ファウスト

2006年8月15日 (火)

【Scherzbold】

Scherzbold (シェルツボルト)():おちゃらけ野郎! ・・・・・ この~boldというエンディングで「習慣的に~する人」という言葉をつくる。Saufbold(大酒のみ)、Lügenbold(大嘘つき)、Raufbold(暴れん坊)などなど

さて、上記の「~bold」だが、辞書(つまり小学館)ではこのほかにも数例あったが、上にも書いたRaufbold君が、ファウストに登場する。楽しい名前を持った仲間と一緒に。

ファウスト第2部がそろそろ終わりに近づいてきたあたり。行番号10512で、このRaufboldと名乗る若者(実はメフィストが調達した妖しげな存在)が出てくる。戦争で皇帝の助っ人をするためにやって来たファウストとメフィストの兵隊だ。このRaufboldは文字通りの暴れん坊である。戦争には必用な人材だ(人かどうかはともかく)。で、高橋義孝さんの訳では「喧嘩屋」となっている。

楽しいのはその仲間だ。

相手を「喧嘩屋」でやっつけたら、戦利品をかっさらうのに「取り込み屋」が出てきて、そしてその連れ合いではないが同類の「早取り女」が出てきて、そしてかっさらった戦利品をはなさずにいるために「握り屋」が出てくる。この「取り込み屋」、「早取り女」、「握り屋」がドイツ語でどう書かれていたか・・・・・

「取り込み屋」・・・Habebald (ハーベバルト

)

「早取り女」・・・・・Eilebeute (アイレボイテ)

「握り屋」・・・・・・・Haltefest (ハルテフェスト

)

ハーベバルトは「すぐに所有する→すばやくかっさらう」、アイレボイテは「急いで袋に入れる」、ハルテフェストは「しっかりと掴む」、という意味合いがあるのだが、このそれぞれの名前が、いかにも実際にありそうな名前で、ちゃんと男名、女名のフィーリングも入っている。原文で読んだとき、思わず笑ってしまった。

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2006年8月10日 (木)

【Es ist vollbracht】

Es ist vollbracht (エス イスト フォルブラハト) ():事成れり ・・・・・ これは、新約聖書の「ヨハネによる福音書」でイエスが十字架の上で最後に発した言葉として書かれている。文語の和訳がたしか「事成れり」だったと思う・・・・・日本聖書協会の現代語訳では「すべてが終わった」となっているが・・・・・ちょっと違う感じがするなあ・・・・・

わたしは、ファウストが好きで時々本棚から引っ張り出してきては読んでいる。ドイツ語版はレクラムのあの黄色い小型本。翻訳ものは新潮文庫(高橋義孝訳)。この高橋訳はなかなか面白い。まあしかし、どんなに好きな翻訳があっても、原文で読むのとでは大違いである。翻訳は所詮「比喩にすぎない」のかも知れない。

さて、原文でファウストを読むとき、必ず読む箇所がある。それは行番号11587からのメフィストの科白から始まる一節:

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *

MEPHISTOPHELES

Ihn sättigt keine Lust, ihm gnügt kein Glück,

So buhlt er fort nach wechselnden Gestalten;

Den letzten, schlechten, leeren Augenblick,

Der Arme wünscht ihn festzuhalten.

Der mir so kräftig widerstand,

Die Zeit wird Herr, der Greis hier liegt im Sand.

Die Uhr steht still –

CHOR           Steht still ! Sie schweigt wie Mitternacht.

Der Zeiger fällt.

MEPHISTOPHELES  Er fällt, es ist vollbracht.

(高橋訳)

メフィストーフェレス この男は、どんな快楽にも飽き足りず、どんな幸福にも満足せず、移り変るもろもろの姿を追って人生を駆け抜けた。

そして最後の、分のわるい、中身のない瞬間を、

哀れにも、引留めようと願った。

どうにも手剛い相手だったが、

時には勝てず、この通り、砂の中に倒れている。

時計の針はとまったぞ-

合唱          とまったぞ。深夜のような沈黙だ。

針は落ちた。

メフィストーフェレス 針は落ちた。片がついた。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *

ドイツ語の原文に感じられるリズムに、いつも鳥肌の立つ思いがする。このメフィストの科白、そして特に、「Die Uhr steht still」以降の合唱との掛け合いは、周囲の音を一切消して、pppでエコーを効かせたのが聴きたいと思う。最後の「Er fällt」のErは時計の針でもありファウストでもあるだろうと思う。そして最後に、「Es ist vollbracht」が来る。イエスの今際のきわの言葉を、悪魔であるメフィストに言わせるのがなんともシニカルな感じがする。

このイエスの最後の言葉「Es ist vollbracht」は、もちろん有名な言葉であり、一日の仕事が終わったときに、「Feierabend!」と叫ぶ替わりに「Es ist vollbracht」と歌ったりするひともいるらしい(あるいは、仕事でなくても何かが終わったときに)。なんでもおちゃらけにしてしまうわたしだけれど、この辺はパロっていられないのである。

ではアンコールでもう一度;

M. Die Uhr steht still –

Ch. Steht still ! Sie schweigt wie Mitternacht. Der Zeiger fällt.

