ぶつやき

2016年10月26日 (水)

【Funkuhr】 電波時計

Funkuhr(フンクウーア)(女):電波時計 …… 1日に2回自動的に時刻合わせをしてくれる時計。ほぼ狂いがないと言える。人間レベルでは100%正確と言えるだろうが、実際にどうかはその時計本体如何だという。

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最近では電波時計というものが当たり前になってきている。それも凄く安く買うことができる。昔はこのようなものはなく、ゼンマイ式や振り子式、あるいは腕時計には自動巻というものもあった。電池を入れるだけで、あとは「自分で」時刻を調節してくれる時計が出てきたときは驚いたが、仕組みを聞けば、技術の進歩の賜でもあるが、どちらかというと「アイデア」の勝利なのかとも思った。

Wikipediaによれば、ヨーロッパでは1980年代後半ごろから電波時計が広まったとされている。わたしはドイツに延べ11年足かけ15年ほど滞在したのだが、初めての渡独が1986年だったので、丁度その頃から電波時計の普及が始まったということになる。初めての渡独から3年か4年経った頃、仕事場の時計がアナログ式の電波時計になった。皆電波時計は初めてだと言っていた。

ドイツは夏時間を採用している。夏時間や冬時間の始まりの電波時計の挙動がどのようなものなのか皆が知りたがった。むろん、そのためには夜遅く電波時計を凝視していなければならない。誰もそこまでしたいとは思わなかったので、電波時計凝視イベントは実現しなかった。皆の想像は24時を回って程なく、電波時計の針がぐるーっと速く1周するというものだった。

実際は、電波時計は常時基準時計と連動しているわけではないので、夏時間の開始/終了の日になった直後に、つまり0時0分1秒とかのタイミングで表示が変わるのではない。その時計本体の設定によって1日に2回とか1回とか、電波を受信して時刻を調整するのである。その時計が毎日午前3時と午後3時(3時と15時)の2回時刻調整をする設定であるなら、夏時間の始まりの日が来ても、午前3時になるまでは時刻は調整されない。そして、3時から15時まで、または15時から翌3時までの12時間の間は普通の時計として機能する。今時の時計で、12時間に1秒ずれるようなものはないと思うが、もしそのような精度の悪い時計なら、電波時計とは言え表示される時刻はそれほど正確ではないと言える。ただ、1日に2回とかのタイミングで時刻が調整されるので、誤差が積み重ならないので、そこそこの信頼を置くことができるということになる。精度ということで言うなら、夏時間/冬時間の始まりの日の午前0時からしばらくの間は、電波時計を信用してはいけない。その時間帯は眠っているに限るのだ。

以前乗っていた車が、利用10年を超えた頃、インストルメントパネルの時計表示が消えた。修理屋には直せない(というかインストルメントパネル総替えだ)と言われたので、自動車向けのコイン電池と太陽電池のハイブリッド電波時計を買い、フロントウインドウの際(きわ)に取り付けた。一向に受信してくれなくて困ったが、丸1日走り回っていた日にやっと受信してくれた。わが家の駐車場は電波の受信がしにくいらしい。時計が不良品なのではなかった。

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2014年1月 1日 (水)

【Neues Jahr】  新年

Neues Jahr(ノイエス・ヤール)(中):新年 …… 年に1回やって来る。この日ばかりは日頃放置しているブログも、書いてみようかと思ったりする。

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新年明けましておめでとうございます。

旧年中はたいへんお世話になりました。どうぞ本年もよろしくお願い致します。
と言っても、何も更新していなかったので、挨拶する読者の方もいないだろうな、などと思っていたりする。8月始めに記事を上げてから何もしていなかった。興が乗って記事を書きまくっていた頃が懐かしい。
前回の記事は受注生産(Build to order = BTO)のパソコンを買ったということについてだった。業者名は伏すが、特別満足がいったと言うわけではなかった。ただ、スペックは強力にしたので(CORE i5、メモリ8GB、HDD1TB+外付けHDDも1TB)、以前のような動作遅延の不都合が起こることはなくなった。

この、個人史上いちばんのスペックを有するノートPCに、23インチのディスプレイを繋いでデュアルにし、キーボードも昔使っていた使い慣れたものを繋いで使用している。このキーボードは何しろ2002年にリース(後に買い取り)したIBMのデスクトップPCに付いていたもので、10年以上が経過しているのだが未だにきちんと動作する。得した気分なのだが……

