもライフラインが途絶えたのであるから、わたしも被災者の末席には入れるだろうか。

 つまり、わたしは被災慣れしていないと言うことを言いたいのだ。まあ、被災慣れなんてのはしたくないものだが…… 

 翻訳の仕事をしていると、自分がまだ体験したことのない状況のことが書かれているのがほとんどだ。それを訳して意味の通る日本語、できれば極めて自然な日本語にするために、創造力を最大限に働かせて、一生懸命現場の様子を思い浮かべる。これで何とかなっているのだが……

 自然災害については、特にこんな前例のない巨大な災害については、自分の創造力は及びもつかない。何しろ、この比較的被害の軽かった茨城県南でも、店という店から品物が消えると言う状況が想定できなかったのだから、現場のことなどとてもわかったようなことは言えない。ガソリンスタンドまで売るものがなくなって休業になっているのには驚いた。

 11日夜半から断水となった。地震の後も水は普段と同じように使えていた。復旧工事のための断水だと聞いたが、それほどダメージは大きくないと思っていた。しかし、復旧はまだである。ついさっき、どうやら明日の朝には水が戻ってくるらしいと言う発表があったが、それは新たな漏水箇所が見つからなければ、と言うことらしい。

 バスタブにいっぱい、水を張っておいたので、二人暮らしと言うこともあり、トイレなど困ることはないが、米をとぐ水がギリギリだと妻がこぼしている。水不足の折りに「こぼすなよ」と言いたいところだが、水をこぼすのでなければ良いか。明日の朝水が出てくれればホッとひと安心と言うところだ。ほんの1日と少し水が止まっただけでこんなだから、現場のストレスと不自由がどれほどのものか想像できない。申し訳ないような気分になる。

 

 ところで、福島第一原発の件はさらに大きな驚きであった。原発で爆発災が起こるというのはとんでもないことだ。以前、仕事でも多少関わったことがある「原発」。粉がこぼれただけで報告書を書かなければならないような世界で、爆発というのは厳しい。もしチェルノブイリのような規模の汚染になれば、人の住めない地域、進入禁止地帯がどれほどの範囲になるのか。チェルノブイリでは半径30kmではなかっただろうか? だとしたら南相馬市などは地図上から消滅するような話にもなってくる。原子力というのはとてもすごいエネルギーであって、これが平和利用されれば素晴らしいのだが、安全利用がなかなか難しいのだ。悩ましいことだ。

 さて、ここで翻訳者の職業病が頭をもたげてきた。ちょっと、ぼやかしてもらいまっせ。

 新聞でもTVでも再三、「放射能汚染」とか「放射能漏れ」とか言う言葉が発せられている。日本のメディアの程度の低さが知れる。放射能とは放射線を出すことのできる「能力」のことである。だから放射「能」というのだ。PCなどのディスプレイの解像度のことを「分解能」などとも言うがあれと同じ使い方だ。だから、漏れるのは放射能ではなく放射線だ。「放射能がある」という用法は正しいが、「放射能が漏れる」と言ってはいけない。民間人が誤用するのは仕方がないが、メディアの人間までが平気で誤用しているのは立腹を通り越して呆れる。

 あと、誤用されている言葉には、「震源」がある。震源(独:Hypozentrum, 英:hypocenter または earthquake focus)とは地震が発生した地点のことで、「深さ」をパラメーターに持つ。これを特定するなら北緯何度東経何度深さ何kmなどという風に特定する。これに対して「震央」という言葉がある。震央(独:Epizentrum, 英:epicenter)とは、震源直上の地表面のことで、「俗に」震源地と呼ばれているのはこっちのことである。これなどは「震央」という言葉を聞いたことがないという人も居る位なので、近い将来震源地という言葉が正式に認知されてしまうのではないか、と言う気もするほどだ。

 「震央」が廃れて「震源地」が普及すると言うのは、まだ問題が少ない。しかし、放射線と放射能を混同するのはええ加減にせーや、と言いたい。TVなどで解説に出てくる専門家はきちっと使い分けているようだし、「線量」という言葉も使っていて、これは流石に専門家である。「震源」vs「震央」ほど、この組み合わせは融通がきかない。放射線を放射能と言うのは百年経っても間違いである。