M. Er fällt, es ist vollbracht.

M. 時計の針はとまったぞ

Ch. とまったぞ。深夜のような沈黙だ。針は落ちた

M. 針は落ちた。片がついた。

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2006年7月24日 (月)

【Verweile doch, du bist so schoen!】

Verweile doch, du bist so schoen! (フェアヴァイレ ドホ、ドゥ ビスト ゾー シェーン)():「とまれ、お前はとても美しい!」・・・・・GoetheFaustに出てくる有名な言葉。

ドイツ文学族(?)なら、おそらく誰でも知っていると思われるこの言葉。これは、メフィストが、ファウストの魂を得るために、ファウストに数々の楽しみ、目眩く想いを経験させ、ファウストがそれに魅せられて、表題のこの言葉を発したとき、ファウストの魂はメフィストの手に落ちる、という約束の言葉である。

劇中、ファウストはあの有名なグレートヒェンとの悲恋や、女神ヘレナとの恋、ブロッケン山での魔女のお祭り、あるいは戦争の片棒を担ぐなどいろいろな体験をするが、しぶとくこの言葉を口にしない。結局、化け物の助太刀で勝った戦争の報償としてもらった、決して肥沃とは言えない土地の領主として、その開墾の槌音を聞きながらこの言葉を口にする。

最後は、天使に邪魔されて、ファウストの魂はメフィストの手には落ちず、地獄ではなく天国に上って行き、そこで天国で贖罪中のグレートヒェンのもとにたどり着き、最後は「Das Ewig-Weibliche / Zieht uns hinan (永遠にして女性的なるもの / われらを引きて登らしむ) 」という有名な神秘の合唱で幕を閉じる。

「この言葉を発したら、魂が悪魔の手に落ちる」・・・・・

これは極めて劇的なエレメントである。ファウストは戯曲なのだから劇的で正しい(笑)。

その言葉が表題のこの言葉なのだが、ゲーテは何故この言葉をこの劇のキーワードにしたのだろう? などと想像することがよくある。陳腐な言葉になってしまうが、この言葉を発するときは、すなわち人生における「最高の瞬間」である。その「瞬間」に対して、「そのままでいてくれ」と願う・・・

「どういう時がこの最高の瞬間なのか?」、ならば、ゲーテの人生観、世界観がわかりやすく現れるところだ。そこに表現されたものが、ゲーテの考える最高の瞬間(のひとつ?)なのだと考えれば良いだろう。しかし、「それをどんな言葉で表すのか? それは何故?」、と言うことになると、本人に会って聞いてみるしかない。もしかすると、ゲーテ自身がそれについて書いたもの、あるいは言ったとされるものが残っているかも知れない。もしあれば、調べればわかる。なければ、いつまで経ってもわからない。「ない」と言うことを証明するのは難しい。

わたしの想像はこう。

おそらく、ゲーテ自身「この瞬間がいつまでもこのままとどまっていてくれたら・・・」と言うような想いを何度も味わっているのだろうと思う。しかしそれは叶わず、否応なく「その瞬間の続編」が始まる。

そもそも、続編というのは大抵前作を超えないことが多い。前作以上の感動を得るためには、続編から前作の倍以上の感動を感じなければ、そうは思えないのではないだろうか?ロッキーでもネバーエンディングストーリーでも、パートⅠがいちばんだったと思う。

続編のお陰で、最高の瞬間だったはずのものがそうでなくなったりしたかも知れない。その繰り返し(?)の中、ゲーテはめげずに次なる最高の瞬間を求めて駆け抜けて来たのではないだろうか? 文学でも、学問でも、政治でも、偉大な業績を残したし、女性に対しても情熱的で、70才の時に17才の少女ウルリーケに求婚して、実現しそうになったとか!いや、見習おうとは思わないが。上原謙じゃあるまいし(謎爆)。

最高の瞬間と、その続編による落胆を何度も経験した結果、「死ぬことこそが、最高の瞬間を止めることのできる唯一の方法なのだ」と言うような認識にたどり着いたのではないだろうか?

あるいは、ファウストの話には元の話があるので、この言葉もその元の話から拝借してきただけかも知れない。すべては調べればわかることだが、忙しい。なので、想像をめぐらすのだが、そう言う「瞬間」が結構楽しかったりする。止まれとは思わないが(笑)。

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