実は、今まで使っていたNECのノートからBTOのノートに変えたとき、キーボードの仕様が大きく変わり(例:テンキーが付いて、手の待機位置の違和感が半端でなくなった)、押し間違いが多発し、1ヶ月経ってもなかなか改善されなかった。そこで、キーボードも外付けにしておけば、PC本体が替わっても手元の感覚はそのままだと考え、新規にワイヤレスのキーボードを購入したのだ。B社製のこのキーボードは、1000円以下のものもある市場において、5000円超とこちらは(これからPCが何台も替わっても使い続けるのだ)と考えて値段の「ええヤツ」を購入したのだ。しかし、1ヶ月経ったところで故障してしまった。保証は半年あったので、修理に出したが、忙しくて、故障してから1ヶ月経ってやっと修理に出せた。そしてその間、前述のIBMの超古いケーブル接続式のキーボードを引っ張り出して使っていたのだが、これが手に馴染んで実に具合が良いという皮肉な結果になった。新しいキーボードは今メーカーの方に行っているが、帰ってきても使わない可能性が高い。

さて、こうしてみると、新しいノートPCにディスプレイとキーボードを繋ぎ、マウスもワイヤレスのものを使っている状況は、デスクトップと大差ない。違うのはPC本体がすでにディスプレイとキーボードを備えていると言うことだ。いざというときには単体でも使える。これからは、ずっとノートで行くことになりそうだ。

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2013年7月12日 (金)

【Wahlbeteiligungsrate】  投票率

Wahlbeteiligungsrate

(ヴァールベタイリグングスラーテ)(女):投票率 …… 単にWahlbeteiligungで投票率を表すことも多い。語義的には選挙への参加となる。さてこの投票率というものだが、どれほど重要なものなのだろうか。

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 今は7/21の参議院通常選挙の運動が佳境に入っているが、先般わたしの住む街で市議会議員選挙が行われた。わたしが帰郷して初めての市議会選挙だった。共産党が強い。そもそも関西は革新系が強い土地柄で、京都府知事の蜷川虎三さんなども革新系の人だったし、どこだったか忘れたが共産党が与党だという市があるらしい。それと公明党が強い。我が街の場合、完全な組織票で公明党が上位を独占している。わたしが誰に投票したとかはともかく、地方選というのはその土地柄が反映されて、ある意味「面白いイベント」である。国政の状況がそのまま反映されたりはしないのだ。

 さて、その市議会選挙であるが、投票率は40%だった。最初開票率100%の時点で出ていた数字は40%以下だったが、その後の公式発表では40%をわずかながら超えていた。期日前投票を入れた数字なのかも知れない。が、40%以下であれ以上であれ、この数字は低い。革新系が強いとか、公明党が強いとか言う以上に、選挙への関心すなわち政治への信頼および興味が低いというのが、この街の有権者の動向の特徴であると言っても良いだろうか。

 投票率について思い出したことがある。昨年(2012年)東ティモールで大統領選挙があった。これは2002年にインドネシアから独立してから2回目の大統領選と言うことだったが、その投票率は第1回投票が78.2%、決選投票が73.12%だったという。独立してからまだ10年の国では、国民の政治への関心や期待が大きいのだと言うことを感じさせられた。選挙の投票率が低いと言うことは、政治への関心や期待が低いということと言っても良いと思う。そういう状況を作ったのは他ならぬ政治家たちであるし、有権者でもある。しかし、投票率が低いというので、「とにかく投票率を上げよう」という発想になる人たちがどうやらごく少数居るらしい。本来ならば、政治への関心や期待が高まった結果として投票率が向上するのだが、問題意識の持ち方が「投票率として現れる数字」に向かいすぎているのではないか?

 投票率が低いことは嘆かわしいが、かといってやみくもに投票率の数字だけ上げても意味がない。極端なことを言うなら、何も考えないで適当な一票を投じるぐらいなら、選挙に行かないか無効票を投じる方がマシだ。本当の投票率というのは、真剣に考えて投票する人が何人いるかということではないのか。投票率の低いことを嘆くあまりに、「とにかく行って誰かに入れよう。とにかく投票所に行ってみよう」というような呼びかけをする人も居るが、余計なお世話だと思う(投票率が低いと叱られたりする人は、おそらくこういう行動に走りがち)。選挙に行くことを呼びかけるなら、候補者の主張を良く吟味することから呼びかけなければならない。投票行動を啓蒙したいのであれば、そこから始めなければならない。候補者の主張を良く吟味すれば、誰に投票すればよいのか、あるいは投票に値する候補が居るのか居ないのかがはっきりしてくる。啓蒙とはそう言うことだ。有権者もそれに応えるべきだ。でなければ、有権者ではあっても家にいればよい。適当な一票を投じるよりは何もしない方がマシだ。貴重な選挙権を有していながら、何も考えずに鉛筆転がして誰に投票するか決めるというようなレベルで投票することは、ただの「迷惑」だ。貴重な選挙権の使い道について真面目に考えることのできないような奴は選挙に行かないで欲しい。その方が余程国の為になる。なぜかと言えば、いわゆる浮動票(大部分が気分次第の適当な投票)というものが増えれば増えるほど政治家はポピュリズムに走るからだ。政策や政治理念で勝負できない。政治家がポピュリズムに走れば、民主政治は衆愚政治になる。だから、選挙を真面目に考えられないような馬鹿は家でじっとしているか、どこかに遊びに行けばよい。

