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2012年7月31日 (火)

【Abschied für immer】 永遠の別れ

Abschied für immer(アプシート・フュア・インマー)(熟):永遠の別れ …… 意味としては、今後会うことのない別れということであるので、言葉面としては決して死別だけを表すものではないと思うが、死別と言って差し支えないと思う。しかし、それは現世を基準にした考え方であって、未だ科学的には証明も否定もされていない「輪廻」という観点からは、とわの別れというものはないと言える。

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去る72日、母が他界した。

母は、20103月に倒れてから、一度も帰宅することなくその生涯を終えた。今思えば、あの時こうしておけばもっと楽しく過ごせただろうに、家にも帰れただろうに、と悔いの残る事柄がいくつかある。しかし、今までのことをじっくり思い起こすなら、親不孝が過ぎていったい何をどう後悔したらよいのかわからない。だから、即物的なことを少し書いておこうと思う。

その日、現在の我が家から2kmほど離れた実家で暮らしている父が、外出したついでに我が家に寄ってお茶を飲み世間話をして帰っていったのが正午前。そして父が帰宅してしばらくしたら母の入院先から電話があったのだった。この数日前に、母は脳梗塞になり脳の3分の1がやられてしまっていたので、心の準備はできていたと言えようか。わたし達が病院に到着したとき、すでに母の息はなかった。穏やかな顔をしていた。入院先の病院は、高村薫の小説にも時々登場する病院であるが、入院患者に対しては療養病院的なスタンスを取っており、「看取る」ことを軸足に据えた病院であった。基本的に点滴と酸素吸入以外の処置はしないという。賛否はあると思うが、積極的治療の意味がなくなる時は必ず来る。この病院に来る前の病院では、胃瘻の穴を開けられていたが、この病院は胃瘻にも反対の立場を取っていて(実際、内科医の学会か何かで胃瘻には反対の立場を取るということが正式に決議されたと言うことで、医療の現場でも胃瘻に対しては懐疑的な見方が強かったと言うことだ)、一度母が戻してからは、肺炎の危険もあるということですぐに胃瘻は取りやめになった。積極的治療が患者の苦しみを増加させることはよくあることだと聞く。わたしは母の最期については、まだ良かったと思っている。主治医の先生とも何度かお話しをさせて頂き、概ねその考えは理解できた。母の死に顔が穏やかだったことの背景には、「そっとして」おいて貰えたことも大きいと感じている。

天気の良い日だった。窓際の日当たりの良いベッドに母は寝かされていた。夜でなくて良かったとしみじみ思った。ただし、病院に霊安室がなかったので(ホンマか?)すぐに葬儀屋に電話をして遺体を引き取りに来て貰った。病院の傍にある会館を選んだ。手際は良く、すべては迅速に運んだ。病院の5階の病室から平常用のエレベーターで2階にまで下り、そこから別のエレベーターに乗り換え、病院の裏口側(旧館)の出口に出た。葬儀屋の手配した黒塗りのヴァンが待機していた。母の亡骸と父を乗せたヴァンは、わたしと妻、そして主治医のFドクターとナースさん数名に見送られて、7月の真っ白な陽差しの中をゆっくりと走り去っていった。わたしは、もう一度スタッフの皆さんに礼を述べてから、妻と一緒に車で会館に向かった。阪急電車でももっともブイブイ言わせているハブ駅のホームから見える葬儀会館で通夜と葬儀を行ったが、この2日間会館を使用したのはわたし達だけだった。会館の従業員全員で面倒を見て貰えたのは、母の人徳だと言うことにする。

親という存在は、まことに勿体ない存在だと思う。人間がどんなに頑張ったところで、親の恩に十分に報いることなどできないのだろう。

あとは、父よりも先にわたしが死ぬようなことがないように、健康に気を付けよう。

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