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2011年6月17日 (金)

【Barbierstube】 床屋

Barbierstube (バルビーアシュトゥーベ) ():床屋 …… 英語ならBarber shopと言うところか。英語でbarbershopと言うと、「床屋」の他に「男声の」、「密集和声の」という用法もある。これは19世紀のアメリカで、床屋に集まった男達が無伴奏でカルテットを楽しむのが流行したことに起源を持つ言葉だ。

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 ドイツ語でbarbierenと言えば「髭を剃る」という意味で使われる。床屋は髭を剃る店だった。現代では床屋と言えば月に一回行って「一ヶ月分切って」と言って椅子に座る店のことを指す。しかし、美容院に行く男なども増えており、床屋に行く=ダサいみたいな図式が出来上がりつつあるような気がする。しかし、かつて男達がもっと男であることを楽しんでいた頃、朝床屋に行って出勤前に髭をあたって貰うと言うことが普通に行われていたと言う。わたしの在独時代の行きつけのミュラーさんは、「俺が若かった頃は、みんな仕事に行く前にうちの店に来て髭を剃っていったもんだよ。もう、朝は忙しくてね、客も俺も立ったままで髭剃りだったな」などと懐古していた。お代も安かったのだろう、3マルクとか5マルクとか言っていた記憶がある。

 以前このブログで、床屋について書いたことがある。その趣旨は、「大阪の床屋は上手い。ちばらぎの床屋は下手くそ」というものだった。それは、髭を剃る腕前、と言うより考え方=姿勢の違いだ。大阪の床屋で顔を剃って貰うとホンマにつるつるになる。顔剃りの後、客に自分で顔を洗わせてつるつるになった、すなわちしっかり剃ったことを確認して貰うと言うことが当たり前になっている。ちばらぎの床屋の顔剃りは、東電の記者会見のようなものだ。事後、触ったらもうざらざらだ。だからわたしはいつも、ちばらぎで床屋に行く時は電気剃刀を持っていって、店から出たら車の中で髭を剃っていた。この現象は複数の店で見られた。わたしはごっつ不満だった。

 関西に帰ってきて、床屋に行く暇もなかったのだが、母の見舞いに行った帰りに床屋を見つけて飛び込んだ。そこは、カットだけなら900円というえげつなく安い店だったが、それはそれで有り難い。つまり、こういうスタンスの店なら、すぐに終わるだろうという計算が成り立つのだ。こういう値段だから回転をあげないと採算が取れないからだ。そもそも、女性と違って男の場合は髪の毛が短くなればそれでよいのだ。ガキの頃からそうだったが、わたしは、いかにも「ついさっき床屋に行ってきました」という「正座したような」髪型が嫌で、床屋から出たらすぐ頭を「わしゃわしゃわしゃ」とやっていたものだ。床屋は早ければ早い程よい、と言う程度に考えている。ただし髭はきちんと剃って貰いたいが……

 そう言うわたしは、実は三月初頭から髭を伸ばしている。今回は安い店で触られるのが何となく嫌で、カット+洗髪にして貰った。カット+洗髪で1200円だ。これに顔剃りも入れると1500円。セットメニューにはモーニングサービスと言うのがあって、トーストとゆで卵は出て来ないが、平日午前中は200円ぐらい割引してくれるらしい。今度は早めに行って髭もあたって貰おうか?

 わたしが入店した時、2名の先客がいた(椅子も2脚だけ)。そして順番待ちが1名。しかし10分でわたしの番になったのは、見込み通りだ。順番を待ちながら仕事っぷりを見ていた。腕はよいと思う。早くあげるために、別の言い方をすれば900円分のサービスで収めるために、たいへん手際よく仕事を進めていた。そして、そのカットだけの客のカットが終わり、合わせ鏡で見せてOKを貰ったら…… なんと、客の頭に掃除機を当てた。ど~ん。もちろん「どたま専用」の掃除機に決まっているが、これはええな~と思った。女性のカットはどうだかわからないが、男の短髪のカットは毛屑が大量に発生して頭に付着する。これを除染、もとい始末するのにはブラシや刷毛でお上品にやるよりは、掃除機の方が断然効果があると思う。