 投票率というものは、残念ながら「有権者の何%が投票したか」という数字でしかない。「何%の有権者が真剣に投票したか」を測る術はない。だから、投票率はせいぜい参考程度でしかない。ただ、真剣に投票した人の割合は算出された投票率よりも低いことは確かだ。投票率とはそう言う意味での指標だ。投票行動を呼びかける際は、「とにかく行け」という論調ではいけない。身体だけ行っても、何も考えていなければ、誰に投票するか決めることができない。だから、単なる有名人に投票したり、織田信長や聖徳太子、あるいはAKB48の推しメンに投票したりする馬鹿が出てくる。まあ、「敢えて」するというのなら、何も言わないが。投票行動を啓蒙したいなら、候補者の主張を吟味することを訴え、あるいは吟味の仕方を教え、吟味に使用できるデータを提供すること(そのデータの存在を広報することも含む)が大切だ。「選挙というのは行っただけでは駄目なのだ」という当たり前のことを言わないでどうするのか。選挙について真面目に考えようと言う呼びかけを、面倒くさく感じるような意識の低い人は選挙権を与える値打ちがない。しかし、選管がそれを決定する権限はないのであるから、「真剣に考えることのできない人はどうぞ来ないでください」ぐらいのスタンスで居て良いのだ。選挙は、政治について真剣に考えている人間だけが行けばよい。選挙権がありながら、それを真面目に活用しようとしない者は、選挙の結果だけを甘んじて受け入れればそれで済む。真剣に投じられた一票と適当に投じられた一票とが等価であるのは民主政治の陰の部分だと言って良い。しかし、残念ながらこの「一票の格差」は制度で是正することができない。巷間話題になっている一票の格差よりも、この一票の格差の方がわたしは問題だと思う。

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2013年7月 8日 (月)

【Wahl】  選挙

Wahl(ヴァール)(女): 選挙、選ぶこと、他 …… さて、母の一周忌も済んだので、そろそろブログでも書くべい、と思ってみると、選挙がすぐそこだ。国民として、選挙には行かなければならない。しかし、投票するならよく考えてしなければならない。ワシの票を浮動票扱いはさせへんで。

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選挙毎日というサイトがあり( http://senkyo.mainichi.jp/ )、そこには手回し良く、今回の参院選候補者へのアンケート回答が掲載されている。回答は選択肢から選ぶものだが、選択肢以外の回答については「非該当」となっているのが何とも役人仕事のようで脱力する。選択肢だけで答えきれるような設問ばかりではないのであって、非該当の回答にこそ知るべき情報が含まれているのではないかとも思う。まあしかし、おおよその傾向は把握できる。各候補者も、選択肢だけで答えきれないものに対しては、敢えて非該当の回答をしたか、あるいは無回答にしたのだろうとも思う。不本意な選択肢しかないような場合はもちろん無回答か無効回答になるだろう。しかし、それがあまりに多い候補者もどうか? と思ってしまう。非常に微妙だ。

ところで、一連の質問の最後には東京の小中学生500人に考えて貰った質問というのが7つあった。そのなかで、「外務大臣は英語が話せる人に限るべきだと思いますか、思いませんか。」という質問があった。わたしなら、「絶対思わへん」と答えるぞ、これは。外相という役職は、外交をするのが仕事であるから、外交センスのある人が勤めるべき職である。外交センスと外国語能力が一致するとは限らない。むしろ、どんなに英語等が達者でも、大抵の場合母語と外国語とでは表現力が違いすぎる。下手に自分で喋るより、語学の専門家に任せるべきだ。外相の語学力を云々するよりは、そのような公的な場における通訳者の技能および良識の育成に努めるべきだろう。