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3月13日16:00加筆

この地震は最初、「東北地方太平洋沖地震」と命名したと気象庁の発表にあったが、現時点で一般的に「東日本大震災」と呼ばれることが多いようだ。「東日本」だ。今までの日本の地震でこんなに包括的に命名された地震はないのではないだろうか。関東大震災とか、阪神淡路大震災、あるいは中越地震などなど記憶に新しいし、被害も甚大だったが、今回のものがどれほどこれらの前例を上回っているかはこの一般的に認知されつつある命名にも現れていると思う。これは放射線と放射能との混同の問題とは別次元であって、むしろ一般的に何という名で呼ばれるかに、何か意味があるように思う。

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【Erdbeben】 地震

Erdbeben(エアトベーベン)(中):地震 …… 昔から怖いものの代名詞として、地震・雷・火事・親父というのがあった。最後のは最近あまり怖くないらしいが、最初の三つは十分過ぎるほど恐ろしい。

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この原稿を書いている現在、311日の午後8時である。今日、何があったかと言えば、地震だ。東北地方太平洋沖地震と命名されたそうだ。マグニチュードは8.8。最初7.9と発表され、それから8.4に修正され。さらに、8.8に修正された。とにかく大きな地震だった。

これは記録として書いておこうと思う。

最初のひと揺れが来たとき、わたしは自宅から1kmほどの距離のケーズデンキにいた。プリンタのインクカートリッジを買いに出ていたのだ。揺れは最初は小さかったが、ゆっくり時間をかけて揺れが大きくなってきた。このことから、震源からはある程度距離があることは心のどこかで察したが、揺れは強くなるばかりで、『これは外に避難した方が良さそうだ』と判断した。他のお客さん達もだいたい同じくらいのタイミングで同じ判断をしたらしい。わたしは比較的出口に近い位置にいたので早めに脱出した。それから後に他のお客さん達がわらわらとまろび出て来た。表に出ても揺れはまだ続いていて、立ってはいられるが歩くのには極めて不適切な状態が続いた。揺れはじめから可成りの時間が経った。2分ぐらいだと思った。

携帯で妻に電話をかけた。1回目(14:49)は呼び出し音が鳴ったが出なかった。2回目からは接続ができなくなった。回線がパンクしたのだろう。買い物どころの騒ぎではないらしい。わたしはそのまま車に乗り込み自宅へと急いだ。帰途、道ばたのどの家も倒れていなかったし、瓦が落ちていると言うこともなかったので、おそらく我が家も大丈夫だろうとは思ったが、実際に自宅が無事に立っているのを見てホッとした。

まだ、この時は事態がそれほど深刻には感じられなかったのか、犬を連れて散歩している人を二人見かけた。

妻のテンションは高かった。当然だ。マグネットの緩い方の食器棚の扉が開いて、ワイングラスが割れた。ワインは無事だった。机の上のものは派手に落下していた。仕事部屋でも、ノートパソコンが床の上で寝ていた。机や和箪笥が水平移動していた。

帰宅してから、茨城県沖を震源とする地震(15:15?)があり、結構肝を冷やした。それから何度もやってくる余震と付き合った。市の広報や水道局の広報のスピーカー放送が響く。水道管の破損などに対処するために数時間後に市内全域で断水するので生活用水を確保しておくようにと言う連絡だった。家中の薬缶、鍋、バケツ、そしてバスタブに水を張った。

19時頃になると、可成り落ち着いて来たように感じられた。コンビニに行くと、駐車場が見つけにくいほどに混雑していた。パン売り場や弁当、サンドイッチなどの簡単フードが軒並み空っぽになっていた。確かに、火を使うのも怖い気がするし、断水すれば洗い物もできなくなる。せめて今夜ひと晩持ちこたえるだけの食料と飲料は確保しなければならないと、大勢の人が考えたのだ。

我が家のガスはプロパンガスなのですぐに復旧して良かったが、ガスの安全装置は正常に機能しており、湯を沸かすために、ガスボンベの横の安全装置をリセットしなければならなかった。、

テレビで被害の状況が報道される。阪神淡路大震災のニュースをドイツで見て魂消た時のことを思い出した。実家から一度電話が入ったが、出ると不通だった。やっとこさ連絡が取れて「生きてます」と言えたのは20時近くになってからだった。

現在日付が変わって午前0時。いったんはおさまったようにも感じられたが、思い出したように大きめの余震が来る。小さな揺れなどもうデフォルトという感じになっている。余震が本震を上回ることはないだろうと思うのだが、夜中に頭の上に何かが降ってきそうな気がしてならない。

亡くなられた方も多いと聞く。胸が痛む。

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