 日本の床屋で、バーバーショップ・アンサンブルが普及してくれないだろうか……

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2011年6月 8日 (水)

【Zuhause】 家で、故郷で

Zuhause (ツーハウゼ) ():家で、故郷で …… 他にも「精通している」という時にも使う。フランチャイズやから何でもお手のもん、と言うほどのニュアンスか。

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早いもので、尼崎に越してきてからもう2週間が過ぎた。越してきてすぐに大口の案件がひとつ入ったために、仕事部屋は今でも雑然としている。どうせ地震が来たらまたぐちゃぐちゃになるのだと思うと整頓する気にならない(嘘)。この2週間のうちに2回、父の奇襲に遭い慌てた。近くに住むと言うことはすなわちこういうことだ。夜遅くまで段ボールと格闘した翌朝、携帯電話で起こされて、「おい、今、家の前におるんじゃ。玄関開けんかい♪」という…… orz

この街はわたしの生まれ育った街である。住む地区はもちろん違うが、それでもこの空気を知っている。今まで国内外でパンパではない回数の引っ越しを経験してきたが、新しい土地に越して行ったのと比べて、やはり何か決定的に違うものがある。これが「帰郷」と言うものなのだろう。風景はずいぶん変わった。昔のたたずまいの残っていそうなところもあるが、見る影もないところもある。この街には大学を卒業するまでずっと根を生やしていたのだが、不思議と記憶に残っている風景は、皆、腰の高さから見たものばかりだ。

こちらに越してきてから縁の深くなる新しい風景は、十三である。「じゅうさん」ではなく、もちろん「どらいつぇ~ん」でもなく、「とうさん」でもなく、「じゅうそう」と読む。十三の駅は、阪急電車の神戸線、宝塚線、京都線の分岐駅で、ある意味梅田以上にぶいぶい言わせている。街も昔からぶいぶい言うている。今は亡き藤田まことさんが「十三のねえちゃん~♪」と高らかに歌い上げたあの街だ。以前読んだ高村薫の「神の火」という小説(奇しくも原発ジャックのお話しだ)の舞台のひとつにもなっている。母がこの十三の駅からほど近いところにある病院に入院しているのだ。毎日というわけには行かないが、結構頻繁に行くことになる。病院から駅へとたどり着くまでに、数々の誘惑と戦わなければならない。幸い夜に歩くことはないが、これはまさに歌舞伎町を突っ切って何もしないで新宿駅に向かうようなものだ。今までも度々誘惑に負けて、串カツやたこ焼きにちょっかいを出してしまった。これから先が思いやられる。

こちらでの生活は、「ちばらぎ」に居た頃と違って、車への依存度が少ない。確か尼崎は面積が狭いので人口は45万人程度(昔は55万人ぐらいまで増えた)で、兵庫県で3番目ぐらい(姫路に抜かれてめっちゃ悔しい)だが、人口密度が半端でなく全国でもトップ10に入るらしい。そんなわけで、車で出掛けたらPを見つけるのに往生し、見つけたら今度はP代を払うのに往生することになるのだ。家から阪急園田駅まで15分ほどを歩く機会が増えた。これからは少し運動不足が解消されそうだ。これで、ボディが再び締まって、また「もててもててこまる」ようになったらどうしようか(爆)。

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2011年6月 4日 (土)

【Umzug】 引っ越し

Umzug (ウムツーク)():引越 …… 普通、家を移ることだが、この他にも同じ棟の中で部屋を替わることを言ったり、データを古いパソコンから新しいパソコンに移すことを指す場合もある。どちらにしても、引越はしんどい。

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 引っ越した。

 今まで住んでいた茨城県南、通称『ちばらぎ』と呼ばれる地域から、生まれ故郷の尼崎に引っ越した。実家からほど近いところ、中学生なら10分以内で走っていけるあたりに移り住んだ。この引越は数年前からの懸案事項、いつかはしなければならないイベントだった。