毎日新聞が言うように、この質問が実際に小中学生から出て来たものと仮定しておこう。では、彼らはなぜこのように考えるようになったのかを考えれば、やはり安直な「語学力信仰」が背景にあるのではないかと思う。別な言い方をすれば「バイリンガル信仰」とでも言おうか。しかし、ひとつの(あるいは複数の)言語を身につけているというのは何も特別なことではないのだ。それが証拠にドイツ語なんか、ドイツに行けばガキでも喋っているではないか。バイリンガル教または語学力教の信者の皆さんは、「複数の語学をマスターしている=インテリジェンスが高い」、というぐらいの簡単すぎる考え方をしているような気がする。しかし、バイリンガルなんて、それが当たり前の環境で育てばバイリンガルになる。希少価値ではあるが、インテリジェンスの高低とかとは関係がないと思う。むしろ、日本人が互いに日本語で会話しても、話が通じないことがあるという事実に気付くべきだ。国語力、ひいては語学力そしてコミュニケーション力というのは、小さい頃から訓練すれば誰でも向上すると言うものではない。絶対音感というものなら、適切な時期に鍛えれば大抵の子供はその周波数の音を覚えてしまうだろう。しかし、絶対音を持っているからと言って、必ずしも歌が上手いとは限らない。それと同じだ。コミュニケーション力(または表現力、理解力)を向上させるのには、手技的感覚のトレーニングではなく、知性を刺激するような環境が大切なのではないか。

学校における英語の早期教育にはわたしは反対だ。むしろ、国語力をつける方向で考えて欲しいものだ(教師の国語力も含めてな)。

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2012年12月27日 (木)

【Trauerzeit】   喪

喪中につき、当ブログでの新年のご挨拶は致しません。

皆さま良いお年をお迎えください。

                             樅の木

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2012年8月 9日 (木)

【Behandlung】 治療

Behandlung(ベハントルング)(女):治療 …… そもそもは、人を元気にするためにという善意から発している行為。現在では、死ぬべき時が来た人を死なせずに、プラス数ヶ月あるいは数年間苦しみを与える行為、になってしまうこともあるらしい。

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少し前によく売れた書籍に、『大往生したけりゃ医療とかかわるな ――「自然死」のすすめ――(中村仁一:著) 』というものがあった。わたしもこれが大阪梅田の紀伊国屋で平積みされているのを見かけ、丁度母が入院していた時期だったので、購入して読んでみた。

医療に対するわたしのイメージはそもそもあまり良くない。

新卒間もない社会人1年生か2年生の頃、出張先の福岡で咳が止まらなくなったので、診察してもらおうと、その日の仕事の合間に某医院を訪れてた。慣れぬ旅先ではあったが、仕事中と言うこともあって吟味も何もなく、最初に看板の見えた医院に飛び込んだ。受付で、保険証を提示し「咳が止まらない」旨を告げた。しばらく待って呼ばれて行ってみると、そこには看護婦さんがでっかい注射を持って待っていた。「お注射しましょうね~♪」 特別注射が怖いというわけではないが、普通ならここで医師が問診をするのが省略されていた。(咳が出る、て言うただけやのに、それだけでもう注射か?)と訝ったが、仕事中でもあり、ここでひと悶着している暇もなかったので看護婦さんになぶられるに任せた。医師の顔を見ることはついになかった。注射の効き目はあったのかなかったのか微妙なところだった。その日以来、わたしは歯科を除いて医者にはかかっていない。

さて、そんなわたしが首記の書籍を読んだのだが、うむ、多少言い過ぎの部分はあるけれど、素晴らしい内容ではないかと思う。善意から出発しているに違いない医療が、昨今では、人生の終章に入った人を却って苦しめる結果になることも多い。この著者は、無駄な治療(すなわち回復の見込みのない治療)を控えて、死ぬべき時に死ぬことが幸せなのではないかと主張している。

