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2011年10月30日 (日)

【Staatsbahn】  国有鉄道

Staatsbahn(シュターツバーン)(女):国有鉄道 …… これを「国鉄」と言ってしまうと、いきなり「日本の」鉄道のことになってしまいそうだが、世界中の多くの国において、鉄道事業は国有のようだ。民営化されているのは日独米ぐらいではないだろうか?

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 今時の若者の中にはJRしか知らない年代の人も多いだろう。しかし、198741日以前は、日本の鉄道は国鉄と言ったのだ。もう24年以上昔のこと、すなわち四半世紀が過ぎようとしているわけである。昔日の感がある。これは、ここだけの話だが、わたしはこの時29才であった。国鉄とともに29年生きてきたキャリアがあった。

 1987年の331日、わたしはいろんな経緯があって、ドイツからソウル経由で大阪伊丹空港に着いた。そしてシャトルバスに乗って大阪駅に着いたのはもう夕方だった。大阪駅では国鉄職員が集まってシュプレヒコールをしていた。

 わたしは何の騒ぎかわからなかった。それまでしばらくドイツに居続けて、「日本」という一定のエリアで見れば、たいへん浮世離れした状態であったのだ。そこで、彼らの叫んでいる内容を聞きながら、ゆるゆるとことの経緯を理解したのだった。それは国鉄最後の日だったのだ。そして、ほぼその日を境に、わたしは大阪(関西)の人でもなくなった。わたしの日本での活動拠点は箱根の山よりも向こう側になり、大阪文化圏で暮らした日々は過去のものとなった。

 以来、いろんなこと、例えば「テレビではとても言えないこと」や「ブログでは決して書けないこと」、「メールでもやっぱり白状できないこと」、「ラジオでは到底お見せできないこと」などがあった。24年間わたしの住民票は故郷を出たきりになっていた。帰ってきたのは今年(2011年)の5月末である。

 さて、そうすると、まあいろんなことが起こったわけだが(何しろいろんなことがいろいろすぎて、今までブログの題材が絞れないでいたぐらいだ)、何と言っても特筆に値するのが国鉄の復活である。いや、何もJR西日本が倒産したわけではない。わたしの中で国鉄が復活したのだ。

 わたしの関西での生活は国鉄最後の日とほとんど時を同じうして終わった。わたしの関西での記憶に残っている鉄道と言えば、阪急、阪神、南海、お京阪、地下鉄の他は、「国鉄」なのだ。わたしの関西メモリーの中にJRと言うワードはない。TradosならNoMatchで分節が開いて止まるところだ。

 実家近場の猪名寺駅、伊丹駅、塚口駅はもとより、大阪駅でさえ、それを会話で発語しようとすると「国鉄の~」という言葉が語頭にくっついて出てくるのだ。2011にもなって未だにわたしは国鉄という単語を口から迸らせている。たまたま電話で話していた高校時代の友人からは「お前、何タイムスリップしとんねん」とか「昭和やの~」とか言われた。

 わたしの中の国鉄は、しばらく破綻しそうにないwww

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