語学・翻訳

2007年4月18日 (水)

【Duenkelbier】

Dünkelbier (デュンケルビーア) ():自惚れビール ・・・・・ 世界にビールはあまたあれども、これは日本にしか存在しない希少なビールである。見た目、味などは、ドイツのドゥンケルビーア(黒ビール)に酷似しているが、自惚れビールと銘打たれている以上、これは別のものと考えるべきであろう。

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日本も国際化されて来たとは言え、いまだに外国語と言えば英語であり、翻訳業界では、英語と英語以外の諸言語という図式になるのが普通です。昨今では、中国語や韓国語の需要も増えてきているようですが、それでもまだまだ諸言語に括られているように思います。

わがドイツ語などは、昔は結構潰しが効いたらしいですが、それは教養としてのドイツ語で、ヨーロッパにおけるラテン語のような位置づけだったのではないでしょうか?実用する言語としては浸透していなかったのでは?

実用する言語としては圧倒的に英語が優勢です。そこに中国語と韓国語が続いていますか。

でも、だからといって英語読みのようなドイツ語を、あろう事か商品名に使用することはないだろうに、と思います。それがこの「自惚れビール」。昔は市販の商品や、レストランで供されるものに、堂々とカタカナで「デュンケルビール」と表示されていたような記憶があります。

いったいどういういきさつでドイツの黒ビールを模したビールを「自惚れビール」、すなわちデュンケルビールと呼ぶようになったのかは存じませんが、どこかの誰かがテキトーに英語読みをしたのが始まりなのでしょう。まあ、外国語に関する勘違いは星の数ほどありますが、このドゥンケルビールをデュンケルビールと書いてしまう/発音してしまう勘違いは、何とかして欲しいと思います。だって、「これはドイツ語でデュンケルビールっちゅうもんや!」と思いこんだ日本人がドイツ語圏に旅行して「デュンケルビール!」と注文して失笑を買うという国辱的シーンが目に浮かぶではないですか。ドイツ人も、外国人から「自惚れビール頂戴!」と注文されたら、どう取るかはその人次第としても、絶対酒の肴にされますよ。この状況を日本に無理矢理置き換えるなら、外国人が居酒屋に来て「酒!」と言うところを「下げ!」と言ったような感じでしょうか?意地の悪いオヤジなら「何を下げんだい?パンツでも下げようっての?」ぐらい言いそうな感じしませんか?

で、調べてみました。

Googleで「ドゥンケルビール」と「デュンケルビール」を入力してそれぞれ検索してみると、

「ドゥンケル25:デュンケル47」で自惚れビールの勝ち

次にビールの4大メーカーのサイトに行って、そこのサイト内検索で「ドゥンケル」と「デュンケル」でそれぞれ検索してみましたところ:

キリンビールでは、「ドゥンケル3:デュンケル6」で自惚れビールの勝ち。ただし、キリンの場合「キリンヨーロッパ」と銘打った商品名に「ドゥンケル」というのがあるので、企業として「ドゥンケル」というスタンスを取っていることがわかります。が、キリングループ内では、デュンケルとHPに表示している組織がまだあるのですね。

アサヒビールでは、「ドゥンケル0:デュンケル1」で自惚れビールの勝ち。デュンケルの1件は、ビールの歴史について書かれた記事に見られました。堂々と自惚れていますね。

サントリービールの場合も、「ドゥンケル0:デュンケル1」で自惚れビールの勝ち。ここは、お酒・飲料の大辞典とするページに堂々と「自惚れ表示」されていました。用語集にですよ。やんぬるかな。

サッポロビールの場合、どちらも0で引き分けでした。わたしは個人的にサッポロビールシンパですので、この結果にホッとしています。でも、引き分けというのが・・・・・・・・・・・あ、怪しい _||

どうも、日本社会には「ドイツの黒ビールはデュンケルビールって言うんだよ~」というのが定着しつつあるように思えます。アサヒとサントリーが自社HPで「自惚れ」てるぐらいですからねえ。こんなもの定着させないで欲しい。キリンビール、ちょっと見直した。サッポロビール、真相はどっちだ?ゲーテインスティテュートやドイツ大使館も、黙っていないで訂正を求めて欲しいなあ。日本の諸機関は外圧に弱いから。あるいはNHKのドイツ語講座で、「絶対にしてはいけない間違い特集」とか企画して、そこで紹介して欲しいですね。

小さなことではあるのですが、これがこんなに気になるというのは、やっぱりわたしはビール好きなんだなあと再確認した次第です。小さなことですが、これはやっぱり恥ずかしいですよ。このブログをもしビール関係者の方がお読みになったら、是非是非「自惚れビール撲滅」に動いて頂きたいものです。

くたばれ自惚れビールっ!!!