わたしの母が倒れた経緯について、記録の意味も兼ねて書いておく。母はそもそも腸に問題のある人で、いつもすっきりしない感じを味わっていたという。便秘薬のお世話になることも多かったそうだが、晩年になって、どうしようもなくなったときには病院でそれなりの手段で排泄させて貰うこともあった。ある時、大腸の内視鏡検査をすると言うことになり、母は「自宅で」下剤を飲んで腸を空っぽにし、それから腸を膨張させる液体(ルーメンとか言ったと思うが)を2リッター経口摂取して、その状態で病院に来るように指示された。母は下剤を飲んだが、それが効き過ぎたようでかなり激しい下痢が起こり(詳細は割愛する)、そのショックで一時は多臓器不全の寸前とまで言われた。免疫機能が低下しており、粟粒結核の危険がある(だったか、兆候が見えるだったか)と言われ、かなり危ない状態だと言われた。わたしが駆けつけたときはまだ意識がはっきりしており、話をすることもできた。後に呼吸から酸素を取り込む効率が落ち酸素吸入が開始され、その流れの中で結核菌が出たと言うことで、専門病院へ転院となった。それから後は、それ以上の結核の病状伸展はなく、4ヶ月ほどで元の病院に戻ってきた。その時、呼吸用のカニューレが気管に取り付けられていた。話すときは自分の指で押さえてカニューレを閉じると普通に話せるそうだが、母は話し難そうにしていて、しかも話す気力がそもそもないようで、著しく口数が少なかった。父は話しかけても母が返事をしないので、まだどこか痛かったり辛かったりするのではないかと不安になったり、返事ぐらいしろと不満に思ったりし、その結果発語用のカニューレを装着することになった。この時わたしは茨城に帰っており、父は独断でこの措置に同意した。どのような説明を受けたのかわからないが、病院側も母の容態を見て長くはないと判断したのだと思う。せめて話がしやすいようにという善意の欠片から取られた措置だったと思う。しかしこれによって、母は栄養の経口摂取ができなくなった。無理に経口摂取すれば気管に入って肺炎を起こすと言われた。そこで胃瘻が開始されたのだ。長くないと判断して栄養の経口摂取の道を閉ざしたのであれば、胃瘻は何のために執った措置なのだろう。栄養を与えることに意味があるのであれば、安易にカニューレの変更をするべきではなかった。しかしここは、父が同意してしまっているのでどうしようもない。要するに父は母と話をしたっかたのだろうと思う。折に触れては「わざわざ遠くまで見舞いに行って話しかけても、ひと言も返事しよれへん」とこぼしていたことを思えば、父の唯一の望みは病床の母と話ができることだったのだろう。これについてわたしが何を思うかは、敢えて書かないことにする。結局母はこの後およそ2年生き延びた。その間、何の飲み物も食べ物も、喉を通ることはなかった。

話を元に戻す。わたしの知人が同じような準備が必要な内視鏡検査を受けたことがあるが、そのときは検査入院をしたという。それくらいするのが当たり前だろう。母が倒れた後、父は血圧が低いと言うことで検便をしたところ、若干の出血の形跡が見られるので検査を、と言われ、母と全く同じ下剤と膨張剤を手渡されて返ってきた。この時は何ともいやな感じであった。わたしは「検査断れ」と意見し、父も同意し検査を断ったところ、すんなり受け容れて貰えたと言う。この辺のプロセスは、老人医療のお約束なっているのではないかと要らぬ詮索をしたくもなる。嫌だと言ったらすぐに受け容れて貰えるような検査なら、そもそも必要のない検査なのではないか。まあ、「何ともないとわかって安心するため」とか、理屈だったらこっちがつけてやろかと言うぐらいのものだ。若い頃から続いている医師への不信感は未だに残っている。医師に完璧を求めるつもりはないが、死ぬべき時が来たら死なせてやるということは、今や却って人間的な優しい考え方なのではないかとわたしは思う。つまり、「何もしないこと」が最善であることも多々あると思う。末期を迎える人に対して「何もしない」ことを悪いことと決めつけるべきではないと思う。もちろん、奏効する治療もあるであろうから、何から何までとは言わないが、「何もしない」と言うことも立派な選択肢であることを、医師も患者も親族も、もっと理解し受け容れるべきではないかとわたしは思う。

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2012年8月 6日 (月)

【Grab】 墓

Grab(グラープ)(中):墓 …… これは一基一基の墓のことを言う。墓地はFriedhof(フリートホーフ)と言う。

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我が家の墓は京都市内の某寺にある。実は元をたどれば寺の血を引く我が家である。墓所はその宗派の本山の本廟にあるのだ。最近の納骨は、わたしが十八歳の時であるからもう大昔だ。母と一緒に祖父の骨を納骨しに行った。まだぎりぎり高校生だったので、詰め襟を着て行ったと記憶している。ここだけの話(って公開しているのだが ^^;)、我が家は母系である。父は納骨については、「仕事あり、興味なし」という状態で、納骨には来なかった。母方の誰かが(所詮養子やからな……)と呟いたことをかすかに覚えている。

十八歳と、脳の記憶機能はすでに出来上がっていたのではないかと思われる時期の話ではあったが、今になって思い出そうとしても、何をどうしたかなかなか思い出せない。寺務所で手続きをして、お坊さんと一緒に墓まで行き、墓前でお経を唱えて貰って、墓石をずらして小さな骨壺を墓の中に入れた。確か、墓に入れたのは小さな、掌に載るぐらいのサイズの骨壺であった。