 それにしても、引越は疲れる。大抵の力仕事は引っ越し屋さんがやってくれるのだけれど、それでも疲れる。思えば、先回の引越をした時は、まだ四捨五入で百歳にはなっていなかったのだから体力も落ちようと言うものだ。

 前の日記にも書いたのだが、これは放射線逃亡ではない。まあ、電気代逃亡だったりする可能性はある。あと、地デジ逃亡か…… 関西地方にはサンテレビという阪神タイガースの広報担当の放送局(嘘)があり、これがUHF局なので、大抵の関西人にとって地デジ化は痛くも痒くもない筈だ。我が家では、以前から「帰阪」と言うことが懸案事項だったので、ギリギリまで地デジ化対応はしていなかった。そして、何もしないまま退去してUHFの国へ移住することになったのであるから、この点では「上手いことやった」と言うべきだろう。新居には、当然のように地デジ対応のアンテナが付いていた。

 さて、大家に退去を申し渡してから1ヶ月の間、じっくりと荷物をつくり、そこら中で最後っ屁をかまし(多分嘘)、合計80kgほどのゴミをクリーンセンターに持っていき、移動当日(5/25)を迎えた。

 S引越センターに荷物を託し、不動産屋に鍵を渡して、手荷物を車に積み込んで出発した。これで、関東地方ともお別れだ。これで、直進車両に先んじて右折して行く名人ドライバーの皆さんにお会いすることもないだろう(今まで随分いろんなところで運転してきたが、この手のテクニックを駆使するドライバーはこのあたりでしかお会いできなかった)。

 圏央道から常磐道に入り、それから首都高を突っ切って東名に入るわけだが、よくよく考えてみると、三郷から用賀に向けて首都高を走るのは、おそらく10年ぶりぐらいだ。今までは、車で関西を指して走る場合、早起きして明け方の一般道で川崎あたりまで行って、それから東名に乗ったが、大抵は、飛行機、新幹線、路線バスと、極力自分で運転することのないように計らっていたのだった。

 驚いたのは山手トンネルと言うものができていたことだった。お陰で宝町とか飯倉とか銀座とか言うランプを見納めていくことにはならなかった。まあ、特別見納める必要もないのだが…… 見た覚えのない場所を看板だけを信じて走るのは、少し不安でなおかつつまらない。幸いだったのは、看板に嘘が書かれていなかったことで、お陰で本当に用賀まで辿り着くことができた。東京電力や政府と言う公的な存在ががあれだけ嘘をつきまくる国で、これはもしかしたら奇跡かも知れない。

 移動の数日前、久しぶりの長距離の高速走行を前に、近所のスタンドで安全点検を受けた。ワイパーブレードを替え、後輪タイヤを新品に替えた。お陰で、ドライブは快適だった。燃費も通常で10km/Litterぐらいの我が車が、まあ、高速走行ではあるのだけれど、15km/Litterぐらいで走ってくれた。守谷SAのヨーグルト風味のソフトクリームが眠気を覚ましてくれた。夕焼けを背に映える富士山が美しかった。足柄SAの牛飯が美味かった。滋賀県の竜王PAで仮眠を取って時間を合わせて現地入りした。不動産屋で新居の鍵をもらってくるためだ。およそ600kmの高速走行をした我が車のエンジンはたいそうご機嫌が良いように見えた。軽やかだ。思えば、この車を買ってから本格的な高速道路走行は今回が初めてだった。さぞや沢山のバルブの煤が落ちたことだろう。

 久しぶりの長距離走行を終えて、腰が痛くなるかなと思っていたがそれはなかった。でも、その替わり、肩が痛くなった。思えば何時間も同じような姿勢でハンドルを握りっぱなしなのだから、肩のひとつやふたつ痛くなっても不思議ではない。みっつ痛くなったら少しばかり不思議かも知れない。

 とにかく、荷物も住人も無事に着いたのはなによりだ。しかし、本当の引越はこれから始まるのだ。

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