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2012年1月31日 (火)

【Ersparung】  節約

Ersparung(エアシュパールング)(女):節約 …… 以前からボンビーな人々にとって重要なテーマだったが、震災以来さらにこれが重みを増してきた。「なくても困らないものがある」というのは、「豊かさ」の一面だが、すなわち一面にしか過ぎない。

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原発事故前後の東京電力の大不始末とその傲岸は、日本国内はもとより世界中から軽蔑されたが、これによる一連の節電騒動(?)は、節約ということに対する真摯な問題提起となったのではないだろうか。

わたしは昭和30年代に生まれ、高度成長期のただ中で育ってきた。そのせいか、節約というと「貧困のせいで」という単細胞的な発想が心根にあると(我ながら)感じる。しかし、環境意識を高めて考えるなら、節約という行為は貧困とは無関係である。むしろ、「足るを知る」ことから出た節約は人間の進化した姿ではないかと思う。節約と言うよりは無駄をなくすということか。

さて、震災後各方面各家庭で節電への取り組みがなされているが、その中でトイレの温便座をOFFにするという事柄があった。なるほど、トイレの便座に座っている時間は1日のうちわずかだろう。大家族でも便座占有時間はさほどではないのではないだろうか。そしてしかも、大抵の家庭では便座の蓋が上げられているとなると、暖房効率も悪い。あの蓋についてはわたしはもう随分前から「蓋を閉じる派」である。そもそも使っていないときに閉じなければいつ閉じるというのだ。折角蓋が付いているのに勿体ないではないか。蓋を閉じれば暖房効率も上がる。これも一種の節電であるが、OFFにすればもっと節電になる。

しかし、お年寄りのいる家庭など、便座が冷たいせいで心臓麻痺でも起こされたら嫌だと思うだろう。誰だって便座の上で死にたくはない。昔は畳の上で死ねるかどうかが人間の幸福の尺度のひとつだったと聞くし…… そういう場合、温便座をOFFにしろとは言いにくいが、冷たい便座への対応策はある。

ひとつは太腿の下に手を差し入れるというわかりやすいやり方だ。これは緊急時に良い。

もうひとつは、まず服を着たまま(下ろさない、またはたくし上げない状態で)便座の上に座って30秒~1分待って、便座が体温で暖まってからおもむろに開始するという方法である。トイレを安息の場と考えている人も多いと聞く。ならば、事後ではなく事前にもすこしゆっくりしてみてはどうかと思うのである。

この方法をあみ出したのはドイツで暮らしていた頃だった。ドイツのトイレは日本の家庭のトイレのように便座カバーがかかったりしていない。そもそもそれは「不潔だ」と彼らは感じるのだ。「毎日取り替える」では足りない。それは「1回単位」でなければならぬ。確かにそうだ。だから、便座はあのプラスチックの素材そのままで使用する。事前に専用のグッズで拭き掃除をしたり、紙の便座を使うと言うこともあるが、それはあくまで清潔のためにであって、冷たい便座を回避するという発想はない。今はどうだか知らないが、当時はトイレというのは「そういうもの」だった。「その程度で当たり前」のものだった。

しかし、ドイツは寒い国である。ギャグも結構寒いが冬はもっと寒い。夜間に外気が氷点下10℃になったりすることもある。寒い日に車を運転していて、うっかりフロントウインドウをウォッシャーで拭いてしまったら、フロントガラスが一気に氷で覆われて肝を冷やしたこともあった。そんな国で冷たい便座は辛い。もちろんトイレにもセントラルヒーティング(ハイツングという)が完備されているのではあるが、便座が暖まるほどトイレ内部を温めたりはしない。そこでこの自分の体温で温めるという方法を実行し始めたのである。これは安い。体温を保つのには結構かかっているだろうとは思うが、しかしこの経費は「タダ」と考えて差し支えないと思う。

この方法についてとある若い友人に伝授したところ、彼は早速やってみたそうだ。そして報告してくれた;「あれ、やってみたんですけど、はい、良いと思います。ただ…… あ~、あの~、身体がですね、便座に座ったら『もう良いんだ』と反射的に思うらしくて、危ないところでした。少し慣れる必要がありますね……」

そうかも知れない。そもそもトイレに行くときはすでに危なくなっているのであるからして、身体は開放されることを欲しているのであるからして、座る前にしっかりとSchliessmuskel(括約筋)を締めておかなければならない。できれば、座る案件の場合は余裕を見て行くべきである。これを彼に言うのを忘れていた。

彼は幸い持ちこたえ、悲劇は起こらなかったそうだ。たしかに、分別のある大人なら、悲劇が起こることはおそらくないだろう。

それにもし何か起こったとしても、それは「喜劇」だ。

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2012年1月 9日 (月)