母が亡くなったので、母の骨を墓に入れなければならない。そして今、実家の母の祭壇には大きな骨壺と小さな骨壺が並んでいる。これは、別に頼んだわけではないのだが、穏坊さんは小さいものを「本骨」と呼んでいてここに、身体の各部から少しずつ骨を取り分けて入れていた。そして大きな骨壺には残りの骨の大部分を入れた。そして、それでもまだ残った骨は「廃棄」された。

骨を「廃棄」すると聞いて驚く人も多いだろう。調べてみると、東日本は全収骨、西日本は一部収骨という風になっているそうだ。事実、北海道で行われた、わたしの義父の葬儀では全収骨であった。穏坊さんがざくざくと木のへらで骨を刻んで、見事にぴったりと全骨をひとつの骨壺に収骨したのを覚えている。しかし、今回の母の骨上げでは一部収骨だった。母は小柄であったせいか、一部と言っても、八割方は収骨できたように思う。

さて、その母の遺骨を満中陰の後で納骨することになるのだが、うろ覚えながら(あの墓にはこんな大きい骨壺は入らないな……)と感じていた。わが親戚筋からは、「うちの嫁さんの納骨は、骨を壺から出して墓の中に入れたな。そしたらそのうちに全部土に帰るやろ」という声も聞かれた。そこで、わたしは取りあえず京都の本廟まで出掛け、まず墓の内部を覗いて見た。場所はない。明らかであった。せいぜいあと二人分(随分リアルな話だ……)。寺務所で質問した。するとその答えはおおよそで、「やっぱり壺のまま納骨すると場所なんかすぐになくなるんで、そのたんびに新しい墓作る言うのもなんですしね。今は、晒しの布にお骨を包んでお墓に入れてます」と言うものだった。これならば、やがて風化するので場所がなくなることはないと言うわけだ。

ところで、その本廟の我が家の永代墓の近くに、我が家と同じ○○家の墓石があった。今までは、そんなところにそんな墓があることに気付くこともなかったのだが、今回は何故かその墓石が「どかん」と目の中に飛び込んできたのだ。寄ってみると、墓石への刻印からこれは親戚筋の墓であることが知れた。母の叔父、わたしから見ると大叔父にあたる人の戒名でしかあり得ない戒名が刻まれていた。今はわずかとは言え、同じ源から血を分けた人の墓であった。思わぬ「出逢い」に驚き手を合わせた(帰宅後、系図を調べると、その記載事項からもそれが母の叔父の墓であることに間違いないことがわかった)。

今思い起こせば、母は自分の血筋との付き合いを大切にしていた。自分はひとり娘で兄弟姉妹がなかったこともあるだろうか。系図や過去帳を見ると、面識はないけれど名前だけは母からよく聞かされていた人の記載が沢山あった。四十九日までの間、人はまだ完全にはあの世に行かないと聞く。直系の息子が墓の様子を見に行くので、母もついて来て「ほら、あそこにもあんたの血筋のお墓があるねんで。行ったら手ぇぐらい合わせるねんで」と教えてくれたのかも知れない。

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2012年7月31日 (火)

【Abschied für immer】 永遠の別れ

Abschied für immer(アプシート・フュア・インマー)(熟):永遠の別れ …… 意味としては、今後会うことのない別れということであるので、言葉面としては決して死別だけを表すものではないと思うが、死別と言って差し支えないと思う。しかし、それは現世を基準にした考え方であって、未だ科学的には証明も否定もされていない「輪廻」という観点からは、とわの別れというものはないと言える。

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去る72日、母が他界した。

母は、20103月に倒れてから、一度も帰宅することなくその生涯を終えた。今思えば、あの時こうしておけばもっと楽しく過ごせただろうに、家にも帰れただろうに、と悔いの残る事柄がいくつかある。しかし、今までのことをじっくり思い起こすなら、親不孝が過ぎていったい何をどう後悔したらよいのかわからない。だから、即物的なことを少し書いておこうと思う。