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2006年5月 3日 (水)

【Schulunterricht】

Schulunterricht (シュールウンターリヒト) (男):学校の授業 ・・・・・ 学校の授業は大切なものである。しかし、それを授ける教師の質によっては唾棄すべきものにもなる。これは、語学に限らない。

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学校に通っていたのは随分昔のことだ。どれくらい前のことになるかというと、もう両手両足を使っても足りないので数えることが出来ない。そんなわけで、いま学校での英語の授業がどんなものなのかさっぱりわからないのだが・・・・・

巷には語学・翻訳スクールが沢山ある。わたしも、某有名スクールでの通信講座(E)を受けたし、通訳ガイド(D)を受験するときは某無名スクールに通学した。これは良いものである。学校の授業では教えてもらえないことを沢山教えてもらえる。

そういう界隈では、学校の授業での「翻訳」に関する批判的意見を聞くことが多い。実際、学校の授業でやっているような訳文を書いていたらお話しにならないことも多々ある。が、これは致し方ないことではないのかな?

学校の英語の授業、わたしが学校に通っていた頃は文法と読本がほとんどで、「視聴覚」と呼ばれていたあの系統の授業は、ほんとつけ合わせ程度だった。で、文法や読本の授業で「この英文を訳しなさい」と言われた場合、これは「翻訳しろ」と言われているのではない。文法や読本の授業では、文法的事項をマスターすること、あるいは長文の読解の仕方をマスターすることが主眼であるので、授業中に「訳せ」と言われるのは、「この文章から自分が理解した内容をもれなく反映させた日本語で、あなたがどう理解したかを先生に伝えなさい」と言うことである。それが授業の目的だから、生徒はそのようにしなければならない。

別の言葉で言うならば、この場合はまだ「インプットされた内容を伝える」ことが求められている。読解というのは、インプットである。インプットされた情報を適切に処理して、新しい情報にしてアウトプットするのが翻訳である。インプットとアウトプットであるから、これはまったく異なった性質の作業である。だから、授業では翻訳することは求められていない。文法や読本の授業では「翻訳する」必用がない。ということは、授業では「翻訳の仕方」など教えてもらえないし、それが当たり前だと思う。学校での授業が「間違い」というわけではない。ただ、「あれ」を「翻訳」だと思いこませるのが問題なだけだ。学校の授業に、「文法」や「読本」に加えて「翻訳」の授業があれば面白いと思う。そうすれば、翻訳とは(読解が問題ないという前提において)アウトプットであるから、外国語と言うよりは日本語の問題である(部分が多い)と理解できる人も増えるだろう。

語学スクールの宣伝文句の中には、学校の授業をスケープゴートにしているようなニュアンスを感じさせるものが時々見られ、釈然としない感じがする。

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2006年5月 1日 (月)

【Holden】

Holden (ホルデン) (*):かわいい娘たち ・・・・・ もともと、holdという形容詞を名詞的に使用した形。holdという形容詞で表すことのできるものすべてを指すことになるが、つまり、これが何を意味しているかは文脈による。とにかく、かわいいもの、優美なものを指す。これによく似た単語でちっともかわいくもなければ優美でもないものがある。orz

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Als wir juengst in Regensburg waren 「ぼくたちが昔レーゲンスブルクにいた頃」というドイツ民謡がある。レーゲンスブルクというのはバイエルンのドナウ河畔にある街で、少年合唱団が有名だったりする。

Als wir juengst in Regensburg waren,

sind wir ueber den Strudel gefahren,

da war’n viele Holden,

die mitfahren wollten.

Schwarbische, bayrische Dirndel, juchheirassa,

muss der Schiffsmann fahren.

ぼくたちが昔レーゲンスブルクにいた頃

渦巻く河で船遊びをしたものだ

可愛い女の子達が

一緒に乗せてとせがんでいたっけ

シュヴァーベンやバイエルンから来た女の子達がさ、ヤッホ!