【Steuererhöung】 増税

Steuererhöung(シュトイヤーエアヘーウング)(女):増税 …… die Steuer(ディー・シュトイヤー)は税のこと。この語の中にteuerという綴りが含まれているが、ドイツ語にはまさしくこの綴りのteuerという形容詞があり、「値段が高い」という意味になる。皮肉だ。なめとんか。これが中性名詞でdas Steuer(ダス・シュトイヤー)だと「舵」という意味になるのだが。

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どうやらいよいよ消費税率が増えそうな雲行きになってきた。

とは言え、現在の税率5%は世界レベルから見るとまだ低い方だと思う。わたしはドイツで10年以上暮らしたが、税率は渡独したばかりの頃で14%だったと記憶している。これは高いと思うが、その替わり失業者などは働きたくなくなるほど手厚い保護を受けていた。社会保障が充実しているという印象があったのだが、今のユーロ危機ではそうも言っていられないだろうか。

さて、ドイツでこのような高い消費税(ドイツではMehrwertsteuer=メーアヴェアトシュトイヤー=付加価値税と言われていたが)を払っていたわたしとしては、消費税が2桁になっても驚きはしないが、政府・官僚には是非考えて頂きたい事柄がある。それは消費税の免税点についてだ。デューティーフリーショップの「免税店」ではない。免税点である。これは現在では年収1000万円となっている。すなわち年収が1000万円に満たない場合、消費税を納入する義務はない。しかし、である。

もともと、この消費税免税点は年収3000万円だったのだ。これが2003年に1000万円に引き下げられたのだ。つまり、それまでは消費税を支払わないでも良かった年収1000万円~3000万円の事業者に突然(?)消費税の納入義務が課せられたのだ。実際の買い物などでかかる税率は5%のままだったので、国全体には「増税が行われた」という感覚がなかった。この年わたしはすでに翻訳者の看板を上げていたが、まだ二足の草鞋状態で、年収3000万円など夢の夢(今でもだが)だった。1000万円でも夢だったので、お恥ずかしい話だがほとんど印象に残っていない。しかしこれは実に巧妙な増税だった。この年収1000万円~3000万円のゾーンにどれだけ多くの零細業者が含まれているのだろうか。

少し計算をしてみればわかることだが、年収3000万円の場合、現行の消費税率なら納入する消費税額は150万円となる。年収1000万円なら50万円だ。これだって多いのだがまだ何とかなりそうな数字でもある(か?)。しかし、税率が10%になったら、年収1000万円の事業者は100万円の税を納めなければならないことになる。しかし、国税、地方税、健康保険などを納めた上で、さらに年収の10%の税金を持って行かれたら(現実には支払いは2年後なのだが)どうやって暮らせというのか? いや、もちろん暮らせはするだろうが、おそらく年収999万円の方が豊かに暮らせるだろう。そうなると、仕事をセーブする事業者や、脱税を試みる事業者も増えそうな気がする。そして、年収1000万円というのは、我々翻訳者のような身ひとつの足し算型フリーランサーでも、上手く行けば超えてしまうラインなのだ。

現在の増税論議の中で、零細事業者の立場を考えて、免税点にまで考えを巡らせてくれている政治家や官僚がいるのだろうか。しかし、この免税点はなんとしても最低2000万円にまでは引き上げて貰いたいものだと思う。ブログに書くだけではなく、地元の政治家にも働きかけたい。これは自民党政権の頃に行われた「隠れ増税」であるから、自民党が音頭を取って貰うべきものだとわたしは思う。

 そう言えば、ワグナーのオペラに「さまよえるオランダ人」という作品がある。その中に有名な男声合唱曲「水夫の合唱」があり、その第一節の歌詞は“Steuermann lass die Wacht(シュトイヤーマン ラス ディー ヴァハト)”という。意味は「舵取りさんよ見張りなんかやめろ」という。そのあと「こっちへ来いよ」と続く。ここでのSteuermannは船の舵を取る人のことなのだが、これはもう「税務署員さんよ、見張りなんかしないでくれ」と聞こえてしまうと言うものだ(爆)。

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2012年1月 7日 (土)

【Neujahrsgrüße 2012】 新年のご挨拶

Neujahrsgrüße(ノイヤールスグリューセ)(複):新年のご挨拶 …… 普通、元旦にするもの f(^^;)

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 新年おめでとうございます。

 母の入院を機に、昨年5月末に関西に帰ってきて以来、「なかなかな」日々が続いております。辛うじて、(少々遅れはしましたが…)本年年頭に「おめでとうございます」と言えるのは我ながら幸いです。来年は言えないかも知れません。いろいろとバタバタしており、今年は誰にも年賀状を出さずに終わりました(すげ~楽)。投函したあとに目出度くなくなるという事態も予想できたからですが、今のところ平穏と言えます。

 もう、このブログもほとんど更新もせず、読者の数の減っておりますが、それでもお越し頂ける皆さまに、本年が良い年になりますようお祈り申し上げます。

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