その日、現在の我が家から2kmほど離れた実家で暮らしている父が、外出したついでに我が家に寄ってお茶を飲み世間話をして帰っていったのが正午前。そして父が帰宅してしばらくしたら母の入院先から電話があったのだった。この数日前に、母は脳梗塞になり脳の3分の1がやられてしまっていたので、心の準備はできていたと言えようか。わたし達が病院に到着したとき、すでに母の息はなかった。穏やかな顔をしていた。入院先の病院は、高村薫の小説にも時々登場する病院であるが、入院患者に対しては療養病院的なスタンスを取っており、「看取る」ことを軸足に据えた病院であった。基本的に点滴と酸素吸入以外の処置はしないという。賛否はあると思うが、積極的治療の意味がなくなる時は必ず来る。この病院に来る前の病院では、胃瘻の穴を開けられていたが、この病院は胃瘻にも反対の立場を取っていて(実際、内科医の学会か何かで胃瘻には反対の立場を取るということが正式に決議されたと言うことで、医療の現場でも胃瘻に対しては懐疑的な見方が強かったと言うことだ)、一度母が戻してからは、肺炎の危険もあるということですぐに胃瘻は取りやめになった。積極的治療が患者の苦しみを増加させることはよくあることだと聞く。わたしは母の最期については、まだ良かったと思っている。主治医の先生とも何度かお話しをさせて頂き、概ねその考えは理解できた。母の死に顔が穏やかだったことの背景には、「そっとして」おいて貰えたことも大きいと感じている。

天気の良い日だった。窓際の日当たりの良いベッドに母は寝かされていた。夜でなくて良かったとしみじみ思った。ただし、病院に霊安室がなかったので(ホンマか?)すぐに葬儀屋に電話をして遺体を引き取りに来て貰った。病院の傍にある会館を選んだ。手際は良く、すべては迅速に運んだ。病院の5階の病室から平常用のエレベーターで2階にまで下り、そこから別のエレベーターに乗り換え、病院の裏口側(旧館)の出口に出た。葬儀屋の手配した黒塗りのヴァンが待機していた。母の亡骸と父を乗せたヴァンは、わたしと妻、そして主治医のFドクターとナースさん数名に見送られて、7月の真っ白な陽差しの中をゆっくりと走り去っていった。わたしは、もう一度スタッフの皆さんに礼を述べてから、妻と一緒に車で会館に向かった。阪急電車でももっともブイブイ言わせているハブ駅のホームから見える葬儀会館で通夜と葬儀を行ったが、この2日間会館を使用したのはわたし達だけだった。会館の従業員全員で面倒を見て貰えたのは、母の人徳だと言うことにする。

親という存在は、まことに勿体ない存在だと思う。人間がどんなに頑張ったところで、親の恩に十分に報いることなどできないのだろう。

あとは、父よりも先にわたしが死ぬようなことがないように、健康に気を付けよう。

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2012年3月29日 (木)

【Stadion】 競技場

Stadion(シュターディオン)(中):競技場 …… 英語ならstadium、すなわちスタジアムのこと。Studium(研究)や、Stadium(段階)などと混同しやすい。Stadiumとは複数形が同型である。それでもドイツ人はこれらの違いを識別してき混同せずにちんと使い分けているのは、丁度日本人が「コンドーム」と「今度産む」とを混同しないのと同じか。

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「春はあけぼの」とも言うが、「春はセンバツから」とも言う。これはAKBのナントカ選抜ではなく、高校野球の選抜のことである。しかし、今年の選抜の入場行進曲はAKBの曲だったので、これも一種の選抜入りと言えるのか?

昨年5月末に故郷に帰ってきた。生まれ故郷は空気が懐かしく思えたが、やはり昔とは可成り勝手が違っていて、ここへきてようやくこちらでの生活にも慣れてきたと言える。「あ、甲子園行こかな?」と言う考えが浮かぶようになったことがその証だ。わが故郷は甲子園球場のある街の隣街だ。その気になれば自転車で行くこともできた(高校時代まで)くらい近い。大学を出て就職してからも、日曜日などふと時間ができたときにふらりと行ってみたりしていた。高校野球の場合外野席はタダである。交通費は往復で1000円もかからないのだから、映画館よりも安くなかなかなドキュメンタリーをリアルタイムで観られるのだ。

わたしが好きだったのは、左でも右でも良いからスコアボードの近くに座って、試合は勿論だが、対戦中の2チームの応援団も一緒に観ることだった。ヒットやエラーの度に一喜一憂する応援団の方がある意味面白い。癒されると言うこともできると思う。「応援」というのは良いものだと思う。人を応援したり、人から応援されたりの盛んな世の中はきっと明るい世の中なのではないかと思う。○L学園などは人文字が有名なので、必ずその対面(トイメン)の外野に座って観ていた。ある年、そのP○学園が横浜商業(いわゆるY高の方)に準決勝ぐらいで負けたとき、試合終了後にY高の応援団に向かって「フレー!フレー!Y高!」という人文字を披露したのを見てその辺の観客と一緒になって拍手したのを思い出す。