船頭さん、いっちょ行こうか!

と言う感じであろうか・・・・・

この歌はその後、高貴なクーニグント嬢がお城から降りてきて、「これは本当にそんなに危険なのですか?」と聞く。すると、船頭さん曰く「純潔な乙女なら大丈夫、純潔を失ったご婦人は死にます」と答える。で、クーニグントお嬢様は、そう言われて引き下がったら、「白状」したことになるので、「えいやっ」と乗り込んだら、水の妖精に連れ去られた(=死んだ、んでしょ)。ところが、12才の女の子は(ドイツでは女の子の14歳以上は「大人」とされた)無事に急流を下った、とかいう話になる。古い時代の女性の純潔をテーマにしたお話しだ。現代の女性の皆さんは「馬鹿にするな!」と怒るかも知れない・・・・・

まあ、こういう中身のことも意識しないでいた頃の話である。

この曲は、中身とは裏腹に、元気の良い明るいメロディが人気で、ドイツ人ならおそらく誰でも知っている。東京音頭みたいなものか。わたしもこのメロディが気に入って、1番の歌詞だけいつの間にか暗記していた(これがくせ者だったかも知れない)。

ドイツにいた頃、ある時仲間内のパーティーがあってわたしも、まだそんなに馴染みはなかったのだがちゃっかりと呼ばれていた。そしてそこで誰かがわたしに、「大学で合唱団に入ってたんでしょ?何か歌ってよ、ドイツ語で!」と言った。わたしは、じつは密かにのど自慢だったので、嫌がる振りをしながら(可愛くない)歌った。このAls wir juengst~を。

そこで、ひとつ単純な間違いを犯した。それはほんの一瞬のことだった。それぐらい見逃してくれてもええやんか、と言いたくなるくらい一瞬のことだった。しかし、これが人々の記憶に残った。多分今でも覚えられているだろう。彼らにとって、わたしは忘れ得ぬ海外からの友人と「なってしまった」と思われる。

その間違いは発音の間違い。アルファベートの12番目の「L」を発音できなかったのである。舌が空回りしたと言おうか・・・・・のど自慢ではあったが、ドイツ人の前でドイツ語で歌うので、ちょっと力んだと言うべきか。いや、それでも、その発音ミスはたったの1箇所だったのだ。ただし、狙ったようにその1箇所で。

その単語は、上記の1番の歌詞の3行目最後の「Holden」である。この「L」が発音できなかったのだ。ドイツ語がお出来になる方は、ここでせいぜいお笑い下さいませ。ふ…

Holden」の「L」がなくなると「Hoden」である。Hodenというドイツ語は確かに存在する。これは複数形であり、単数形は「Hode」だが、普通複数で用いる。この箇所を通過した途端、会場がドッと沸いた。当たり前だ。しかし、わたしはなぜそんなにウケているのかわからなかった。あるオヤジなどは椅子から転げ落ちて、幸せそうに笑っていた。ゲタゲタと。

訳がわからないまま宴は終わった。翌朝、メールが来ていた。親切に昨夜の笑いのわけを教えてくれた。『HoldenHodenに聞こえたんだよ!』

わたしは死んだ。

ドイツ語に詳しくない方も、どういう傾向の話か想像がついているかも知れない。Hodenとは、『人間などの動物の雄の後ろ肢の付け根で、嚢中に2個で一対をなす、あの物々しき存在』のことである。

では、わたしは昨夜、『レーゲンスブルクで急流下りをするときに、何故かシュヴァーベンやバイエルン出身の「Hoden」たちが、手足が生えて目玉のオヤジみたいになったのが、「一緒に行ぐ~」とかいって、沢山、わらわらと寄ってきました』みたいな歌を歌ったことになるのか?気が遠くなる。

以来、わたしはドイツ語でも何語でも「L」を極めてはっきりと発音するようになった。当然であろう。いまでは完璧だ。ネイティブの折り紙付きだ。通訳をしたとき、本当に1回だけ『「L」と「R」の発音が良い。日本人とは思えない。』、と褒めてもらったこともあるぐらいだ。1回だけだがね。

語学でも歌でも、その他のどんなことでも、上達の陰にはこのような「恥」がある。「恥」を恐れていてはいけないのだ。ま、わたしの場合は偶然だったのだが・・・・・

たまにはこんな話も書きたい樅の木であった。

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