関西に移り住むのは初めてというわが女房を伴って、これはセンバツ観に行かなあかんやろ、と昨日思ったので今日行ってきた。野球場という場所に足を踏み入れること自体、30年ぶりぐらいではないだろうか? 知らなかったわけではないのに、球場の臨場感に圧倒された。今日は天気も良く、青い空と緑の芝生に天然の土の色に白球という鉄板のカラーコーディネートと、その場に居合わせている人全員でつくり上げるエネルギーの渦。これは本当に特殊な「磁場」のような、今風の言葉で言えばパワースポットと言えるかと思う。わたしの立てた企画には大抵駄目を出す女房も、気に入った様子だった。その感想は:「みんな野球うまいね」下手でどうするww

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2012年1月 9日 (月)

【Steuererhöung】 増税

Steuererhöung(シュトイヤーエアヘーウング)(女):増税 …… die Steuer(ディー・シュトイヤー)は税のこと。この語の中にteuerという綴りが含まれているが、ドイツ語にはまさしくこの綴りのteuerという形容詞があり、「値段が高い」という意味になる。皮肉だ。なめとんか。これが中性名詞でdas Steuer(ダス・シュトイヤー)だと「舵」という意味になるのだが。

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どうやらいよいよ消費税率が増えそうな雲行きになってきた。

とは言え、現在の税率5%は世界レベルから見るとまだ低い方だと思う。わたしはドイツで10年以上暮らしたが、税率は渡独したばかりの頃で14%だったと記憶している。これは高いと思うが、その替わり失業者などは働きたくなくなるほど手厚い保護を受けていた。社会保障が充実しているという印象があったのだが、今のユーロ危機ではそうも言っていられないだろうか。

さて、ドイツでこのような高い消費税(ドイツではMehrwertsteuer=メーアヴェアトシュトイヤー=付加価値税と言われていたが)を払っていたわたしとしては、消費税が2桁になっても驚きはしないが、政府・官僚には是非考えて頂きたい事柄がある。それは消費税の免税点についてだ。デューティーフリーショップの「免税店」ではない。免税点である。これは現在では年収1000万円となっている。すなわち年収が1000万円に満たない場合、消費税を納入する義務はない。しかし、である。

もともと、この消費税免税点は年収3000万円だったのだ。これが2003年に1000万円に引き下げられたのだ。つまり、それまでは消費税を支払わないでも良かった年収1000万円~3000万円の事業者に突然(?)消費税の納入義務が課せられたのだ。実際の買い物などでかかる税率は5%のままだったので、国全体には「増税が行われた」という感覚がなかった。この年わたしはすでに翻訳者の看板を上げていたが、まだ二足の草鞋状態で、年収3000万円など夢の夢(今でもだが)だった。1000万円でも夢だったので、お恥ずかしい話だがほとんど印象に残っていない。しかしこれは実に巧妙な増税だった。この年収1000万円~3000万円のゾーンにどれだけ多くの零細業者が含まれているのだろうか。

少し計算をしてみればわかることだが、年収3000万円の場合、現行の消費税率なら納入する消費税額は150万円となる。年収1000万円なら50万円だ。これだって多いのだがまだ何とかなりそうな数字でもある(か?)。しかし、税率が10%になったら、年収1000万円の事業者は100万円の税を納めなければならないことになる。しかし、国税、地方税、健康保険などを納めた上で、さらに年収の10%の税金を持って行かれたら(現実には支払いは2年後なのだが)どうやって暮らせというのか? いや、もちろん暮らせはするだろうが、おそらく年収999万円の方が豊かに暮らせるだろう。そうなると、仕事をセーブする事業者や、脱税を試みる事業者も増えそうな気がする。そして、年収1000万円というのは、我々翻訳者のような身ひとつの足し算型フリーランサーでも、上手く行けば超えてしまうラインなのだ。

現在の増税論議の中で、零細事業者の立場を考えて、免税点にまで考えを巡らせてくれている政治家や官僚がいるのだろうか。しかし、この免税点はなんとしても最低2000万円にまでは引き上げて貰いたいものだと思う。ブログに書くだけではなく、地元の政治家にも働きかけたい。これは自民党政権の頃に行われた「隠れ増税」であるから、自民党が音頭を取って貰うべきものだとわたしは思う。

 そう言えば、ワグナーのオペラに「さまよえるオランダ人」という作品がある。その中に有名な男声合唱曲「水夫の合唱」があり、その第一節の歌詞は“Steuermann lass die Wacht(シュトイヤーマン ラス ディー ヴァハト)”という。意味は「舵取りさんよ見張りなんかやめろ」という。そのあと「こっちへ来いよ」と続く。ここでのSteuermannは船の舵を取る人のことなのだが、これはもう「税務署員さんよ、見張りなんかしないでくれ」と聞こえてしまうと言うものだ(爆)。

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